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Take On Me   作者: マン太


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15/42

15.岳の朝食

 次の日。

 言った通りに、それでも少し早目にリビングに顔を見せると、(たける)がキッチンに立ち洗い物をしていた。

 既にテーブルの上には、サラダとヨーグルトが置かれていて、トースト用の空の皿は主が来るのを待ち構えている。


大和(やまと)、目玉焼き、幾つ食べるか?」


「えっと、一個で…」


「苦手なもんはないんだろ?」


「あ、おう。何でも…」


 岳は洗い物を終えると、手早くフライパンに玉子を割り入れ、空いた所へウィンナーを放り込んで行く。

 その間に俺はガス台にあるスープを装った。

 あっさりとしたキノコとワカメのスープに、ショウガが僅かに効いているのか、いい香りが漂った。

 岳の様子はいつもと変わらない。昨晩の甘い空気はそこになく。

 俺はあの後、色々思い返しては朝方近くまで眠れず寝返りばかりうっていた。

 熱い告白。その後の行為。

 あれはどう考えても、キスの一歩手前で。


 あれは俺の思い過ごしか?


 岳の平素と変わらない様子に、ついそう思ってしまうが。


「自分の分だけでいいぞ。亜貴(あき)はぎりぎりまで起きて来ないからな」


「だな」


 そう。亜貴はいつも食べ終えて歯を磨いて、ぎりぎり間に合う時間に起きてくるのだ。

 が、今日は違った。


「お早う…」


 亜貴が、まだ余裕のある時間に起きてきたのだ。


「お早う、亜貴。お前は玉子二個でいいか?」


「うん」


 岳の問いに頷き席に付いた亜貴は、じっとキッチンに立つ岳を見つめている。その視線はどこか探るように岳に向けられていた。

 俺は不思議に思いながらも、向かいから声をかける。


「はよ。亜貴。ちゃんと起きられるんだな?」


「兄さんが作ってくれるのに、起きない訳ないだろ?」


 俺をチラと見たあと、当たり前だとばかりに小さくため息をつく。


「何だよ。差別すんなよ。俺の時だって起きて来いよ。俺だって岳の代わりとしているんだからな?」


「代わりなんかじゃないよ。大和は」


「ああそうだな。俺じゃあ、岳の足元にも及ばねぇもんな」


 わざと拗ねたふうに言えば、亜貴はテーブルに肘をつき顎を乗せると。


「大和は大和だもん。兄さんとは違って当然だろ? …兄さんに持たない感情を大和に持つことだってあるよ。昨日もそれを言おうと思ったんだけど…」


 んん?


「何だ? その感情って…」


 聞きかけた所に、岳が目玉焼きとウインナーの乗った皿をそれぞれの前に置く。会話はそこで中断された。


「喋ってないでさっさと食えよ。亜貴」


「分かってる…」


 亜貴はもの言いたげに、視線で岳を追う。

 その岳は自分の分もテーブルに置き、トーストを盛った籠を中央へ置くと、スープも亜貴と自分の分をよそって席に着いた。

 いい加減、視線を外さない亜貴に岳は。


「亜貴、直に送迎の時間だぞ」


「…いただきます」


 その言葉に、漸く朝食を食べ始めた。

 岳の作った朝食は、シンプルだが味付けも薄すぎる事も濃すぎることもなく、そこから手慣れた感を受ける。


 昔は自炊してたって、本当だったんだな?


