蜃気楼
中に入ると、内部は廊下を挟んでいくつものドアが並んでいた。
――カラオケボックス?
こっち、というティアに促されて部屋の一つに入る。
何もない空間だった。いや、真っ暗で何も見えない、と言う方が正確だった。
「ティア? これなに?」
何もなさ過ぎて思わずティアの方を見る。
「シンキ。ライト」
ティアの声に反応して、室内にライトが灯る。予想以上に広大。反対側の壁が霞んで見えないほど。天井も見上げるほど高い。入ってきた所からは想像出来なかった。
「シンキ?」
ティアに聞いたつもりだったが、それがトリガーワードだったらしく、男性の声がスピーカーから聞こえて来た。
『はい。御用ですか? あかり様』
合成とは思えない自然な声。
「シンキ、あかりに自己紹介を」
『了解です。初めましてあかり様、私はシンキ。当ホログラムドームの案内用AIです』
「シンキ。施設の解説をお願い」
『はい。ここはお客様の行きたい場所を作り出し、投影する施設でございます』
「あ、映画館ってこと?」とあかり。
この広さを全部使って映像を映したらさぞや、と思っているとAIが急にまくし立ててきた。この三十年でAIが心を持ったかどうかは知らないが、あかりの発言が彼の琴線を刺激したのは間違いないようだった。
「いえ、そうではありません! 映画館? 映画館ですって? とんでもない! 当施設は最高のホログラムをご体験頂ける施設です。映画館などと一緒にされては困ります! 良いですか? 一口にホログラムと言っても、ただの立体映像などではございません! 洋の東西、歴史の新旧を問わず、あらゆる場所を対象とし、更には架空の風景をも自由自在! どれほど自由自在かと申しますと……』
「シンキ。要点だけでいいよ」
妙にテンションの上がったAIをティアがたしなめる。
『失礼しました。このシステムの驚くべきはその再現度です。例えば……』
ドーム内全体が光る。光が収まると、一面の砂浜が広がっていた。
「な」
青い空、照りつける太陽。波打ち際の白い波濤。踏みしめる砂浜の感覚、何より――海の匂い。
潮と陽光の混ざった、じりじりとした雰囲気まであかりの記憶にある海だった。
『……このように高い再現度を誇ります。さあ、あかり様の行きたいところを教えて下さい。どこへでも、このシンキがお連れいたします』
「シンキ。 取り敢えず水着をお願い」
ティアが言うと、突然あかりとティアの服が水着に変化する。あかりは白のワンピース。ティアは、真っ赤なビキニだった。
「え、待ってどういう理屈?」
思わず胸元を押さえてしゃがみ込んだあかりの肩にティアが手を置く。
「まあそれは、未来的なあれで」
「ななななな」
「大丈夫よ。本当は服着てるし、ここだってビーチじゃない」
「それにしたって」肌を晒している感覚がある。本当に水着を着ているとしか思えない。
「いいからいいから、行こう!」
ティアに強引に手を引かれて海に入る。紛れもない海の感覚。海水に濡れる感覚。潮の予感を捉える肌。
「凄い。ティアこれ、凄いよ!」
ひとしきり二人で海水を掛け合った後、ティアは沖へ泳いでいく。あかりも負けじと泳ぎ始める。
ふと思いついたあかりは、「シンキ、ボートを出せる?」と訊いてみる。
『どのようなボートですか』
「じゃあね、手漕ぎのボート」
あかりを掬い上げるようにしてボートが具現化する。オールを握ると漕ぎ始め、風のようにティアを追い抜いた。
――よーし、このまま。
幾ら広いと言ってもドームの広さには限度があるだろう。あかりは反対側の壁を目指して漕いでみるも、いつまで経っても終端につかなかった。
「あれ、おかしいなあ」
「ばあ」
「うわ」
既にかなり沖へ出ていて、置いてきぼりを喰わせたつもりだったため、いきなり隣にティアが現れて心底驚いた。
「あははは……シンキ、オールリセット宜しく」
ビーチが消える。ボートが消える、水着が消える。当然のように身体は濡れていない。何より、二人は最初の位置から殆ど移動していなかった。
「どう? 気に入った?」
「うん。この未来は凄いね」
「あかりの見識を広めるための活動よ。ちょっと遅くなっちゃったけど。さて、ここはこういう娯楽施設なんだけど、実はオープン前でね。部屋だって本当はこのサイズじゃないのよ。今は隠されているけど、実際はここ、狭い個室なの」
「うそっ」
「ほんとほんと。確かカラオケボックス並みだったはず。あ、壁には触れないよ。ぶつかったら危ないし」
パントマイムのような動作を始めたあかりを、ティアが笑ってたしなめる。
「凄いでしょ」得意気なティア。
今見えているだだっ広い空間は、開放感を演出するために投影してある、解除不能の背景なの、とティアは続けた。
「で、今日は無理言って渡来の力で借りて貰ったのよ――さあ、何でも言って。多分、不可能はない」
ドヤ顔のティア。
「じゃ、じゃあね……」
あかりは下唇を舐める。いつかの楽しい景色、見たことのない景色、様々な風景があかりの脳裏に浮かび、その中からすうっ、と腑に落ちた風景が選ばれる。
「シンキ、大きなクリスマスツリーのある風景をお願い」
空間がビルドアップされていく。雪原、天にも届かんばかりのきらびやかなクリスマスツリー。舞い散る雪と程良い寒さ。
「おぉー。いいね、あかり」
ティアの吐く息が白かった。
「子供の頃、うちの屋敷の庭にあったツリーみたい」
「そうなんだ。さすが渡来」
「ふふ。そうかも」
――どうだあかり、凄いだろう!
