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「主人公」ってめんどくさい!  作者: がらぱごす
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I「日常」-②「ささいな黒歴史」

 保健室に行った。

 教室を出た後、学生に会いたくなかったし頭痛がする気がしたのであながち仮病でもないはずだ。


 保健室には養護教諭の高梨先生がいた。

 今年の三月に大学を卒業して赴任してきたので、本当に新米教師だ。なんで保健の先生してるのか、とか、1000年に1人の保健室の先生とか神がかってるとか生徒が口を揃えて言うくらい神がかってるくらい綺麗で、年齢が近いこともあって生徒から大人気。男子生徒は何かと理由をつけて保健室に行こうとしたせいで高校創設以来類を見ない保健室の利用者数を叩き出してしまい、管理職に目をつけられているらしい。


 ピピピッと脇に差した体温計が鳴る。

 36度5分、平熱である。体調は悪くないのだから当然だった。


「平熱ね。」

「あいたたた、頭が割れるぅ」


 高梨先生は呆れ顔だ。俺も保健室に冷やかしにきた連中と認識されてしまったらしい。ちょっぴり悲しい。


「今日はベッド空いているし、気分が悪いならしばらく休んでいってもいいよ。」

「あれ……?ありがとうございます。」


 そうしてアスカは高梨先生の好意に甘えさせてもらうことになった。


 昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴ってもアスカは保健室にいる。ハルカたちクラスメイトにどんな顔で会えばいいのかわからなかったからだ。

 あのあと安田から話の続きを聞いたのだろうか。

 高校で作り上げた『桐生明日香』像が壊れてしまったら幻滅するだろうか。

 アスカはしばらく考え事をしていたが、精神的に疲れていたのか、眠ってしまった。


 ***


 目を覚ますと、俺は中学生だった。野球部の練習技を着ている。

 これは夢だ。俺は直感した。


 周りには同じユニフォームを着た中学生がいっぱいいる。アスカは全員の顔に見覚えがあった。数人顔と名前が一致しなかったが。


「うあー、めっちゃあちーな。」

「まじやばいわ、松島。全然水飲ませてくれねえもん。」

「まじでそれ!」

「あっはっは、監督呼び捨てにすんなって!」

「プール行かね?隣町の。」

「あ、それ思った。行こうぜ行こうぜ!」


 20人から30人くらいの1年生の大集団。5, 6人の集団がいくつかできて喋っている。アスカは彼らの会話を聞いていた。

 そういえば野球部顧問の松島先生がとても厳しかったんだっけ。1年の間は学校の外周を走って筋トレしてって基礎トレーニングばかりだったことを思い出す。懐かしいなあ。

 だからこそ練習が終わると地獄から開放されたとでも言わんばかりに、みんな楽しそうにおしゃべりしたり練習後の遊びの予定を立てたりしていた。


 できる限り会話の邪魔にならないように、アスカはいくつかの集団の一つ、小学校からの友達の集団に話しかけた。「ねえどこに行くの?僕も一緒に行っていい?」と。

 彼らは様々な反応をした。露骨に顔を見合わせる者。「えー、あー…」とはっきりしない態度をとる者。そもそもアスカを無視して会話を続ける者。

 共通しているのは、『おまえ、入ってくんなよ』という排他的な雰囲気だ。

 彼らの中でも優しい男の子が、励ますように話しかけてくれた。「今日はやっぱり行かないから、また今度、一緒に行こう」と。


「う…うん!わかった!また今度ね!」


 黒歴史を思い出して顔を枕に埋めたくなった。

 きっと俺は痛々しい作り笑いを浮かべている。どんなに表情を変えようとしても変えられない。彼らに「先週もそう言って遊んだんでしょ!嘘つくな!」と怒鳴ろうとしてもできない。なぜならこれは夢であり過去の記憶だから。


「またあいつハブられてんじゃん」

「仲間はずれにされてるの気づいてねえの」

「つうか俺らもあいつらとプール行くんだけど、ははは、中止なんじゃね」

「なわけないだろっ!」


 これが、安田が言いふらそうとしていた俺の黒歴史。 そう、俺は仲間はずれにされていた。


「情けねえ」


 パチンッというフィンガースナップの音がしたと同時に、夢の世界から赤、青、緑、すべての色彩が消えて、世界は灰色に染まりアスカ以外の人物の動きが停止した。

 その灰色の世界に、アスカとは別の声が割り込む。声変わりする前の少年の声だ。懐かしさを感じるような聞き覚えのある声。

 少年の言葉は、夢の世界の中で唯一、『現在の桐生明日香』に向けられたものだったが、アスカは声の方を振り向かなかった。

 会話に応じる必要は、アスカにはなかった。どうせ夢、何をしようと意味はない。


「その通りだな。そして自業自得だ。」

「自業自得?仲間はずれにされることが?」


 誰にも打ち明けたことがない話だ。現実では話せないことだが今は夢の中、話を聞いているものはいない。今会話している相手だって、きっと意識が勝手に作り出した幻だろう。


「昔、同じことをした。あいつに。」


 俺はさっき嘲笑ってきた集団のうち、二人を指差す。小学校からの友達だった。


「小学6年のときに、恋愛が流行った。それは別に良かったけど、そのことであの子はグループのリーダーにからかわれ始めた。からかいがエスカレートして、それでだんだん俺たちは彼抜きで遊ぶようになった。」

