ぎくしゃく
その夜、あたしは夢を見た。
霧の中に立っていた。辺り一面濃霧で指先ほどの距離も見通せない。あたしはどこへも行けなくて、ただ立ち尽くしている。
――まいったなぁ。
頭を掻いた。ここから何処へも行けないことへの不満と言うよりは、自分の力ではどうにもできない状況――それが嫌だった。
取り敢えず歩いてみようと思って足を踏み出す。
霧が踏みしめられ、歩みに合わせて振り払われていく。
でも、歩いても歩いても進んでいる感じがせず、やがて疲れてしまってその場に座り込んだ。
――ティア?
正面から声を掛けられて頭を上げた。
あ! あかりだ。
そう思うと嬉しくなり、駆け寄ってあかりの手を取る。
こんなところで会うなんて、嬉しいよ。
声を掛けるけどあかりは答えない。きゅっと唇を引き結んでまっすぐにこちらを睨んでくる。ただならぬものを感じてあたしは立ち尽くす。
――どうして、教えてくれないの?
声から漂ってくる冷気にあたしは怯んでしまう。
な、何を?
――まだ、とぼけるの?
詰め寄ってくる。声は静かだったけど、こちらをひどく咎めていた。
――私に何をしたか、言ってみなよ!
あ……。
唐突に理解した。あかりは――怒っているのだ。
あかりは霧の中にしゃがみ込む。
泣いているの?
触れようとして、その手を払われた。
――どうしてちゃんと教えてくれないの?
――どうして今も黙ってるの?
違うんだあかり。あなたが目覚めて、あたしはすぐにでも真実を言うつもりだった。
――なら、なぜ……。
呻くような声。
あたしは必要な言葉を探しながら、ゆっくりと言葉をつなぐ。
「あかり」
出会った頃とは、違って――しまったんだ。もう淡々と真実を告げることはできない。あたしはあなたに、嫌われたくない……。
少女は何も言わない。ただ黙っている。
あたしがもし本当のことを話したら。嫌われるかも、憎まれるかも。あなたがどんな反応をするか――どんどん怖くなって。
気付いたら。
「何も――言えなくなってた」
あかりは、あたしの言葉に何も言い返さない。
霧が一段と濃くなって、あかりも、あたしも、全てを覆い尽くしていった。
朝、あかりは起きてくると無言で朝食を食べ始めた。
「昨日は海明と何を買ってたの」
大して気にしていない風で問い掛ける。
「ん、まあ色々」
素っ気ない。どうやら答えてくれる気がなさそうな雰囲気に少し失望しながらパンをかじる。
あかりも多分、ティアに失望しているのだろう。自分を信じてくれないのかと責めるようだ。
「ごちそうさま」
「あかり」
言うべき言葉を準備せずただ声を掛けた。
呼ばれて、無言でティアに向き直る。
「あー、すずみんって良い子だね」
「……そうだね」
それきり言葉を失う。つがえるべき言葉がいくらでもあるはずなのに、何故か今は一言も出てこなかった。あかりはこれ以上ティアが口を開かないことを見切ったのか、そのまま自室に引き上げていった。
――ああもう……。
ティアは額を押さえて眼を閉じる。
――ほんとに、もう……。
一筋だけ涙が頬を伝った。
去年、あかりが目覚めるまでに長い時間が必要だった。
その時間を引き替えにして手に入れたこの暮らしをティアは最大限愛していたし、自分を含め周囲にある物は、あかりの為に犠牲にすべき物ばかりだと思っている。愛して、信じているからこそ、何も言えないことだってある。
でもそれを分かってもらうのはやっぱり難しい。
涙を拭う。
ひんやりとした指の感触。
――晴臣。あたし、どうしたら……。
遠く、もうここには居ない友の名を呼んだ。




