21.その後
水に濡れた床に横になったまま、ほっとひと息つく。取り敢えずの危険は去ったのだ。
そう思った途端、銃身で殴られた側頭部が、痛みを主張し出した。
あー、ズキズキする…。ちょっとは加減しろってんだ。
背中を殴られたせいで呼吸も苦しい。
「大和、大丈夫か?」
岳が自身の怪我も顧みず、俺の側に片膝をついて覗き込んでくる。溜まった水が膝を濡らした。
「岳、こそ…」
左の肩口に血が滲んでいる。どう見積もっても痛そうなのだが。
「掠った程度だ。大した事はない。それより目眩はないか? 横になっていたほうがいい」
身体を起こそうとすると、寝ているように言われた。側頭部の傷口にすぐにタオルが当てられる。潔が横から引き取って。
「背中も殴られてな。今は息もするのがやっとだろう」
その通りだった。
っとに、あいつ。今度は絶対、のしてやる。
「大和、少し動かすぞ」
岳は俺を濡れた床から抱き上げると、潔が空けたベッドへと寝かしつけてくれた。
「ベッド、濡れる…」
「そんなこと気にすんな」
岳の手がそっと額を撫で、水と血で濡れた髪をかき分ける。岳の手の温もりが心地良かった。
「…岳も、親父さんも。無事で良かった…」
心から安堵する。目を閉じてそう漏らすと、岳が笑った気配。
「俺はお前が無事で良かったと思ってるよ…」
額を撫でていた手が止まって、髪をくしゃりとかき上げた。
潔は少し離れた所から、そんな俺たちを黙って見つめていた。
その後、すぐに医師らが駆けつけ、岳と共に適切な処置を受け大事に至らずにすんだ。
岳の傷は確かに掠った程度ではあったが、それでも深かった様で、岳の言うような軽い怪我ではなかったらしい。
俺は処置を終えると、そのまま真琴とともに帰途に就く。
「岳は? 帰らないのか?」
俺の問いに岳は少し疲れた様に、口の端にだけ笑みを浮かべると。
「俺は親父と話がある。先に真琴と帰っていてくれ」
「分かった…」
こちらに背を向けた岳に、俺はいつもと違う何かを感じた気がした。
+++
「災難だったな」
運転席の真琴は助手席に座った俺に、労わりの眼差しを向けてきた。俺は首をふると。
「俺はいい。けど岳の親父さんは狙われて、岳は撃たれた。あいつ、ぶん殴ってやりたかった…。真琴さんは下で何があったんだ?」
「ああ。駐車場で楠の弟の部下に囲まれてな。ひと悶着あったんだ。岳が来て難を逃れたが、襲ったにしてはすぐに引いた。これは囮だとすぐに踵を返したが、危ない所だった…」
ハンドルを握った真琴はため息をつく。
「大和には危険な目ばかりあわせてしまって。申し訳ない」
「いいって。俺はそういうの込みで家政婦やってるし。だから藤にも教わってんだ。それが役にたって良かったって思ってる。あいつ、藤より全然、隙だらけだったし」
でなければ、今頃、病室でこの世とおさらばしていた所だっただろう。藤にも感謝だ。
真琴は不意に真剣な眼差しになると。
「君は…強いんだな」
俺はその言葉に肩をすくめて見せると。
「それ、岳にも前に言われた。けど強いって言うのか? 単なる向こう見ずとも──」
真琴は首を振って笑う。
「前を向く強さだな。立ち向かう所がね」
「そっかなぁ。ただの喧嘩好きなのかもな? 俺って」
同じく笑って肩をすくめると、みしりと背中が痛んだ。
「っ!」
幸い打撲ですんだが。
あいつ思いっきり殴りつけやがって。
殴られた側頭部には包帯が巻かれ、背中は湿布だらけ。まだ頬には白いテープが張られている。
「俺、そのうちミイラみたくなるかも…」
するとくっくとハンドルを握ったまま真琴が笑い出す。
「それは可愛いミイラが出来あがりそうだな?」
「可愛いって、真琴さんまで言う? ったく。ひでぇな」
その後、夜になっても岳は帰って来なかった。




