純粋
登場人物:沖田総司、大石鍬次郎
「こんにちは」
「……沖田さん、何か御用ですか」
背後から突然かけられた声に驚く様子もなく、振り返りもせず。
抜き身の刀を見続けながら応答した言葉に、声の主が少しだけ苦笑して、隣に座る。
刀の手入れをしているわけでもなく、ただその鈍い光を見つめ続けているその瞳が、どことなく自分に似ているような気がする。
いつだったか、自分と似ても似つかぬこの男が、そんな風に話していた事を思い出す。
「どうぞ」
懐から饅頭を二つ取り出して、一つを差し出される。
そこでやっと、取り付かれたように固定され動かなかった瞳が、刀から外れた。
「また、饅頭ですか」
「おや、ご不満でも?」
「いえ、頂きます」
刀を鞘に戻し、饅頭を受け取って口に運ぶ。
沖田はそれを、まるで自分の事の様に嬉しそうな顔で眺めて。満足そうな表情のまま、残りの一つを自分の口に運び始めた。
幹部である沖田が、平隊士である自分の所にふらりとやって来ては、饅頭を薦めてくる。
いくら拒否しても、いくら無視してみても、絶対に諦めることのないその襲撃は、どんな殺気を放った浪人共よりもやっかいで。
とうとう、今まで経験したことのない「折れる」という行動を覚えさせられた。
入隊したばかりの頃。あの局長や副長が、どうしてこの男にだけあんなに甘いのか、疑問で仕方がなかった。
だがようやく自分にも、その意味が理解できてきたように思う。
我が儘なわけではない。
いや、恐らく誰よりも。自分の為だけに動くことのない男だろうとさえ感じる。なのに、振り回される。
決して、嫌な気分にはならないが。
迷惑なはずなのに、何故か許してしまえる力があって、掴み所がない。
いつも周りに誰かが居る人。
けれど、ふと本当は一人なのではないかと思わせられる瞬間に、出会ったりもする。
いつもにこにこ笑っているのに、剣を持つと人が変わる。
その一瞬だけ。自分と同じ匂いを感じるのだ。
人を斬ることを、少しも躊躇わない。心が凍る瞬間に。
「大石さんってば、聞いてますかー?」
饅頭を口の側に持っていった状態のまま、虚空を見つめていたその先。首をかしげる沖田の顔が、急に視界に広がる。
はっと我に返って、視線を戻して頷く。
「聞いています」
「さも聞いてた風に頷いても駄目です。全然聞いてなかったでしょう」
「…………」
「まぁ、いいですけど」
「すいません」
「大石さんが、私の話を聞いてくれないのはいつものことですから」
わかっているのなら、何故いつも付きまとうのだろう。
まがりなりにも、新撰組の沖田総司ともあろう者が。
くだらない話を聞いてもらえない、と。口を尖らせて文句を言う姿が、自分の隣にあることが、どうにも不思議でならない。
別に、その話をするのは自分でなくてもいいはずで。むしろ、自分にする話でもないような気がする。
どこの菓子がうまいだとか、どこぞの婆さんと仲良くしているだとか、そういう事を聞かされても正直困る。
どう答えればいいかもわからないし、近況を報告しあうほど仲がいいわけでもない。
確かに、監察方として勤めている自分にとっては隊士のいろいろな話を聞くことは無駄にはならない。隊士に紛れた間者を見つけ出す手がかりにもなる。
だが、沖田の話は明らかにその域を超えた、本当にただの世間話でしかなく。
もし仮にそういった話を掴んでいるなら、自分ではなく副長に直接報告するだろうことも、想像に難くない。
ならば、何故。
この男は、自分を見つけるたびにこうして隣に居座るのだろうか。
「人を斬るのに、迷いがなくなったのはいつからですか」
困った顔を見たかっただけだった。
いつもいつの間にか隣で、笑顔を振りまいているこの男の表情を変えてみたい。
ほんの少しだけでいい。
「初めからですよ」
さらりと与えられた答えと、その顔は。
いつもと寸分変わらぬ笑顔のままで。それがとても、自然すぎて。
逆にとても、恐ろしかった。
「そう、ですか」
次の言葉が続かなくて、思わず向けられる笑顔から視線を逸らす。
他人を恐ろしいと思ったのは、この時が初めてだった。
暗殺の任務につくことが多いから、いろんな使い手達と命のやり取りをする機会も少なくはない。
今まで刃と刃を重ね合わせている最中でさえ、「怖い」なんて感じたことなどないのに。
自分と同じ裏の任務を担い、隊士からも恐れられる立場にある、曰く「人斬り」と称されるような斎藤や吉村にもそれは同様で。
殺気を放つわけでもない。隣でただ笑っているこの男に、どうしてこんな感情が湧き上がるのか。
「大石さんには、迷っていた時期があったんですか」
「……いえ」
「では、私と一緒じゃないですか」
違う。
そう言おうとしたが、声は出なかった。
確かに、人を斬ることに躊躇いはない。今も昔も。どんな相手だろうと。
人を斬ることに喜びを感じるほど、狂ってはいないが。それでも、それに近い感情で動いていることを否定もしない。
新選組に入ったのも、思想があったからじゃない。ただ、この腕を試せる場所ならどこでもよかった。
恐らく、自分達の「理由」は違う。
だけど奥底にあるモノは、もしかしたら同じなのかもしれない。
『どことなく、自分に似ているような気がする』
いつかのその言葉が、甦る。似ているのは恐らく、ただただ純粋な、殺意。
「では、お饅頭もなくなってしまったことですし。私は行きますね」
「沖田さん……」
「またお話しましょう」
再びそこに視線を戻しても、もう恐怖は感じなかった。
いつもの変わらぬ笑顔。ふわふわと去っていく後姿は、どこまでも柔らかな雰囲気をまとっている。
だからこそ、思った。
きっと、この人だけは。どんな状況に置かれようとも。
斬る事ができないだろう、と。