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ティアの職場

「あかり! 起きて! 間に合わなくなるよ!」

 扉越しにくぐもった怒鳴り声。続いて激しいノック音。



「早くしないと置いていくからね」

 遠ざかり、階段を下りていく足音。扉のこちら側で、あかりはベッドからゆっくりと起きあがる。「分かってる。分かってるから……」呟きながら、それでも緩慢な動き。




 今日は、ティアと一緒に彼女の職場に行くことになっていた。

 あかりは適当に身支度を済ませると一階に下りていく。パンとハムエッグの匂い。キッチンではティアが朝食の準備をしていた。二人でテーブルにつく。




「全く、もっと早く起きて手伝ってよね」

「ごめんなさい」あかりは素直に頭を下げる。ティアはちょっと笑う。




「いや変に素直だとそれはそれで」

「な、なによ。人がせっかく……」

「ふふ。さ、食べましょ」ティアに促されて、食べ始める。

 あかりがオレンジジュースを手に取ったところで、ティアが口を開いた。よく見るとちょっと真剣な顔をしている。




「……今日行くところって、あたしが働いているところなんだけど」

「うん」オレンジジュースを一口飲む。

「よく見ていってね」

「ん? うん。社会見学みたいな感じで凄く楽しみですけど」

「? ああ。大昔の日本の風習ね」

「……その言い方はどうなのよ。少なくとも私のいた世界では普通だったんだけど」

 納得行かない顔をティアに向ける。




「うん。そうだね。とにかく、よく見ていってね」

 あかりは頷く。

 朝食後、暫くしてチャイムが鳴って、迎えの車が来たことを知らせる。

 玄関先に出て行くと、門扉の前に無人の車が止まっている。





「……無人、なのね」

「うん。チャイムは非接触でも鳴らせるからね」

「そ、そういうもんですか」

「そういうもんですね」

 言いながらティアが先に車に乗り込む。あかりもそれに続く。車内はこの前のタクシーと同じような内装だった。ティアが行き先をスピーカーを通して伝える。少し間があって、車が音もなくスタートする。







 十数年前、自動車がすべて電動化された。渡来が開発した充電池がコンパクトで蓄電量も多く、コストも安かったため、それが全世界に渡って採用された結果と言うことらしい。それによって二酸化炭素の排出量が低減され、現在、地球温暖化はある程度進行が抑えられている。







「なんだか、私が生きていた時代よりも今の方がいいね」

「あー。まあそうかもね。特にここ十五年くらいの技術革新によるところが大きいのよ。これから行く研究所も、その技術革新の一端を担っているの……いや、これから担うところかな、正確には」

「ふうん」

 タクシーは渋滞にかからず、やがて高速に乗るようだった。





「おぉ」

 高速道路の料金ゲートを抜けると、前を行く車が少し浮き上がり、タイヤを収納して、リニアカーのように走行していくのが見えた。





「おぉ、お?」

 見る間にあかり達の車の番になる。少し浮かぶ感覚があった後、さっきとは明らかに違う速度で車が走行を始めた。




「こ、これ! 飛んでるの?」

「うーん。まあ飛ぶというよりかは浮かぶ、だけどね。高速はだいたいこの形で、事故や渋滞は起きないようになったのよ」

 速度、車間、流入量まで制御すれば渋滞も事故も起きないだろう。





「未来だねぇ」

「ふふ。そうだね」

 物凄いスピードで後方に消えていく風景を目で追いながら、二人で軽く笑い合う。




「ここは未来かもね」ティアが感慨深そうに呟いた。

「今にして思えば二〇二二年あたりはひどかったわ。気候変動も、今とは比べものにならないくらい大きなものだったし、経済も良いとは言えなかった。あかり、あなたはこれから知っていくと思うけど、ここはあなたがいた世界(ところ)より良い世界よ、それは間違いない」

 あかりはティアの言葉を黙って聞いている。





 不意に重さを感じた。高速を降りたのだ。リニア走行ではなく、通常のタイヤ走行に戻っていた。

「さああかり、そろそろ着くわよ」

 気付けば景色は一変していて、都心を離れ森の中の道を走っていた。やがて森が切れ、真っ白な壁が印象的な建物が見えてきた。二階建てくらいだろうか。あかり達を乗せた車は建物の前のロータリーに入り、入口で止まった。





「降りましょうか」

 ティアに促されてあかりは車を降りる。ちょうど、入口の自動ドアが開き誰かが出てくるところだった。白衣を着た女性だった。背が高い。百七十センチ付近だろうか。





 ティアと違ってセミロングの黒髪で、瞳の色も黒。整った目鼻立ち。よく見ると目尻のあたりに少し皺が滲んでいる。それでも充分に美人だと言えた。





「あかりさん、初めまして。ここの所長の皆凪(みなぎ)海明(のあ)と言います。今日は宜しくね」

 右手を差し出しながら微笑みかける。

「あ、こちらこそ宜しくお願いします」あかりは握手に応じる。



「海明、今日はお願いね」

「あなたの頼みなら仕方ないわ。幸い今日は大きな実験はないし、ちょうど良かったわ」

 ティアに気さくに応じるとあかりの背中を少し抱えて、三人は建物に入っていった。






 一階のロビーは受付もなく一般のマンションのようだった。ロビーを起点としてぐるっと周囲に放射状に通路が伸びており、それぞれの通路の両側に部屋があるようだった。




「ねえ……ティア?」

 あかりはティアの耳元に顔を近づけて、出来るだけボリュームを絞って問いかける。




「……ここって、何の研究をしているの」

 その声に、少し前を歩いていた海明が気付いて振り返る。




「――教えてないの?」ティアを見る。

「うん。まあ来れば分かるし」

「呆れた。面倒臭がりも大概にしなさいよ……まあいいわ――あかりさん。ここはね」

 海明はあかりに向き直ると、顔をのぞき込むようにして言った。






「全く新しい人体の治療法を研究しています」

「新しい、治療……?」

「ええ。けがや病気を従来型のアプローチでなく、今までは思いもしなかった方法でね」





 海明は扉を開けて部屋の一つに入る。

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