雨夜
登場人物:沖田総司、芹沢鴨
大好きな人を、この手で殺める事。
それが、自分に課せられた運命なのかもしれない。
大好きで、尊敬していて、ずっと側にいて欲しい。
そう思う人は、みんな。自分のこの刀の下、散っていく。
山南さんの介錯をする事に、頷いた時。あの雨の日に感じた漠然とした気持ちは、確信に変わった。
だからこそ、祈らずにはいられなかった。
せめて近藤さんや土方さんを、この手にかける事になる前に。
自分の命が終わりますように、と。
「沖田君、梅は好きか?」
「梅、ですか……? 私は、花の事はよくわかりません」
「だろうな、君はそんな感じだ」
「なら、聞かないで下さいよ」
「怒るな怒るな。君は本当に子供のようだな」
楽しそうに笑って、咲き誇る梅の木を眺めながら傾けられる杯に、酒を注ぐ。
空いた酒瓶の数を、横目で確かめて。
今日はどんなに飲んでも、悪酔いしなさそうだと感じた。
そして、ほんの数量の酒を飲むだけで悪酔いして暴れまわるいつもの行動は、演技なのだろうことを確信する。
「冗談じゃない。芹沢先生の方が、よっぽど子供みたいですよ」
「そうやって、私を恐れないところなども……な。君は私が怖くないのか?」
「私は、汚れ役をわざわざ買って出るような優しい人を、怖いなどとは思いません」
「前言撤回だ」
「はい?」
「子供の演技が上手いんだな、君は」
「私は、演技なんてしていませんよ。誰かと違って」
「言ってくれる」
可笑しそうに笑うその表情は、すべてを悟りきったようにも見えて。
何故かそのまま、梅の木に吸い込まれて消えてしまうのではないかとさえ思えた。
そう、まるでそれを望んでいるかのように。
「私は、芹沢先生が好きですよ」
すべての悪を引き受けて、浪士組の為の犠牲になろうとしているのであろうこの人を、嫌うことなど出来ない。
完璧な悪役を演じ切り、近藤さんの為にその席を譲って、消えていく。
それこそが、きっとこの人の望み。
最後まで誰の目にも、そうとは映らないだろうけれど。
本当は、誰よりも正義を重んじる人だから。
本当は、誰よりもこの国の行く末を案じている人だから。
どうして自分だけが、気付いてしまったのか。それはよくわからないけれど。
するりと出てきた素直な言葉に、芹沢が目を見張る。
直後、ぽんっと頭の上に手が乗せられた。
大きく温かいその手は、見知らぬ父のようで。意味もわからず、涙が溢れそうだった。
「私を斬るのは、君であって欲しい」
「御免こうむります。私は芹沢先生を斬りたくはない」
「そうか」
「そうです。きっと勝てませんしね」
夕焼けに溶け込む真っ赤な梅に、視線をお互い固定したまま交わした言葉。
けれど、きっと。
その願いは叶えられない。
予感は、その日の内に現実になった。
部屋に戻った自分を待っていたのは。
心痛な面持ちで、腕組みし唇をかみ締めたまま動かない近藤さんと。珍しく、切り出し方を模索しているような表情の土方さん。
それだけで、二人の言いたいことがわかってしまった。
恐らく一番最初に、自分に話してくれようとしているのだろうことも。
傷つけたくない。けれど決意は揺るがすことは出来ない、そう語る瞳。
だから、それで決心がついた。
自分にとって一番大切なのは、芹沢先生ではなく近藤さんだから。
苦渋の選択をした、優しいこの人の為に。
最期の時に自分を指名してくれた、優しいあの人の為に。
刀を取る。
本当は、自分以上に近藤さんこそが、芹沢先生のことを好きなことは知っていた。
人のいいところばかりを、見る人だから。
どんなに無茶なことを言われても、迷惑をかけられても。
本当はいい人なんだ。そう言い切ってしまうような人だから。
芹沢先生の本質に、最初に気付いたのはきっと近藤さんなのだろうと思う。
庇って庇って、庇いきれなくなって。
信念を貫くために決断した事を、止められるはずもない。
話してくれた事。自分に隠したままこっそり実行するのではなく、凶手として計画に入れてくれた事。
それが、嬉しい。
だから、心配そうな表情の二人に、素直に笑って、頷けた。
雨の激しい夜だった。
酔うはずがない量しか飲んでいないことは、誰もおらず暴挙を振るう必要のない所で、酒盛りをしている芹沢先生によく付き合っていた自分には、一目瞭然だった。
なのに、いつものように酔った振りをして。ふらふらになった振りをして。
八木低に戻った芹沢先生が、今夜の起きる事に気付いていることは明白で。
酔わせてから、数人で囲んで討つ。
土方さんが、「武士道に反する」そう反対する皆の言葉を振り切って、近藤さんの為に立てた計画。
その計画に意義を唱えることはなかったけれど、無駄だということを進言しなかったのは、裏切りになるだろうか。
奇襲はきっと失敗すると確信していた。
だから計画とは違うけれど。挟み撃ちをするはずの、土方さんが来る前に。
一対一で会いたい。
そっと障子を開けて一人で部屋に入り、芹沢先生の穏やかな寝顔を見下ろす。
横には、梅。芹沢先生の、好きな花。
残念だけれど、一緒に散ってもらわなくてはならないだろう。
刀を抜いて、躊躇することなく、その胸目掛けて刀を振り下ろす。
けれど、やはりその一振りは赤を吸う事はなかった。
梅の叫びが、きっと土方さんを呼ぶだろう。だからそれまでのほんのひと時でいい。
大好きな人と、向き合いたい。
ゆっくりと開かれた瞳と瞳が、ぶつかる。
「やはり、来たな。嬉しいよ」
「お相手、願えますか?」
「もちろんだ」
泣きそうになってるだろう自分に。頷いて、向けられたのは笑顔。
大きくて温かな手が、刀を抜く。
大好きな人の、最期の顔。満足気な、最高のそれを。
忘れることは、きっとない。