髪色
翌日。
あかりは研究室で直接、医師の診察を受けた。念の為、どこにも異状がないことを確認する。
「信じられない、こんな事があるのか」
ティアから連絡を受け、やって来た石田は素直な驚きを漏らした。白衣は着ておらず、ノーネクタイのシャツにデニムという出で立ちだった。
彼はポータブルの診断装置を持ち込んでいた。
見た目はスマホと変わりない。付属のペン型スキャナーでベッドに横になっているあかりの全身を読み取ると、ディスプレイに表示された数値を確認していた。
「えーと。大丈夫、ってことでいいですかね」
石田の隣で立つティアが微笑む。
「ええ。健康体です。これ以上はないくらいのね」
あかりが彼を見上げる。
「良かった。あ、先生、ご無沙汰してます」
「うん。君に何事もなくて何よりだ」
石田は、あかりが三十年ぶりに目覚めた病院で働く医師であり入院中の主治医でもあった。
彼はティアに向き直った。
「ティアさん、これがあなた達の研究の成果なんですか?」
診断装置の画面を指差す。
「ええ、そうですね。人体の画期的な治療法、って奴です。あ、まだ発表前だから内緒にして下さい」
赤髪の異世界人は自分の唇に人差し指を当てておどける。
「パラメーターを修正して、人を治す。そんなことが……」
石田の目は疑い寄りの半信半疑だ。ティアには見慣れた反応。
「多分、近い内に幾つかの病院にこのシステムを使って貰うことになると思います。試験運用としてね」
ティアの言葉を聞くと、彼は診断装置を片付け、持って来てあったバックパックに詰め、肩に引っ掛けた。
「そうですか。是非うちの病院で使わせて下さるとありがたいです。この目で治癒の瞬間を見てみたいので」
疑いながらも、好奇心には勝てないようだ。
「ええ。検討させて頂きます」
ティアが応じ、石田はあかりに手を振って帰って行った。
再び二人きりになった治療室。
「……今更、なんだけどさ」
あかりがベッドから半身を起こした。
ティアは彼女の表情を確かめる。
『あの娘にはきちんと話をしなさい』
海明の声が蘇った。
ただ、ティアにはまだ。
「ん、なあに?」
何でもない風で少女に応じた。
「ティアや海明さんてさ、凄い研究してるんだね」
「ああー。まあ、そうか?」
赤い髪を掻く。
そうだよ、凄いことだよ――あかりはもう、すっかりわだかまりは消えたのか記憶にある様子で笑った。どちらかと言えば、ティアの方がその目をきちんと見られなかった。
ティアは心の内で腕を組む。
――どうやって、話そう。
考えあぐねている。
数日が過ぎた。
ティアは研究室に通い、あかりは体調を見ながら大学へ。
二人は仲直りはした。が、ティアはまだ、海明に言われたことを実行できないでいた。
まだあかりが復調していないから、まだ時期が来ていないから――言い訳し、ずるぶると引き延ばしていた。
その日の朝。
バスルームの洗面台で身支度をしていたあかりは、小さく驚きの声を上げた。
たまたま廊下を歩いていたティアが聞き咎める。
「ん? どうした――の」
その動きが途中で止まる。
「これ……?」
あかりは自分の髪に手をやり戸惑った表情だ。少女の触れたうなじの辺り、毛足の髪色が赤。まだ完全ではないのか、今の所は朱色に染まっていた。
ティアは瞬時に考える。あかりが目覚める前に行った遺伝子検査では容姿の変化はないはずだ。
顔はそうでも、髪色は盲点だったかも知れない。少なくとも検査はやっていない。
「何か、良くないこと?」
あかりの瞳は輪郭が滲み、彼女の心情を反映していた。
――ああ、何をやってんだあたしは。
引き延ばし挙げ句、またこの娘を不安にして。
ティアは出しっ放しの水を止める。少女の両肩に手を置く。
「あかり、後で話がある。今日は一緒に研究所に行こう」
「う、うん。分かった」
少女は頷く。幸い、今日の講義は必修ではない。
「その、髪のことも」
後で説明する――ティアは、あかりにしてみればらしくないほどの緊張した目をしていた。
いいよ、言わなくても、私なら大丈夫だから。と口にしようかと思った。でも、辛そうなティアの目を見たら、出来なかった。この人の気持ちが分かる。きっと、私を、大事に思ってくれているんだ。
――だって、そうじゃない。
でなきゃ、ティアはこんなにも悩んだりしない。
「じゃ、朝ご飯にしよう」
ティアが離れる。踵を返してバスルームを出て行く。
その、背中。
漂う色に不穏なものをあかりは感じた。
ティアが廊下を歩きリビングに入ったところで、ダイニングテーブルの上に置かれていたスマホが鳴った。
手に取り、回線を繋ぐ。
「お早う」
海明だ。長い付き合いのティアは彼女の声の、微かな戸惑いを敏感に感じ取る。
「ひょっとしてあの男が属性研に運び込まれてくるのかな?」
「ええ。今から二時間後、搬送されてくるわ」
「笹崎君借りれる?」
「解析室にスタンバってもらってる」
ティアと海明は時々、こんな風に『早い』会話を交わす。互いが何を知っていて、どんな言い回しなら前提条件の説明を省けるかを熟知しているからこそ可能な話法だ。
「分かった。すぐに行くよ」
スマホを切る。
あの男、即ち先日あかりを監禁し、危害を加えた元ひき逃げ犯だ。恐らく、アーガスによってパラメーターが改変されいて、一般の病院では処置できなかったのだろう。
何故分かるのかと言えば、そんなことが可能なのはティアが長いあいだ捜している男、アーガスしか居ないからだ。
笹崎君と二人で解析やろう。とティアは決めた。
両手で頬を打つ。気合いを入れた。
――絶対にアーガスの居所、聞き出してやる。
スマホをテーブルに戻し、身支度に取り掛かる。