「へえ。それで、大事な大事な友だちが仲間外れにされているときにお前はどうしたの?」

「俺は一緒に仲間はずれにした。だから俺が仲間はずれにされているのは因果応報で、それに耐えられなくて野球部を辞めたのは十割自業自得だ。」


 少年が激しく笑い、俺を詰る


「あははは!あはははははははははッ!オマエは大切な友人を輪からはじき出してぇ?そして自分が仲間外れにされただって?しかも自分が仲間はずれにされるのは耐えられなくて逃げ出した?確かに自業自得だな!あーあ、良かったよ自覚症状があって。」


 嘲笑を浴びながらアスカは恩人である友人を輪から排斥した当時の自分のことを思い出していた。


 俺は友達を仲間はずれにしたかったのか?違う。みんなで遊ぶほうが楽しい。

 ではなぜ彼を仲間外れにしたのか?自分が逆の立場に立ちたくなかったからだ。

 仲間はずれにしたとき何を思った?自分は安全な立ち位置にいることに安心していた。


「卑怯者。」


 少年は言った。


「お前は昏い悦びを感じていただろう。弱者を踏みつけるのは楽しかったか?偽善者。加害者に巻き込まれた被害者面をするのはやめたらどうだ。人の形をした醜い悪魔め。」


 少年は黙った。言いたいことは言い切ったのだろう。先ほどまでの苛烈なオーラが霧散し沈黙が落ちた。


「…………………………………………」


 アスカは黙り込んだまま、嘲笑を浮かべたまま固まっているかつての友達を眺めている。

 沈黙を破ったのは少年だった。


「はぁー、なんて他愛のない……もういい、目が覚めるまで過去に嗤われていろ。何も行動せず、己の無力と卑怯を思い知らされながら。」


 パチンッ。


 二度目のフィンガースナップが鳴って世界は色を取り戻し、時間が流れ始める。


 一度深呼吸して、俺はかつて友達だった奴らに近づいた。


「ごめん。ありがとう。元気で。」


 一言ずつ噛み締めて、相手に届け、そして自分に刻みつける。

 人生で一番丁寧に頭を下げる。

 返答は返ってこない。夢であり記憶なのだから当然だったが、そのまま体を起こさずに、己の言葉に対するかつての友達の反応を待った。夢であり記憶なのだから覚めるまで好きにしよう。


「いい加減、顔をあげろよ。そいつらはオマエのことなんか見てないし気づいてもいない。そいつらは夢の中の幻で、自我も意識もなくて、オマエの記憶に従ってそのとおりに動いているだけ。つまりいくら謝ってもそれは自己満足だ。何の意味もない。」


「分かってるよそんなこと。ただの自己満足だ。」


 姿勢を戻して少年の方を向く。


「過去の俺ができなかったことを、今の俺はできる。」


 俺が挑発するように言うと、俺が食らいつくように応える。


「人の皮を被った卑しい悪魔が言うじゃないか。それでもオマエの本質は変わらないぞ。自分が不利な立場に立ちそうになったら、我が身可愛さに必ず他人を蹴落として自分を守ろうとする。俺自身が保証してやる。」

「ハッハッハ。」

「笑うな!このクズが!何も面白くねえよッ!」


「ごめんな。損な役回りをさせて。俺には過去を変える力なんてないから、オマエは一生、『桐生明日香』の人生における汚点なんだもんな。」

「クソッ!離せよくそ!年上のくせにずりいんだよ!クソ!クソ!くそ…」


 俺は俺を抱きしめる。俺は俺から逃れようと必死に暴れたけれど、したいようにさせる。そのうち抵抗しなくなった。


「オマエの罪は俺が一生背負うから。はたちになったら成人式の同窓会でもう一回あいつらに謝る。きっと俺はあいつらに嗤われて馬鹿にされて、何言ってるんだって気持ち悪がられて……なんか腹たってきた。」

「……ばっかじゃねえの?それくらい耐えろよ、クズ。」

「ああそのとおりだ。おれってクズなんだ。馬鹿にされたくないし、人に下に見られるのは気に入らないんだよな。だから今、力をつけようと頑張ってるんだ。権力とか財力とか武力とか。力があれば、周りを気にしないで自分の道を進める。」

「見下しそう。だって俺ってクズだし」

「さすが俺。よく分かってる。」

「褒められてる気がしない……」

「ま、手に入れた力は大切な人と譲れないものを守るために使う。じゃないと主人公哲学に反するからね。思い出したんだ。夢は主人公になることだったんだってね。まあ、方法はわからないけれど。」


