ドグラ・マグラ
その次の週、わたしは祐介に誘われ、公民館の喫茶店に座っていた。なんでも「歩きながらだと、映画の話がしっかりできない」からだそうだ。
公民館の中の施設であり、ほとんど装飾らしいものがない。白い壁とフローリングの床、教室のような空間にテーブルと椅子が置かれている。「喫茶店」という部屋があるわけではない。大きな衝立が何枚か置かれて、店のスペースとそれ以外の空間を遮っている。テーブルクロスの真ん中に置かれたサックスのミニチュアだけが、おしゃれな「喫茶店らしさ」だろうか。
そのことは良い。しかし、女子が紅茶だけ頼んでいるのに、男子がケーキを頼むというのはどういうことだ!
「ああ、おまえも食うか? チーズケーキもう一個」
「ちょっと!」
紅茶だけならともかく、ケーキまでというのはお財布的にきびしい。
「ああ、ケーキ代はおれが払うよ。話を聞いてもらうために誘ったんだし」
しかし、彼氏でもない同級生におごってもらうというのは屈辱ではある。
「もう、注文しちゃったからな。今さら取り消しは出来ない。おまえが食べないならおれがもう一個食う」
「そんなに甘いものばっかり食べてどうするの!」
「ならおまえが食べろ。チーズケーキでいいのか?」
「さっきそう注文してたでしょ。取り消しはできないって」
「ラーメンじゃないんだから、注文受けてから作るわけないだろ。まだ間に合う。チーズケーキでいいのか?」
「…苺のショートケーキをお願いするわ」
「店員さん! チーズケーキは一個だけ。それにショートケーキ一個ね」
中年女性の店員さんが、クスクス笑いながら注文を受けてくれた。
「それで、今日の映画だけど」
そうだ。このケーキ一個分、話を聞かなくては。
今日観たのは「ドグラ・マグラ」だ。ある部屋で眼を覚ました主人公は、自分が記憶の一切を失ってていることに気がつく。そこに、若林鏡太郎という男が現れ、ここが九州大学病院の精神病棟であり、自分はその法医学教授であり、主人公がここに入院している精神病患者であることを告げる。そして、唐の玄宗皇帝の時代に、天才画家「呉青秀」によって描かれた絵巻物を見ると、彼の子孫である呉家の男子は発狂して女性の死骸を絵に描こうとすることを告げられる。その「心理遺伝」を証明するために、青秀の子孫である千世子に近づき、男子である一郎を生ませ、千世子を殺し、一郎に絵巻物を見せるという実験をした者がいる。それは九大精神科教授正木敬之か、法医学教授若林鏡太郎か…、という話だ。
「これは平成の映画だけど、原作は昭和十年に出た夢野久作の小説だ。この間観た『カリガリ博士』に衝撃を受けた日本の監督たちだけれど、『狂った一頁』を経て、映画ではなくこの小説が『カリガリ』のドイツ表現主義を完全に継承したと言われている。ものすごく長くて、原稿用紙二千枚あるらしいけれど、ここであった出来事は一瞬間だとも言われている。作中に出てくる『胎児の夢』っていう論文に『個体発生し系統発生を繰り返す、その繰り返している母の胎内で、自分の祖先が一粒の細胞から人間にまで進化するまでの間に体験した全ての恐怖、苦難を十か月かけて夢に見ている。何億年もの経験を十か月で夢に見るわけだから、体感時間がどんなに長くても、リアルでは一瞬間である』とある。だからこの小説はブゥゥゥゥンという時計の音で始まり、ブゥゥゥンで終わるわけだけれど、これがすべて『胎児の夢』だとしたら、その二つのブゥゥゥンはほとんどくっついているといえる」
「そうなんだ…。だけどそれは小説で映画の話じゃないよね。わたしはその小説を読んだことがないから。原作じゃなくて、祐介は今日の映画を観てどう思ったの?」
「あの小説を映像化するのはもともと無理があるよ…。だれが撮ってもあんなものだろう。視覚的に良かったことというと、一郎が母の千世子の膝に抱かれて、千世子の懐の中から乳首が見えて…」
祐介はわたしがにらんでいるのに気が付いたらしく、話を止めて咳払いをした。
「男の子って、わざと女子にそういう話をしたがるけれど『おれはおまえのことを女子として意識してない』って言われているみたいでものすごく不愉快なんだけど」
「悪かったよ…。そこで、観客の目をスクリーンにくぎ付けにしておいて、いきなり千世子の腐乱死体を写すっていうギミックのことを言いたかっただけなんだ。…話をもどすぞ。やっぱりあれは小説として読まないと無理だ
」
「まあ、確かに。ストーリーは分かりにくかったけれど」
「実は、登場人物の名前に意味があるという説があるんだ」
「そうなの?」
「これは『狩々(かりがり)博士』の…」
「え?」
「そういうペンネームなんだから仕方ないだろう。狩々博士の『ドグラマグラの夢』っていう著作にあるんだけれど…」
祐介が紙ナプキンを一枚取ると、胸ポケットのペンを出して書き始めた。