「う……」
不意に聞こえた父親の声。しゃがみ込む。
「ど、どうしたの」
慌ててティアも側に屈み込んだ。顔を見るとあかりは――泣いている。
「な、何でもない、何でもないからっ……」
ティアを押しとどめるようにして立ち上がろうとする。足に力が入らなくなっていた。
「ごめん。ちょっと――お父さんのことを」
「ああ……」ティアは目を閉じると、そのまま口を開いた。
「シンキ。オールリセッ――」
「待ってティア。このままでいい」あかりは何とか立ち上がって、ツリーを見上げる。
輝く色とりどりの光で視界が一杯になる。
「未来って、凄いな」
呟いて。
「でも未来って、残酷だ」
どんなに技術が進んで、医学が発達しても、亡くなった人間を生き返らせることは未来でも、出来ないのだ。
「うちね。お父さんが仕事、忙しすぎて殆ど家に帰ってこなかったの。小さい頃はまあ、藤野さん達が相手をしてくれていたからそれほど感じなかったんだけど、中学に入った直後からかな、何だかそれがひどく恵まれないことのように思えて」
すすり上げる。
「馬鹿だよね。何をどう考えても私ほど恵まれた奴もいないはずなのに。ことあるごとに反抗して、憎まれ口を叩いて。お父さんから嫌われてるような気がしていたのかな。だったらこっちも嫌ってやるー、って。はは……もう分かんないや」
ツリーに近づいて、あかりは幹の部分に触れる。生木としか思えない感触が手に伝わる。
「小さい頃、お父さんが庭に大きなクリスマスツリーを置いてくれたことがあってね。このツリーには負けるけど、そこそこ大きな奴。その時の、お父さんのドヤ顔を、急に、思い出して」
嗚咽が漏れた。手で口を覆って、またしゃがみ込む。
「もう一度、会いたいな」
絞り出すような声が漏れた。
「あかり……」ティアが同じようにしゃがんで、肩を抱き寄せる。
「ティア、私、一度、屋敷に帰るよ。このまま、藤野さんにも会えなくなっちゃったらさ……困っちゃうからさ……」
「うん。あかりがそうしたいならそうすればいいよ」
あかりは困ったような顔を更に歪めた。
「あー、すぐじゃないよ。たぶん、今日の認定試験は受かったと思うからさ」
「うん?」
「来年の大学受験に挑戦する。で、受かったら屋敷に一回帰る」
「おお。うん。あかりなら出来るかもね」
二人は立ち上がる。あかりがシンキにオールリセットを告げる。何もない空間に戻る。
「ティア、ありがとね。来て良かったよ」
「そう?」
ずっと胸の奥にあって、けりを付けなくてはいけない感情。それに今日、やっと向き合えた気がする。ティアの両手を取った。
「……ティアって、手、冷たいよね。まあ、私も冷たいけどさ」
「ああ、うん。これは遺伝らしいよ」
「えーなにそれ。そんな遺伝聞いたことないよ」
「あるらしいよ」
「へえそうなんだ……でも、暖かいよね」
「やめてよ、照れるから」
「ふふふ。ねえ、今度は海明さんと三人で来ようよ」
「うん。そうしよう」
「でもここ、借りるのに幾らしたの?」
「ん? 内緒」
「ええー。ティアさん」
「いいのいいの、あかりが気にすることじゃない」
その口振りから、施設の使用には渡来の力を借りたが、費用はティアが出したんだな、と言う確信を得る。
「ティア、今度は私が出すね」
「うーん。気持ちだけ貰っとくよ」
ティアの困り切った表情から、あかりに出せる額ではないのは明らかだ。それでも。
「今度は出す。絶対」
「うん――了解だ」ティアはくすくすと笑うと、あかりの肩をまた抱き寄せて続ける。
「期待せず待ってるよ」
「そうだ。まだ時間あるよね」
「うん。あと三十分くらいかな」
「よーし。シンキ! ファンタジー世界をお願い! それっぽい奴ね! 私たちの格好もそれっぽく!」
あかりのコマンドを人工知能、シンキが解析を始める。『それっぽい』『それっぽく』という揺らぎの大きなキーワードはシンキなりに解釈され、インターネットから取り出した情報が大まかに再構成され、背景として構築され、瞬時にドームへの投影が始まる。
「おおー」ティアが思わず歓声を上げる。
投影された時間は夜。空には三連の月。三日月と満月が同時に架かる不思議な空。一面の草原、渡る風は冷涼。それでいて、空気はすこし湿っぽい。遠くに古城が見えた。
「ティア、その格好」
ティアは金髪になっていた。動きやすそうな緑色の布服を上下に纏い、背中には、弓。
「あかり、あなたもすごいよ」
あかりは対照的に、白に、青の縁取りがされたローブ、手には魔法の杖。
――僧侶、ってとこかな?
ティアの耳を確認して、思わずニヤリとするあかり。
「エルフだね、ティア。よく似合ってる」
「そう? ありがと」
――さすがエルフ。ちゃんと尖ってる。
シンキに出して貰った手鏡で全身チェックするティア。あかりも同じように自分の格好をチェックする。
「これ、海明さんどんな格好になるんだろうね?」
「ぶははははっ。あいつ、意外にお姫様とか似合うんじゃないか?」
爆笑するティアにつられて、あかりも声を上げて笑う。
ティアに抱きついて、あかりはいつまでも笑っていた。




