二度とあたしを
「やっぱりあんたか……アーガス」
じとりと男を睨みつける。
ティアの記憶にある容姿とは似てもにつかないがさっきの少し高くて、変に勿体ぶった声はアーガスそのものだった。
「久しぶりですね、ティオ」
彼の声音はあくまで穏やかだ。
ティアの赤い髪が逆立つようだった。
「いい? 二度と、あたしを、そう呼ばないで」
怒りなのか、動揺なのか。
「おやおやつれないですね。小さな頃はあんなに私に懐いていたのに」
こいつの意図は分かる。こちらの怒りを誘って隙を作ろうとしている。
つまり、何かを仕掛けてくるつもりだ。
「うるさいなぁ。あれは、あたしの人生の汚点だね。あんたみたいな奴の本性を見抜けなかった」
つとめて冷静に返す。怒りに呑まれても、向こうのペースに乗っても、こちらの負けだ。
「それに今さら親戚面はやめて欲しいな。もうあんたはただのテロリストだ。だいたい、国であんなことをしおいて、心は――痛まないの?」
続けられたティアの言葉にはせせら笑いが返される。
「ただの実験ですよ。心など痛む訳がない。あれは必要な犠牲でした。勿論、亡くなった方々にはお悔やみ申し上げるが」
アーガスは胸に片手を当て、恭しく頭まで下げて見せた。
「何だと……」
知れずティアは拳を握りしめる。
「自分が何をしたか覚えていないの?」
「いえいえ。しっかりとここに」
こめかみをとんとんと指で叩く。笑顔は貼り付いたままだ。
「ただ、先程も言ったようにあれは必要な――」
ティアはつかつかとミラーに近付き、話し始めた男の顔に掌を叩きつける。強度があるためびくともせず、僅かに振動したのみだった。
「必要な犠牲だったって言うの? あんたの勝手な都合で、あんなに沢山、死なせておいて!」
ティアは思い出す。
街中にあったオフィスビルだ。
アーガスの使った大量破壊兵器は悪魔的だった。
数百人がいたそのビルは一瞬で消した飛ばされた。確かに、アーガスの言う通りあれは実験だったのだろう。出力が調整されており、被害はそのビルだけだった。
それでも大勢が死んだ。
悲しむ遺族の姿を、嫌と言うほど見た。
ようやくアーガスの仕業だと調べがついた時には、既にどこかの次元へ逃げた後だった。何のことはない、アーガスが開発した次元を越える装置は、自分が使うためのものだった。
ティアは志願してこの世界に来た。親戚であるアーガスをこの手で捕らえ、裁きを受けさせたかった。
今、目の前にアーガスが乗っ取った男が居る――無論、あいつ自身ではないが、それでも何か手掛かりにはなるはずだ。
「ええ。必要でした」
悪びれる様子は微塵もない。
こいつはとっくにいかれているか、或いは本当に実験だったと、必要な犠牲だったのだと、信じているか。
どちらにせよまともじゃない。
「あかりを傷つけたのも?」
「あなたを黙らせるのにちょうどいいと思いましてね。この男はあかりさんへの恨みで凝り固まっていた。操り易かった」
ティアは違和感を覚えた。
何かが、おかしい。
やがて気が付く。
なぜ、三十年逃げ続けていたこいつが、今になって、仮の肉体だとしても姿を現したのか。
アーガスがミラーに手を触れる。触れた部分に波紋が生じ、水から出るようにするりと全身が鏡を抜けた。
「しまっ……」
容易くアーガスに手首を掴まれ、後ろ手にねじり上げられる。
「く……お前、ひょっとして――魔力を」
物体を通過できるなど、それ以外考えられない。
ティアの背後から男の、見下した声が聞こえた。
「ええ。三十年かかりましたが」
「なるほど。それで、あたしに会いに来たのね」
魔力の自己生成。
ティアには未だに出来ないそれを、この男は可能にしたのか。
アーガスの声は続く。
「この世界に来てから、あなたには散々苦しめられましたからね。折角だから魔力を使ってお礼を、と」
「あたしをどうするつもりだ」
「いえいえ。あなたに危害を加えるつもりはありませんよ。その方があなたには辛いでしょうからね。ええと……誰でしたっけ」
空いた方の手を顎に遣る。
わざとらしい、芝居がかった仕草だ。
「お前……まさか」
頭の奥が嫌な予感で冷えていく。
追認するようにアーガスが口を開いた。
「皆凪海明さんでしたっけ? 次はあの人を」
あかりさんと同じような目に。
「今度は見つらないように、上手くやらなくてはね」
見えなくても嗤っているのが分かった。
「では、そう言うことで、はい」
満足げに、男がこの場から離れようとする気配。乗っ取りを解除して、精神を本体に戻すのだろう。
ティアはきつく目を閉じ、開いた。
今ここでこいつを逃せば、海明に危害が及ぶ。
そんなことはさせない。
自分のことはどうでもいいと瞬時に判断を下す。
絶対に、海明を守らなくてはならない。
仮に今ここで。
あたしが――死んだとしても。
「止める!」
アーガスの力の緩んだ隙。
すばやく体を入れ替えて男の手首を握り返した。
「ティオ、何を――?」
赤髪の異世界人はアーガスを見上げ、微笑んだ。
「さっきも言っただろ。あたしをその名で呼ぶな」
声に静かな怒りが満ちる。
目は笑っていなかった。
ティアが掴んだ辺りから青白い光が漏れ出す。
「覚悟しろよ、アーガス・メルテンス・モズモ・ドラグン」
冷えた声。
男の顔色が変わる。
「あたしが何の準備もしてなかったと思うのか?」
ティアが大きく息を吸った。
「しまっ……」
慌てて音楽が乗っ取りを解除するより早く。
ばちん。
電気が爆ぜるような音がした。
ティアは全身に衝撃を受けて急速に力が抜けていく。
――海明、あかり、ごめんね……。
膝が落ち、床に倒れ込む。
部屋のドアが乱暴に開けられる。
室内に飛び込んだあかりと海明が見たのは。
床に倒れ伏すティアと、立ち尽くしたまま手首の辺りをさすり、不思議そうな顔をしている男の姿だった。
「ティオ!」
海明が駆け寄る。
我に返ったように男はあかりを突き飛ばして部屋から逃げていった。
ティアを任せてあかりは男を追いかける。
治療室から中央受付までは一本道。
逃走する男に、無意識のまま手をかざした。
すう、と波が引く感覚に襲われる。
自己の体内から湧き上がるものがあって、それなら男を倒せると思われた。
あかりは半眼になり、自らの掌に意識を集める。
――倒れろ!
念じると、果たして自分の手から『何か』が迸り、前を行く男を捉え、吹き上げ、激しく床に叩きつけた。
「みんな、その男、捕まえて!」
あかりの絶叫に呼応した所員たちが数人、群がって取り押さえる。男は気絶したのか、抵抗はないようだった。
その場で少女は呆然と立ち尽くしていた。
――今のは……。
覚えのある感触だった。
――そうか。
思い出す。
監禁されていたあの夜、誰が男を昏倒させたのか。
自分の掌をじっと見る。
――私、だったんだ。
そこにはまだ、小さな光の粒子が無数に舞っている。
それはきらきらと輝いていて、やがて収まり、消えた。
「あかり!」
声がして振り返ると、治療室から海明が出てくるところだった。
「ティアが……! ティアが!」
見たことのない顔で絶叫する海明。
何かただならぬことがティアの身に起きたのだと悟った。




