3.朝食
朝。
流石に好き嫌いが分からないため、とりあえず無難なパン食にしてみた。パンなら小麦アレルギーでない限り、食べるだろう。
おはようの挨拶もそこそこに、パジャマ姿の亜貴がリビングに顔を出す。
「…うわ」
ダイニングテーブルに並べられた皿を見て、開口一番、亜貴がそんな声を漏らした。
二人分のセットされた皿の上には、サラダとウインナー、スクランブルエッグが盛られている。
起き出してきた音を察知して、今、作り終えたばかり。黄色のふわふわ玉子は湯気を立てている。
亜貴の漏らした声は、けっして好意的なものではない。朝を適当に済ませて来た人間には多い量だろう。
ああ、ああ。分かっているとも。どうせ朝もろくに食わずにその辺のコンビニの菓子パンとか食ってた口だろう。
だが、俺がここの家政婦でいる間は、きっちり食わしてやる。そしてその、とり澄ました顔をぶくぶくに太らせて変形させて…。
「顔。怖いぞ? おはよう。大和」
同じく起きてきた岳が、恐る恐る背後からそう声をかけてきた。俺はうむ、と頷くと。
「おはよう。亜貴もな。さっさと食って学校行け。そこに弁当もある。もってけ」
指し示した方向には、ブルーのペイズリー柄のナフキンに包まれた弁当が、キッチンカウンターの上に鎮座している。
ナフキンは昨晩、部屋中漁って、引っ張り出してきたバンダナだ。
当分はこれで代用するが、そのうちクマのキャラクターものにでもしてやろうかと思っている。
「は? 弁当って、なにそれ。ダサ!」
「ださいとか言ってんじゃねぇ! 自分の身体をもっと大事にしろってんだ。コンビニ弁当ばっか食ってっと、三十過ぎたらろくな目にあわないんだぞ! それに」
ちらと岳と見てから。
「お前が今までも、これからも口にするもんは、お前の大好きなお兄ちゃんが汗水たらして作った金で買ったもんだ。…多分。それを無駄にするってことは、岳の苦労も足蹴にしてるってことだ。分かったら大人しく食え」
「んだよっ。そんなの、わかってんだっての」
ぷりぷりと怒りながらも、席に着く。
「で。お前嫌いなもんは?」
「…分かんない」
「は?」
「だって、ずっとコンビニ弁当とか菓子パンとかファストフードばっかだったし。好きなもんしか食べてないから何が嫌いか分かんない」
こ、これは…。重傷だ。
「わかった…。今後色々だしてくから、嫌なもんがあったら言え。ただ、アレルギーでない限りは少量でも食ってもらう」
「あ。一個だけ…」
「なんだ?」
「…冷めたご飯」
うお。泣かせるじゃねぇか。
思わず滲んだ涙を、誤魔化す様に手でこすりつつ。
「分かった。さっさと食え」
「……」
亜貴は目の前に置いた野菜具沢山スープを手に取って啜った。
とりあえず、味に個性があるものは入れていない。玉ねぎとかぼちゃ、ブロッコリー、しめじ、人参。
いや。人参は個性があるが、小さく切ったし行けるだろう。鶏肉も少し入っている。出汁は手を抜いて無添加顆粒出汁に塩を少々足してあった。
特に感想なんて期待していなかったが、そのまま亜貴は黙々と食べていた。二枚出したトーストも、野菜サラダもふわふわ玉子もウインナーもぺろりと平らげ。
無言で席を立った。
「おい。ごちそうさまは?」
岳の指摘に。
「いつも言ってない…」
「亜貴」
岳が少し語気を強めれば。
「…ご馳走さま」
言った端からプイと顔を背け、身支度を整える為、自室へと戻って行った。
その背を見送った後、岳は。
「ったく。しかし、ちゃんと食べたな?」
「あの年だ。朝食わねぇなんてありえねぇ。鴎澤さんだってそうだったろ?」
俺は亜貴の食べ終えた皿を片付けながら、岳を振り返った。
岳の前には、後ひと口ふた口程度のトースト、半分以上なくなったサラダと玉子。同じくあと少しで飲み終えるスープが置かれている。こちらもよく食べていた。
「そうだな…。そうだったかもしれない」
岳はテーブルに肘をついて、こちらを見つめている。
「おい。食べてる最中に肘つくなって。行儀悪いぞ」
「はいはい。家政婦さんはしつけも厳しいね? で、食後にコーヒーよろしく」
「昨日、それだけは別の店で買ってたもんな? 好きなのか?」
「うん。まあ、習慣かな? うちの秘書やってるやつが好きで影響された」
「ヤクザにも秘書がいるのか?」
「…何か勘違いしてるようだが。ヤクザって商売はないんだ。うちは金融関係含め不動産から現場まで手広くやってるよ。秘書は必要なのさ」
「ふうん…」
てっきりあくどい商売ばかりしているのかと思った。まあ、やり口はどうなのかはさておき。
