津波
「だから嫌いなんだよ。てめぇなんて。」
そう言われて世界が止まった。
自分が何をしているのか、現実に引き戻されるには十分な言葉だった。
このまま沈むしかないと分かったところで、やっと解ったところで気づかされるなんて。
何も出来ない。
このまま終わるしかない。
そう理解するのが最後の作業だった。
「――――――――――――!!!」
静かに緋が眼前を濡らしていく。
そこには笑みが貼りついたまま・・・。
私の頬を冷たい指先が滑り、落ちた。
視界が忙しなく明暗を繰り返す。
次に頬を滑ったのは生温かい液体。
それは、雪が何もかも覆い尽くすような静かな夜――――。
ここは日本国とある村。
田舎の村であっても人々は時には徒歩、時には自動車、時には自転車で日々忙しなくこの道を通る。
明け方は農作業に向かう軽トラックや物好きなジョギングをする人、日が昇れば出勤・登校する人々、日中は朝の農作業を終えた軽トラックやおばさま方の小団体と通過する人々はほぼ日常的で変わらない。
そう、あのようなことは極稀に…そうそう起こるものではないのだ。
「こんにちは。」
下校の時間、いつものように少女が私に挨拶をしに来た。
「今日もいい天気だったわ。このところ気温も安定してきて過ごしやすいの。」
いつものように何も答えない(・・・・・・)私に怪訝な顔をするでもなく、どんどん話を進めていく。
「あ、今日もこんなんしかないけど、どうぞ」
そういって少女は飲みかけのお茶が入ったペットボトルとおやつ用に持っていたキットカットを私の前に置いた。
(いつもありがとう。)
口には出さなかったが少女はにこっと笑った。
「今日はねー・・・」
この少女は学校帰りにいつも訪ねてくれて、その日起こったことや自分の愚痴などを話していく。
もうそれは日常化していた。
「あら、琴乃ちゃん。今帰り?」
「あ、おばさんこんにちは。」
琴乃と呼ばれた少女に、買い物帰りと思しき買い物袋を自転車の籠に乗せた女性が声をかけた。
「今日のお昼は少し暖かかったわね。また急に気温が下がらなければいいんだけど・・・。琴乃ちゃんももうすぐ試験でしょ?体調崩さないようにね。」
おばさんと呼ばれた女性は一方的に“琴乃ちゃん”に話しかける。
「明日まではこの気候みたいですよ。」
琴乃は笑顔で答える。
「そう?よかったわ。そういえば琴乃ちゃんはどの大学に行くの?今年でしょ?受験。」
「たははー」と照れ笑いのようなものをしながら琴乃は小さな声で言った。
「第一志望は…東京の大学なんです。」
「まさか東大?」
“東京”と言えば“東大”らしく、おばさんは目を丸くして聞いた。
「いえ、あまり有名ではない学校ですよ。行きたい学部があって・・・。」
「へっえー!すごいわねぇ。」
何がすごいのかは分からぬが、おばさんは感嘆の声を上げた。
「あら!もう時間だわ。じゃあ、がんばってね琴乃ちゃん。」
おばさんは携帯電話を取り出して時間を確認すると、そういって急いで自転車に乗って去って行った。
琴乃はしばらく笑顔でおばさんを見送ったが、おばさんが見えなくなるとまたしゃがみこんで私の方を見た。
「ホントはあの人の元から早く逃げ出したいだけなんだけどね・・・。」
伏し目がちにそう言った。
琴乃にはいつも“あの人”と呼ぶ保護者が居る。
「いつか復讐してやるんだ・・・。」
どのような人間なのか、外見しか見たことがないため分からないが、琴乃はあまり良く思っていないらしい。
琴乃が小学生の時に何度かこの道を一緒に通っていたのを見たことがあるが、2人とも無表情で琴乃は地面を見ながらその者の後ろを追いて行くだけだった。
その様子を見た数日後から琴乃は私のもとへ通いだした。
小学校の帰り道だったのだろう。とは言え土日も欠かさずやってくる。
あれから何年経ったのかもう日常になっている。
5年ほど経ったころだったか、琴乃は言った「大雨や大雪で来れない日以外に私が来なかったらもう私に会えないと思ってね。」
いつも話を聞き流していたが、何故かそれだけは残っている。
それはある日、突然だった。外にいてもわかるくらい激しく地面が揺れた。
数十分後、琴乃の保護者が琴乃を持っている。私の目の前にある道から私向かって歩いてくる。
近づいてくると段々何かを繰り返しつぶやいている声が聞こえた。
しかし、何を言っているか聞こえる前にもっと奥の方からゴゴゴゴゴッという音が聞こえた。
その音に保護者も気づいたのか振り返り、後ろを見る。
なぜか足元に水が迫ってきている。
段々と奥に影が見えだした。視認できた時にはそれが白波だと分かった。
この間わずか数十秒。
保護者は琴乃を投げ捨て必死の形相で私の方へ走り出した。
しかし、もう遅かった。保護者は私の眼前で濁流にのみこまれた。
私と、琴乃も一緒に――――。
水の中で木や建物の残骸などにぶつかりながら思った。
あぁ・・・私は琴乃の復讐を叶えることができた・・・。
ある願掛け地蔵のある物語である。