 いつの間にか中学校の校舎や運動場、そして野球部の部員も消えていた。世界は白くぼやけて、そこに存在するものは生物、無生物問わず輪郭がぼやけていく。それはアスカも例外ではない。唯一、『過去のアスカ』だけは形を保っている。


「なんか俺の手、透けてない?」

「そろそろ夢が覚める頃なんだと思う。」

「そっか。じゃあお別れ?」

「うん。お別れ」

「もうちょっと話したいなあ。」

「馬鹿言ってないで、もう行けよ。さっさと行け!ほら早く!」

「冷たいなあ。それじゃあ、ありがとね。」


 夢の世界の不思議な力に導かれるまま上へと引っ張られていく。


「頑張るから!辛い思いさせてごめん!バネにして力つけるから!ありがとう!またねーー!」


 地上のアスカは『未来の自分』に向かって大声で応えた。


「うっせーーー!オマエになんか二度と会わねーよーーー!」


 そして『桐生明日香』は夢の世界からいなくなった。


 ***


 過去のアスカは地面に座り込んで、両足を前に投げ出し、両手を地面に付いた。晴れやかな気持ちで『未来の自分』が飛んでいったほうをアスカは眺めていた。

『未来の自分』はいなくなり、この世界に残ったのは『過去の桐生明日香』だけ――


「もういいかしら」


 ではなく、女の声が割り込んだ。


「待ってくれてありがとうございました。」


 アスカは首を巡らせて背後の女性を見る。神がかって綺麗だ。

 小学校1年生のとき、小学校6年生がとても大人っぽかったように中学校1年生のアスカにとって、(正確な年齢は教えてもらってないけれど外見的におそらく)高校生か大学生の女性はとてもきれいで大人の女性という感じがした。


「どういたしまして。でも大したことじゃないわ。それでどうだった?『未来の自分』は」

「完敗です。もう俺はあいつに要りません。約束通り、あいつを別の世界に連れて行ってください。」

「そう…その場合、あなた以前の『桐生明日香』の存在記録はこの世界から抹消される。それに『未来のあなた』が新しい世界で幸せになる保証はない。本当にいいの?これが最後の決定になるわよ?」

「お願いします。」


 女は嘆息する。アスカの頑なさに諦め、虚空から一振の刀を生み出した。


「これだけは言わせて。他人を見下すことも、自分を守るのも、程度の差こそあれ人間誰しも持ち合わせている感情よ。調子のいい時に他人に優しくするのは簡単で、きついときは難しい。たまたま状況が重なったのがキミのときだっただけで、『桐生明日香』の悪事の全てをある瞬間の『桐生明日香』にだけ背負う必要なんてない。」

「ありがとうございます。少し救われました。」


 女が持つ刀を、アスカは掴んで左胸に刃先を触れさせる。


「私、命を粗末にする人間は嫌いだけど、自分を軽んずる人間も同じくらい嫌いだわ。」

「おれ、思うんです。善人として生きるのは難易度が高すぎるって。善人を絵の具の白、悪人を黒としたら、たった一度の悪事で白に黒が混ざって灰色になる。一生で一度も悪いことをしないなんて無理だから、人間みんな最後は灰色になるんじゃないかって。その灰色の中で、できるだけ白っぽさを保とうって頑張るのはあまりに不毛で絶望的で、辛いことなんじゃないかって。」

「だから生きるのを諦めるのかしら?」

「諦めてもいいし、足掻いてもいいと思います。今回は神様がチャンスをくれたから、掴んだだけです。」

「刹那的な生き方ね。」

「そうですか?あいつ、主人公になるって目標ができた、というか思い出したらしいし、いいんじゃないですかね。」

「適当ね。生きる意味はそんなものでいいのかしら?」

「自己満足でいいんじゃないですかね。あ、俺の分転移特典的なの多めでおねが––––」


 アスカの体を刃が貫く。血が噴き出すことも死体が残ることもなく、消滅した


「全くふざけてるわね。命をなんだと思っているのかしら。」


 刀に付いた血を雑に振り払いながら吐き捨てるように言った。

 血が取れた刀は銀色に冴えている。情けや迷いなどの雑念が交じる余地のない、武器としての役割と切る武器という概念が結晶化した愛刀で虚空を一閃――空間に縦2メートル幅1メートルの裂け目が生じた。

 裂け目を潜る直前に、高梨は後ろを振り向いてしばし立ち止まる。


「自分が自分を許せるように、過去の悪事を自分の存在ごと消滅させ、もう一度夢を追う。究極の現実逃避ね。都合が良すぎる。17年生きてきて、築いた倫理観がそれだとしたらどうしようもないほど狂ってる。」


 女は鼻で嗤った。


「主人公ってなんなの?まあ、ノルマ達成したし、罪悪感が欠片も湧かない人材って意味では貴重ね。せいぜい楽しみなさい。」





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