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映画館の無いまち  作者: 恵梨奈孝彦
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映画館の無いまち

「お母さん、今日は公民館に行くから…」

「そう」

 私はテーブルについて座った。

 たいして広い部屋でもない。正面に座った母のすぐ後ろに流しがあり、お玉とか炊飯器とか、雑然とはしていないけれど、狭いところにぎっしりと詰めこまれているのが見える。

狭くて窓がないため、朝だというのに暗い。

 けして裕福な家庭ではない。父親とは離別している。母親が、女手一つで自分を育てている。小遣いなどでわがままは言えない。映画を公民館で観なければならない理由の一つはここにある。

「今日ね、祐介にモーニングコールを頼んでおいたのに、バックレられたんだ」

 母は、黙ってしらすご飯を食べている。

「まったく。今日は、ちょっといいケーキでもおごらせないと気がすまないや」

 母が顔を上げずに言った。

「やめなさい。先方に迷惑だし。本当は、公民館に行くのもやめてほしいの」

 そんな…、無料の趣味まで取り上げられるの? いや、もしかしたら、娘が同級生に何度もおごらせていることを、親としてはよく思っていないのかもしれない。

「あなたのめあては映画じゃなくて、祐介君でしょ」

「あいつが、映画の考察とかウンチクとか、聞いてほしいって言うから聞いてるだけだよ」

「あんな丈のショートパンツを履いてデートに行くなんて、下心丸出しで、こっちが恥ずかしいよ!」

「下心って…、そんなこと一切考えてない!」

「祐介君に『そんな話を女子にするのは、わたしのことを女として見てないって言うようなものだ』って怒ったって言ってたけれど、そんなの『自分を女として見てほしい』ってねだってるようなものでしょ」

「いい加減にして! それが親が娘に言うことなの!」

「志穂ちゃん…」

 母が顔を上げて言った。なんだか深刻そうな表情だ。

「あなたのクラスに、比企祐介君なんていう男子はいないんだよ」

 ………?

 頭の中にハテナマークがいっぱいに飛んでいる。この人はいったい何を言っているんだ?

「あなたが家で、祐介君のことを何度も話すから、わたしも気になっていたの。それで学校に連絡するついでに、担任の先生に聞いてみたの。そうしたら、そんな名前の生徒はクラスにいないって。もしかしたら他のクラスにいるかもしれないって、調べてくれたんだけど、学校にそういう名前の生徒は一人もいないって言われたの」

 考えられることは、担任か母親かどちらかが嘘をついているということ。だけど、何のために?

「スマホに、祐介君からのメールが残っている? メールアドレスは? スマホにモーニングコールが来るってことは、携帯番号もあるはずだよね」

 わたしはスマホを確認した。祐介からのメールはおろか、アドレスも電話番号も入っていない。

 なぜ?

 誰かがわたしのスマホをいじった?

 なんのために?

「あなたは休みのたびに公民館に行って、帰ってきては祐介君とのデートのことを話した。わたしは一度あなたの後をつけていった。あなたは一人で公民館に行き、一人で映画を観て、一人でケーキを食べ、一人で帰った。そしてその日に観た『ジョーカー』についての、祐介君の意見に怒っていた。わたしはあなたを心療内科につれていった。あなたは軽い統合失調症で、妄想にかられることがあるって。ねえ、わかってる? あなたは半年間学校に行っていない。週末に公民館に行っているだけなんだよ」

「そんなわけがない!」

「だったら、学校での記憶がある?」

「学校のプールの帰りに、大櫻の下で祐介といっしょにアイスを食べた!」

「それは小学校の時の記憶でしょう。あなたの学校にプールなんか無い」

 混乱してきた。これはいったい…。

「お医者さんには、あなたの妄想に付き合って話すように言われていたけど、もう限界だよ。男の子との話に付き合うたびに、どんどん惨めな気持ちになっちゃって…」

 そんな苦しそうな顔をされても、こっちが困る。

「先週、祐介に数学のノートを貸した!」

「祐介っていう子そのものが、あなたの妄想なんだよ」

「なんなの! 妄想、妄想って!」

「あなたは公民館で観てきた映画って、どんなものだった?」

「何でそんなことを聞くの!」

「いいから言って!」

『カリガリ博士』『狂った一頁』『ドグラ・マグラ』『紅い眼鏡』『マトリックス』『魔法少女まどか☆マギカ 反逆の物語』『田園に死す』『マルホランドドライブ』『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』『ジョーカー』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』…。

「みんな、夢や妄想みたいなものが出てくる話ばかりだよね…」

「だから、何でそんなことを聞くの!」

「あなたはそんな映画ばかり観てきたから、夢と現実の区別がつかなくなったのよ。妄想っていうのは、自分にとって都合のいいものだっていうことはわかってるでしょ。それが『比企祐介』っていう、自分にとってものすごく都合がいいものをつくり出したんだよ。かわいそうに。あなたは町の洗脳にかかったんだ。摩天楼があるような都会で、祐介君みたいな男の子と閉じ込められたいっていう妄想にとらわれている。映画館の無い町で、公民館であんな映画ばかり見せて、町民を夢や妄想に逃げさせて、自分たちが好き勝手しても批判できなくするための策略に…。あなたは狂人一人ひとりの頭の中に別々の世界があるとか言ってたけれど、この町の人間の頭の中には、同じ世界しか入っていないんだよ」

 瞼を開いた。

 見慣れた天井が視界にとびこんでくる。

 夢だったのか…。

 そうだ、女手一つで自分を育ててくれている母親が、あんなことを言うはずがない。

 これは夢の続き…なんかではない。

 外界の現実感がさっきまでと全く違う。

 LEDスタンド、スマホ立て、昨日寝落ちするまで読んでいた「宝石の国」の一巻、学習机とその上に置かれた学校のカバン、夕べと全く同じ場所に置かれたそれら全てが圧倒的なリアリティーを訴えかけてくる。

 わたしはスマホを取って、通話履歴を見た。祐介からの昨日の朝の着信離籍がはっきりと残っている。ほっとしようとした時、いきなり電話が鳴った!

 ビクッとした。何だ!

 祐介からのモーニングコールだった。

 電話が終わった後も、ゆうべ見た夢をありありと覚えていた。


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