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憎悪

 晴子と別れ、あかりは地下鉄に乗った。 


 昼下がりだ。車内はがらがらで、すんなりと空いているシートに座れた。

 鞄から取り出したスマホを膝の辺りで構え、電源を入れず、暗いままの画面をぼんやりと眺めた。



 一駅ぶんそのままで動かず、やがて電源を入れメーラーを立ち上げる。



 頭からティアとの些細なぎくしゃくが離れてくれない。

 何をしていても薄皮一枚ぶんの憂鬱が付き纏う。



 ――考えてみれば。

 ティアには色々と謎がある。




 どこから来たのか、実は何歳なのか、国籍はどこなのか。

 いいえ、そんなこと実は二の次。大前提としてティアは。




 ――私の大切な……人で。

 そこさえ分かっていればもういいよ、と言う自分がいる。

 駄目よ、ティアのことをもっと知るべきじゃないの、という自分も。



 どちらにせよはっきりしていることは、ティアは掛け替えのない、失い難いもの。





 ――謝らなきゃな。




 打ちかけのメール。顔を上げる。電車が駅に着く。

 降車して改札を抜け、地上への階段を上がる。

 地上に出ると、いい天気だった。軽く伸びをしてから家路に着く。






「渡来あかりさんですね」

 唐突に背後から声をかけられる。びっくりして振り返る。目線の少し上に男が見えた。




「な、何ですか」

 辛うじて返事をしたが何とも言い(がた)い気分に捉われる。男は四十代か五十代で、ノーネクタイのワイシャツにスラックス、紳士靴。髪も短く切り揃えられており印象は普通の会社員だ。


 その眼は違和感に満ちていた。笑っていないのは勿論のこと――全く光がない。男の瞳には、何の輝きもなかった。




 ――まるで人形のよう。



 身震いする。うまく説明できないがこの場から早く立ち去った方がいいと本能が警告する。何を話しても通じないような不気味さが男から強烈に漂ってくる。






「ちょっと、お話いいいですか?」

 男が少し距離を詰めてくる。顔は笑っており、尚のこと恐ろしかった。



 あかりは無言で後ずさる。駅から出たところなので人の出入りもそこそこある。流石にここで何かされることはないはず。



 確信はない。不安は消えない。




 ふと、何の気なしに男があかりの右手を掴んだ。




「ちょっ……」

 即座に振り払おうとしてあかりは驚愕する。何故か身体の自由が効かない。

 ――そんな……。




 男はあかりの手を引いて、何処かへ向かって歩いていく。



 振り払えないのならここに踏みとどまれないか。無理だった。足が男に操られているかのように動いていく。





 ――声も、出せないっ。

 為す術がない。

 このままどこへ連れて行かれるのか、不安がこみ上げた。





 ――ティア、助けて……。

 それは言葉にならない。ただ、ほんの一瞬、ティアが呼びかけに応えたような気がした。きちんと確かめる前に感覚は消えてしまった。



 先を歩く男の背中を睨みつけた。


 ――何が目的なの?





 何も語らない。





 代わりに、背中越しに滲み出ていて、あかりの顔にびしびしと突き刺さる感情がある。その濃さに顔をしかめた。






 感情の名は、憎悪。




 激しい憎しみが、男から大量に放出されている。

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