「鴎澤さんはこれから仕事か?」
「そう。経営してる会社に出社予定」
「俺に監視はつくのか? 勝手に外に出るのは禁止だろ?」
「ああ。逃げられても困るからそういったけど。今の君みていると逃げそうにないよな…。が、とりあえず、家の玄関は暗証番号無いと開かない様になってるから。無理やりこじ開ければすぐ連絡が行って、常駐してる監視役の組員が来るようになってる」
「了解。てか、内側からも暗証番号って、なんでだ? 前からか?」
「亜貴が脱走するから、その予防だ。昨日も話したが、家族と言うより亜貴の安全の為だ。ここ最近、うちの組の周辺が騒がしくてな。一人でぶらぶらさせるわけにはいかないんだ」
「厳しいな。亜貴が苛ついてるのもそのせいか?」
「それもあるだろうな。俺だって同じ年の頃、閉じ込められたらと思うとゾッとする。何とかしたいとは思っているが…」
そこまで言うと、少し視線を落とし考え込む様な表情になったが。
「まあ、何とかするつもりだ」
「お、おう…」
そう言って笑んだ岳は、きちんと手を合わせご馳走さま、と言う。
俺はコーヒー豆をミルで挽きつつ、そんな岳を眺めた。
肩に緩くかかっていた髪は、今は後ろで結んである。まとめ切れず前髪や後れ毛がふわふわしているのはご愛嬌か。
眼差しは何処か憂いを帯び、精悍な顔立ちであるのに、甘さがある。
これがヤクザの跡取りとは、一見しただけでは誰も分からないだろう。
「なんだ?」
俺の食い入る様な視線に岳が気づき、顔を向けて来る。何でもないと、慌てて意識を手元に戻し、挽き終え粉状になった豆をドリッパーヘ開けた。
なんだ? このドギマギしてる感じ。
まるで、昔読んだ少女漫画の主人公のようだ。何とかそのドギマギを抑えつつ。
「…鴎澤さんって、仕事になるとガラッと変わるタイプなのか?」
「いや。どうだろう? 大和と初めて話した時と同じだよ。てか、苗字呼び止めようか。亜貴も鴎澤だし。岳でいい。呼び捨てでかまわないよ」
「お? そういうの平気な奴か? ヤクザの世界は上下関係厳しいんじゃねぇの?」
「ヤクザ、ヤクザ言わない。列記とした株式会社経営してんだから。それに君は一般人でだろ? ハウスキーパーとしてに雇ったけど、俺達側じゃないんだ。俺が気にしなきゃ何だって構わない」
「へぇ…。じゃあ、名前で呼ばせてもらう」
見た目といい、ヤクザらしくない。こんな奴が跡取で大丈夫なんだろうか。
別にヤクザの世界がどうなっても構わないが、少々不安にも思えた。
ま、俺のいる間だけでも潰れなきゃいいか。
俺は鼻歌を口ずさみつつ、温めたカップヘコーヒーを注いだ。
「ミルクと砂糖は?」
「ミルクのみだけど。今日はブラックで」
座って待つ岳の前にコーヒーを置く。特にマイカップは無いとのことで、適当に選んだ。白くやや厚みのある大振りのコーヒーカップだ。大きな手の岳には合いそうだった。
「あ、うま」
香りを嗅いだあと、口つけてそう一言。
おお。嬉しいじゃないか。
岳の緩んだ口元にほくそ笑む。そうして暫くコーヒーを味わったあと。
「大和はコーヒー、飲んでたのか?」
「安い豆だけど。親父が好きだったから。タバコふかして、コーヒー飲むのが好きだった。まあ、極たまにだったけどさ。何とか上手く淹れたいから、練習で飲んでるうちに習慣になって。そんなとこか」
「なかなかしんみりする話しだね? 君の親父さんはいったいどこに隠れたのか…」
「どっかで無事でいてくれればいいけどさ。ったく。迷惑しかかけねぇんだから」
「本当に行き先は知らない?」
チラと鋭い視線が投げかけられる。俺は頭をかきつつ。
「…知らねぇ。とっくの昔に親戚との縁も切れてるし、俺も身内なんて分からない。行き先知ってたら、首根っこ捕まえてでも引っ張って来るけどな」
そっか、と一言口にして、岳はコーヒーを飲み終えると席を立った。
「俺はこれから迎えが来るから。大和は適当に休み取ってな。後はよろしく」
「おう」
「と、あとひとつ」
立ち止まった岳は振り返ると。
「食事は一緒にとろうか? どうせ食べるんだったら一緒の方が片付いていいだろう? それに、一応家政婦として雇ったけど、俺に関わったものは家族だと思ってる。牧たちも含めてな?」
「お、おう」
俺の返事に岳は満足げに笑むと、仕度の為自室へと戻って行った。
ふうん。一緒に食べていいのか…。
家政婦となった以上、仕える相手と一緒に食べるのはどうかと思い、遠慮したのだが。
家族…ね。
父親以外にそんな存在を持ったことがない。なんだかそこばゆい響きだった。




