お母さん
「さああかり、分担を決めよう」
「えー」
「文句言わない。あかりにも出来ることはやってもらうからね」
とある休日の昼下がり。
二人はリビングで向かい合って座り、家事の分担を話し合っている。机の上にはクッキーとティーカップ。
「そもそもあかりはさ、屋敷にいる時、家事とかやってた?」
あかりは無言で首を振る。
「まあそれはそうだよねぇ」
あかりは渡来の屋敷には帰らず、ティアと同居することにした。そうした方が色々なことから距離を取れると思ったからだ。屋敷の人間はだいぶ渋ったものの、最終的にはあかりの我儘を聞いてくれた。悪いとは思った。帰りたくないという気持ちには勝てなかった。
「全部やってくれていたから」
口にして、苦笑い。
「うん。じゃああかりは自分の部屋の掃除と食後の後片づけね」
「はーい」
「で、慣れてきたら料理もお願いしようかな」
料理と聞いて、あかりは少し怖じ気づく。掃除や食器洗いと違って何をどうしたものか見当がつかないからだ。
「……できるかなぁ」あかりは不安そうに呟くと、紅茶を少し飲んだ。
「大丈夫よ。ちゃんと教えてあげる」
「ティアはずっと一人暮らしなの?」
「うん、そうね。この国に来てからは」
その言葉で、思い出したようにはっとする。
「そうだティアって、どこの国出身なの」
「うーん。言っても知らない思うよ。ずっとずっと遠くにある国だから」
「へぇ……それがどうして日本に?」
ティアはちょっと考え込むような素振りを見せた。説明できないと言うよりは、その方法に困っているような顔だった。
「――あたしはね、どうしてもこの国に来る必要があった。でも、準備不足もあってすぐに路頭に迷っちゃったんだ」頭を掻いた。
「で、あかりのお父様に拾ってもらったの。行き倒れ同然だった私に、お父様はとても良くしてくれたわ。だからこうして、今もこの国で暮らしてる」
ティアもティーカップに口を付ける。
何となくそれ以上は聞けない雰囲気を感じたあかりは、無言でティアを見つめる。
「本当に、お父様には良くしていただいたわ……」
暫く間があって。
「さあ、じゃあまずは、洗い物からね」
吹っ切るように大きめの声でティアが笑う。あかりも同調して、「オッケー。どれからやるの」と応じる。よく考えてみれば、三十年前は部屋の掃除や洗濯、家事の一切に興味を持ったことがなかった。だから今、少しわくわくしている。
「お、やる気だね」
「まあね」立ち上がるあかりに合わせて、ティアも立ち上がる。促されて、あかりはテーブルのティーカップを片づける。キッチンに持って行くと、朝食の食器が残されているのに気付いた。
「はい。スポンジ」
ティアから受け取ると、指示に従ってあかりは食器に洗剤をつけていく。
「……ね? 簡単でしょ」
「うん――お母さん」
言ってしまってから、しまったという顔をするあかり。
「んー?」にやにやするティア。
「いや、それはほら。あるじゃない、つい、って言うか」
ティアは、しどろもどろになるあかりの頭を撫でる。
「うんうん。いいよいいよ」
「あぁっ、何か腹立つ」
その掌をかわしてあかりは軽く睨みつける。
「いやいや、照れなくていいよ。遠慮なく私に甘えてくれていいんだよ?」
ティアがあかりを背中から抱きすくめる。少し強めの力だったので戸惑う。
「ティア? ちょっと……」
ふりほどこうとして、ティアの顔を振り返る――瞳が潤んでいて、あかりは更に困惑する。
「本当に良かったよ。あかり、あなたが……」
ティアはあかりを正面から抱きしめ直す。
暫くそうした後、あかりの顔をのぞき込むようにしながらティアはハグをほどいた。
「あかり、ごめんね」
あかりは首を振る。謝らなくていい、という首振り。今度はあかりの方からティアを抱き寄せた。母のことを考える。母は小さい頃に亡くなっていて、顔も良く覚えていない。生きていれば、どんな感じだったのだろうと考える。私が意識を取り戻したことを喜んでくれたのだろうか。ちょうどこんな風に――ティアのように。
「ティア、ありがとね」ハグをほどく。
「私を受け入れてくれて。この家で暮らすことを許してくれて」――いつかティアに言おうと秘めていたことが思いがけず口をついていた。
「こちらこそありがとう、あかり」
ティアは大きく相好を崩して、あかりに笑いかけた。
その表情が余りに子供っぽくて無邪気で魅力的で、あかりはどきりとする。




