田園に死す
いつもの喫茶店で祐介と話している。ケーキをおごられることに、抵抗はなくなっていた。
今日の映画は…、なんていうか、変だった。
七段飾りのお雛様が川を下ってきた。
石がゴロゴロしているところで、みんなで柱時計を抱えていた。
監督は歌人の寺山修司だそうだけど、学校で習った「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」の歌は、共感はできないにしても、わかりにくくはない。
だけどこの映画は、あらすじさえもわからない。
「少年の『わたし』は、母親と二人ぐらしだったが、家を出たがっていた。『わたし』は、すがりつく母親を突き飛ばして、近所の若妻と駆け落ちをする。ここまでの映像が映画監督となった『わたし』の自伝映画だった。しかし、本当の過去は違っていた。『わたし』が駆け落ちの場所に行くと他の男が待っていて、若妻は『わたし』が酒を買いに行っていた間に、その男と心中していたのだ。妄想にとらわれている『わたし』は、妄想の中で母親を殺すことを決意するが、できなかった」
祐介が映画のあらすじを語っている。
「わたしは、最後に主人公が、お母さんと仲良くご飯を食べているのを見てほっとしたけど」
「あれは、妄想の中でさえ母親を殺せない。つまり、母親の支配から抜け出せないって言うバッドエンドなんだけど」
「映画の観かたなんて人それぞれだからいいでしょ!」
わたしは立ち上がると、祐介を残して喫茶店を出た。そのまま一階に降りて玄関を出ようとした。だけど、どうしても外に出ることができない。玄関のドアは開いている。出られるはずだ。だけどどうしても出ることができない。
祐介が来た。まずい。このままでは、わたしが玄関で祐介を待っていたことになってしまう。仕方なく喫茶店までもどった。もう一度ここからやれば出られるかもしれない。玄関にもどる。出られない。祐介がついてくる。ほかに誰もいない。祐介だけ外に出られたらどうしよう。祐介も出ようとする。出られない。良かった。