「『正木敬之』は『しょうきけいこれ』、『若林鏡太郎』は『ばかまわし狂』なんだそうだ。そう考えれば、『呉一郎』は『クレージー』、一郎の名字の元になったと思われる日本の精神医療改革の功労者に『呉秀三』っていう人がいるけれど、『吾青秀』から『呉秀三』を引くと、月と❘(ぼう)が残る。つまり、発狂することを『月に打たれる』っていうけれど、『呉青秀』は、『月に打たれた吾秀三』っていうことになる。さらに呉家の人々の名前だけれど、一郎の母親の『千世子』その姉の『八代子』は『千代八千代』つまり日本国の国歌の歌詞を思い起こさせる。しかし『八代子』の娘の名前の『モヨ子』は『百世子』という字を当てられることから『一郎』も含めて、呉家の名前は全て数字に関するものだとも考えられる」
「何が言いたいわけ?」
「呉一郎のもう一つの名の『正木一郎』は『正気弄ろう』となる。『正気の者をもてあそぼう』つまり、『ドグラマグラ』という原稿を通して正気の者を狂気にいたらしめる五号室の患者が一郎なんだ。さらに、絵巻物を開きっぱなしにして正木博士を死に至らしめたのは『わたし』であり、『正木敬之をもてあそぼう』としたということになる。だから、あの物語の最大の謎である『わたし』は、やっぱり一郎だったんだ」
それは、映画を観ていてもそうとしか思えなかった。
「だけど、映画では登場人物の名前はほとんど口頭で表現されるから、こういうことに気がつけない。こういうことからも映画版は不満だなぁ」
ケーキが来た。
「志穂がいらないんだっ…」
「食べる」
さっきクスクス笑っていた店員が、にこにこ笑いながら去っていった。
ケーキなんて、そんなに頻繁に食べるものではない。生クリームの滑らかさが舌の上でとろける。しっかり口中で味わってから飲み込む。苺の酸味がクリームの甘さを引き立てる。さらに、クリームに包まれた柔らかなスポンジが…。
「ショートケーキにイチゴって必要なんだろうか」
「当たり前でしょ! クリームの甘さがイチゴのの酸味でくどくならずにおいしいんだから」
「じゃあちょっとくれ」
「ダメ!」
「けち」
そんなことを言いながら、祐介はチーズケーキを食べている。なんでショートケーキを食べるチャンスがあるのにそんなものを食べるのか、わたしには理解できない。
「小説であれ、映画であれ、一刹那の夢に過ぎない。それが『ドグラマグラ』だ」
なんでおいしいものを食べながらこんな殺伐とした話をするんだろう。だけど、話を聞く代わりにケーキを食べている身としては知らない振りもできないので、ちょっと水を向けてみた。
「小説の作者はなんていうの」
「夢野久作だ。もちろんペンネームだけど」
「その作者で、ほかに読んだ作品とかある?」
「『瓶詰の地獄』が好きだな」
「映画にはなってるの?」
「『瓶詰め地獄』っていう映画にはなってる。ロマンポルノだけど。…にらむな! おれのせいじゃない!」
「男の子って、女子にそういうことを言いたがるけど、それは『おまえを女として意識してない』って言ってるのと同じで…」
「だから、日活があの小説をポルノにしただけで、元はそういう話じゃないんだ。ある日、ビール瓶が三本流れ着いていたのが発見された。瓶の中にはそれぞれ手紙が入っていて、第三の瓶の手紙には、『無人島に流れ着いた兄妹が、両親が第一の手紙を見て来てくれたであろう、助けの船を見ながら崖から飛び下りる』といった内容が書かれていて、第二の瓶の手紙には、『美しく成長した妹とともに罪を犯してしまう兄』が描かれている。そして第一の瓶の手紙には『早く助けに来てください』とだけ書かれていた」
「罪を犯す」か…。わたしにぎゃあぎゃあ言われるのがいやなのか、祐介はオブラートにくるんだ言い方をする。わたしもその言い方を真似てみた。
「つまり、第一の手紙が書かれていた時点では兄妹は罪を犯しておらず、それを見た両親が助けに来たけれど、そのころにはふたりは後戻りのできない罪を犯していたから、助けの船を見て絶望して死んだ。三つの瓶の発見順が逆になったので、最後の無邪気な第一の手紙がかえって残酷だっていう話なのかな」
「だけど、それだとおかしいんだ」
「なんで?」
「ビール瓶が三本漂着しているのが発見された。同時に発見されたわけだから、両親が第一の手紙を見て助けに来て、それを見て第三の手紙を書くことはできない」
「え? だったら、助けの船っていうのは…」「幻覚、妄想だった」
「なにそれ!」
「助けの船は妄想だけど、無人島は現実だというのは虫が良すぎる」
「無人島も妄想だって言うの?」
「無人島も妄想ならば、罪を犯した兄妹も妄想かもしれない」
「だったら!」
「ビール瓶の中の手紙は全て妄想を書きつらねただけかもしれない」
「なら、ただの小説じゃん!」
「ああ、夢野久作の小説だよ」