始まり
回復室に入ると、ベッドが一つ。ヘッドボードに備え付けられた抑え目の照明が薄暗く室内を照らしていた。
横たえられたあかりが、静かに寝息を立てている。モニターからの心音、血圧、脈拍、全てが正常範囲内に見えた。どう見てもただ眠っているだけだ。
ティアの目には少し違って見えた。
眠っていると言うよりは、電源が入っていないように感じられた。
「起きない? 目を覚まさないんですか?」
言葉に医師は首を捻る。
「一体どういうことなのか、正直わかりません。バイタルは正常だし、どこにもおかしなところはないのです」
元よりあの状態から生き返った患者を理解できないのだろう、彼はずっと怪訝な面持ちをしていた。
ティアはあかりの頬にそっと触れる。
――考えられるとしたらさっきの薬の、副作用。
「話があるということだったから、部屋に入ったんだ」背後で晴臣が話し始める。
「その時は既にあかりは眠っていた――最初は眠っているだけだと思った」
晴臣はティアの隣に並ぶと、愛おしく娘の手に触れた。
「段々とおかしなことに気付いた」
ティアにもあかりの手に触れるように促す。
「!」
「そうなんだ。異様に――冷たい。何度呼び掛けても、何の反応もない」
本当にその通りだった。
この娘の手、ちょうどあたしと同じくらい――。
ティアの種族は、低温な手を代々受け継いでいる。
――つまりこれは、どういうことなんだ。
あかりから手を離した。
一つの仮説を立ててみる。ティアの種族にとって死とはある種のファンタジーだ。短くても数百年、長い人間だと数千年生きるのでおよそ人の死に立ち会うことがない。
短剣型のアイテムに入っていた液体。
――あれは、つまり……。
考える。あれはつまり、事故などで不幸にして落命してしまった一族は救えないのか、という命題から始まっているはずだ。
長命なこととは、そのまま遺伝子が強いということでもある。遺伝子がいつまでも劣化せず、若いまま細胞分裂を繰り返せば理論上老けず死なずの身体になるはずだ。
――ではその遺伝子を注入すれば? 細胞は復活し、命を取り戻すことが出来る、のか?
「何も言えなかったよ、あかりに」絞り出すような声が聞こえた。
「晴臣、ちょっといいかな」
晴臣を伴って回復室を出る。二人で話をしたかった。
「……落ち着いて聞いて欲しい」
さっきの仮説を話す。
晴臣は動揺を堪え、冷静であろうとしているようだった。
「つまり、遺伝子的に、あかりはティアのような人間になってしまったということなのか?」
その上で、僅かでもこの事象を理解しようとしている。
「それでも、目覚めなくなると言うことはないんじゃないのか? それは遺伝子とは関係ないだろう」
「今のところは何とも言えない。検査してみないことにはね」
父親は顎に手を当てて考えているようだった。
「……戻ろうか」
部屋に戻ると、途方に暮れた医師があかりの側で立ち尽くしていた。
「ティア、あかりの生命を救ってくれたことに感謝する。言葉もない」
頭を下げる晴臣。
「いえ。それはまだ早いのでは」
「いや、このタイミングだよ、ティア」
晴臣は顔を上げて彼女をまっすぐに見た。
「いまどんな形にせよ娘は生きている。そのことに疑いはない。それには君が居なくては駄目だった。だから」手を取った。
「ティア、心の底から感謝する」
どういたしまして、ティアはにこりとする。
晴臣は医師の方に向き直る。
「きょう見聞きしたことは誰にも話さないで欲しい。もちろん相応の謝礼はする。担当してくれた看護師たちにもそう伝えてくれないか。ティアも、いいね? この場にいない人間には、この事実を話さないでくれ」
ティアは無言で顎を引いた。緊張した顔で医師も首を縦に振る。
「さて、ティアには今月付けで秘書を辞めてもらう。後任を近日中に指名するから業務を引き継いでくれ……代わりに、君にはあかりを徹底的に調べてもらう。医師や科学者の手が必要であれば、何人でも手配しよう。立ち回るのが不便ということであれば、研究所という形で施設を作ってもいい」
娘の顔を見下ろし、名残惜しそうに額に手を置いた。
「あかりのことを」
慈しむように額を撫でる。あかりは目覚めることなく、規則正しい寝息を立てていた。
「頼む」
滲むような声音だった。




