分析
一週間が過ぎた。
あかりは研究所の自室で、ノートパソコンを使って今朝クラウドにアップされた防犯カメラの動画を見ていた。鮮明な画像と音声。防犯カメラと言えば画質が悪いというのがあかりの固定観念だったが、未来においては違ったようだ。
俯瞰気味の見下ろし映像だ。
背後からティアの動きを拘束したアーガスが囁く。
『皆凪海明さんでしたっけ? 次はあの人をあかりさんと同じような目に』
男が笑う。
あかりは知らぬ間に拳を握りしめていた。
こいつに何の権利があるんだ。怒りが込み上げる。
『では、そういうことで、はい』
呟くように言った後、アーガスが力を緩めたのか、ティアは振り返り、素早く男の手首を掴み返した。
睨み合い、やがて、ふっとティアが微笑んだ。
『さっきも言っただろ。あたしをその名で、呼ぶな!』
叫び声。
閃光。破裂音。ティアが床に崩れ落ちる。
男は魂が抜けたように、憑き物が落ちたようにその場で脱力する。
ドアが開いて海明とあかりが飛び込んでくる。
とつぜん男はスイッチが切り替わったように動きだし、あかりを突き飛ばして部屋を出ていく。あかりもそれを追って部屋を出ていく。
倒れ伏し、びくりともしないティアの姿を数秒映した後、動画は終了した。
あかりはため息をついてノートパソコンを閉じる。
――駄目。何も見つからない。
あの時、自分を呼ぶティアの声が聞こえた気がして、海明と治療室に飛び込んだ。
目の前にあったのは崩れ落ちるティアと男のガラス玉の目。何が起こっているのか理解する前に突き飛ばされた。
あれから。
事件は一応、男が起こしたものだとして処理された。
あかりは、あのとき男の中に「居た」のは誰か別人だったと思っている。ティアと話し、男の中から出て行った誰か。自分が監禁されている時にも、男はたびたび誰かと話しているようだったが、あれは電話などではなかったということか。
海明はもう一週間も研究所を休んでいた。
病室で目を覚まさないティアに付きっきりのようだった。
ティアの病院での検査結果は――異常なし。つまり、眠り続ける理由がない。
――海明さん、大丈夫かなぁ……。
今日これから、解析のため研究所にティアが搬送されることになっていた。
ドアがノックされ、開いた。
「あらあかり、こんなところでどうしたの」
「の、海明さん!」あかりは立ち上がって、部屋に入ってきた海明に抱きついた。
「海明さん、大丈夫なの?」上目遣いで見る。
「ええ、大丈夫よ」海明は少しやつれてはいたが、声には張りがあった。
あかりを撫でる海明。
「……ティアは?」
「今、分析室に入ったわ。笹崎君が担当する。あかり、あなたも立ち会いなさい」
頷く。
海明に遠慮して、あかりはまだ一度も病院には行っていない。だから分析室に入った時に、マジックミラー越しに横たわるティアを見てあかりは言葉を失った。今にも起きてきそうな彼女の顔。瞬間、抗し難い感情に流される。泣きそうになって天井を見上げる。
「所長、お久しぶりです」先に部屋に入っていた笹崎が海明に声を掛ける。
「ええ。あなたにも迷惑を掛けているわね。ごめんなさいね」
笹崎は眼鏡を上げると、軽く首を振る。
「いえ、大丈夫です――解析、終わってます」
渡されたタブレットをしばらく眺めていた海明は、眉をひそめた。
「海明さん、どうしたの?」
あかりが心配そうな声で彼女を見る。
「いや……これは……笹崎君、どう思う?」
見ると、笹崎も難しい顔をしている。
「そうですね、一言で言うと厄介です」
「なに、何なの?」
あかりが焦れて海明の横からタブレットを覗き込む。
タブレットに表示されていたのは、ティアのパラメーターの一覧。値におかしなところはなく、基準値内に収まっているように見えた。ただし、それら全てのパラメーターには『重複』と表示されていた。
「重複? だぶってるってことですか?」
あかりが戸惑った声を上げた。
「うん。今、副所長の身体の中にはパラメーター・セットが――二つある」
「二つ……?」
「通常、人体にあるパラメーター・セットは一つだ。それが二つあるってことはね、多分だけど、誰かが入り込んでいるんじゃないかな」
「誰かって、まさか」
笹崎が重々しく顎を引く。
「そう。副所長はどういう手を使ったのか、あの男からパラメーター・セットを引きずり出し、自分の中に――閉じ込めたんだ」
「そんな……」あかりはタブレットを見つめたまま動けなくなる。
ということは、ティアを起こす為にはこの男を追い出さなければならないということか。
――でも、一体どうやって?
「男のパラメーターだけを削除できない?」
海明の声だ。
笹崎は首を振る。
「正確に男のパラメーターだけを削除できる方法がありません。判別が出来ないんです」
「じゃ、じゃあ」とあかり。
言い募る声を笹崎は遮り、悔しそうに声を絞り出す。
「……残念だけど、これ以上はどうにも出来ない」
あかりは愕然としながらも、ティアが最後の力を振り絞って男を自身の中に捕らえたことを知り、彼女らしい、と思った。
見ると海明も似たような感情なのか、ティアをじっと見下ろし、慈しむような目線を投げかけていた。
――きっと、ティアは。
海明をアーガスから守ったのだ。
いつだったか、海明の家で食事会をした時のことを思い出す。海明のことを助けるためなら毒入りの紅茶を躊躇いなく飲み干す、と言ったティア。
アーガスに海明を狙うと言われて、ティアはそれを実行したのだ。
彼女を、守るために。
自分の身を、犠牲にして。
「取り敢えず私とティアは病院に戻るわ。笹崎君、ありがとうね」
海明が立ち上がる。
彼女からタブレットを返して貰うと、笹崎は緊張した面持ちになった。
「あの、所長! ――戻って、来ますよね?」
海明をじっと見つめる。
「辞めたりしないですよね?」
にこりと笑う海明。
そのまま、部屋を出ていった。
あかりも笹崎に一礼して部屋を出る。
「海明さん!」
部屋を出たところで海明の袖を掴む。振り返った海明の顔は――泣いていた。
「ああ、あかり……」そのままあかりを抱き寄せる。
「ねえ、私、どうすればいいのかしら……」
どう声を掛ければいいのだろう。
海明は見たのだろうか、あの防犯カメラの動画を。
表情からは読みとれなかった。
「私が代わってやれれば……」
目を逸らす。
瞳に浮かんでいたのは後悔、怒り――絶望。
「……病院に戻るわね」
海明はその場にあかりを残したまま、研究所を出て行った。