 改めて感心する。

 そんな朝食が終わり、一段落すると俺は食器をシンクに運びながら。


「片付けは食洗機だし、後は俺がやっとく」


 亜貴は着替える為、自室に戻って行った。

 食後のコーヒーを淹れる岳は、ドリッパーにお湯を注ぎながら。


「入れるまではやる。俺は後から出るから時間はあるんだ」


「そうなのか?」


 何時も亜貴と一緒に出ていたはずなのに。


 岳はサーバーに落としたコーヒーをそれぞれのカップへと注ぐと、ダイニングテーブルに置いた。

 岳が座ったのに習って、その向かいへと座る。


「今週だけ出勤時間をずらしたんだ。真琴が迎えに来る」


 岳はコーヒーを飲みながら答えた。


「もしかして、食事の準備があるからか? やっぱり無理してんじゃ──」


「してない。それより、頬は? 痛み止めはちゃんと飲めよ?」


 頬の傷は薬がちょうど切れたようで、痛みだしていた。慌てて薬の入った白い紙袋を探すと、直ぐ目の前にそれが差し出される。


「痛み止めも化膿どめも胃薬も、全部飲めよ?」


「ありがとうゴザイマス…」


 それを受け取って、へへぇと恭しく額に押し頂く。それを見て岳は笑いだした。


「ったく。お前はホント、フザケてるよな?」


「何だよ。雇い主にかしずくのは当然だろ?」 


 岳は手の中でカップを揺らしながら。


「かしずく、ね。なあ、大和。俺はお前にとって、ただの雇い主ってだけなのか?」


「岳…?」


 コーヒーの湯気越しの岳の眼差しはやけに熱い。これは、昨晩と同じ目だ。

 トクリ…と、心臓が鳴り出す。


「俺は大和を、ただの家政婦だとは思っていない」


「家族同然…って奴か?」


 イヤ。本当は分かってる。


 問う声が思わず上擦った。


「それもある。けど、もっと別の理由だ」


「別の、理由…」


 反芻する俺に、岳は笑むだけで答えない。

 そのまま、空になったカップをシンクへ持って行くと、食器を手際よく食洗機へと入れていく。そうして全て終えて腕時計に目をやると。


「そろそろ行く時間だ」


 そう言うと、仕度の為にリビングを出る前、未だコーヒーをちびちび啜っていた俺の方へ寄り。


「薬、ちゃんと飲めよ」


 怪我をしていない右の頬に触れてきた。


「お、おう…」

 

 くすぐる様に触れた指先は直ぐに離れたが、何故か俺の頬はいつまでも熱を持っていた。


+++


 先に亜貴が出て、そのうち真琴(まこと)が岳を迎えに来て、家には誰もいなくなった。

 洗濯物も既に岳が干してある。

 せめて掃除だけはすると宣言し、何とか掃除機を使う権利を得た。

 高性能の掃除機は、充電式で軽い。ゆっくりやれば身体に負担になることはなかった。

 身体も打撲等の痛みはあるものの、我慢出来ないほどでは無い。

 意識していたわけでは無いが体を鍛えておいて正解だった。


「ふぅ」


 開け放った窓から心地良い風が入り込んで来る。青い空の下には、干した洗濯物が揺れていた。


 岳はこれがいいって言ってたな。


 確かに洗濯物がのんびり揺れる様は心和む。俺も好きな景色だ。

 岳は俺を、ただの家政婦とは思っていないらしい。それは今迄の岳の行動からも感じてはいたが。


 それなら俺にとって、岳はどんな存在なんだろう。


 親父の借金した貸金業のお偉いさんで、鴎澤(おうさわ)組の若頭で。

 亜貴の兄で真琴の親友。俺の雇い主。


 他には?


 昨晩といい。

 一緒にいたいという言葉に心が浮き立ち。

 近づく岳の顔に、ストップをかけようとしなかった。

 あれはどう考えてもキスで。亜貴が来なければ、していただろう。

 その行為を受け入れていた自分。

 それが何を意味するのか、流石に分からない俺じゃない。


 俺にとって、岳は──。


 毎日、お早う、行ってらしゃい、お帰り、お休み。

 そんな言葉を向けているうちに、岳の言う家族的な思いが生まれていたのは事実で。

 そう言える相手がいることの幸せを感じた。

 俺も岳と一緒にいたい、そう思え。

 大切な存在には変わりない。

 けれど、それは家族に対するそれなのか。それとも、恋愛対象としてのそれなのか。


『側にいて欲しい』


 あの言葉には、どんな意味がある?


 岳の言った、別の理由を知りたかった。

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