一輪咲いても
登場人物:沖田総司、土方歳三
「失礼しますよー」
聞き取れない程の小声であっても、声を掛けたのが悪かったのだろうか。
こっそり部屋に忍び込むつもりだったのだが、土方さんの部屋に至る障子を開けると同時に、その視線がこちらに注がれた。
「総司か……」
偶然だったのか、それとも殺していたはずの気配を気取られたのかは定かではないが、目論見が最初から外れてしまったので、仕方なく笑顔で誤魔化して部屋に入り込む事にする。
許可を取らずに乱入される事に慣れてしまったのだろうか、土方さんは小さく溜息をついて、再びその視線を文机の上に乗る大量の書類へと戻していく。
侵入者をいない事にして、筆を走らせている土方さんの背中に自分の背中を合わせて、体重を預ける。
「雨ですねぇ」
「……そうだな」
「雪にならないといいですねぇ」
「ならねぇだろ」
「どうしてですか?」
「昨今は、夜になってもそんなに寒くねぇだろうが……って、総司、さっきから何なんだ」
「何ってなんですか?」
「俺は仕事中だ」
「わかってますよ」
「……そうか、邪魔してぇだけか」
「嫌だなぁ、この所ずっと机にかじり付いている土方さんに、いいお知らせを持って来てあげたんじゃないですか」
「なら、その知らせとやらを早く言え」
「えー、どうしようかな」
「総司……てめぇな」
進まない話に痺れを切らせた土方さんが、やっとこちらを向く。
思った通り、目元にクマが出来かけている。ここ数日、夜中になってもこの部屋の明かりが消えているところを見ていない。
隊内に人数が増え、組織としての新撰組を軌道に乗せなければいけない時期だという事はわかっているが、一人で抱え込みすぎだ。
まぁ、いつもの事ではあるけれど。
「眉間に皺、ひどい顔ですよ」
「うるせぇよ」
皺の寄っている眉間に人差し指を押し当てて解してみると、案の定嫌な顔をして払いのけて来る。
そんな土方さんの行動なんて、お見通しだ。
「……何、笑ってんだ」
「いえ、別に笑ってませんよ」
「笑ってる」
「私はいつも、こんな顔です」
「……まぁ、それは否定しねぇが」
ふっと土方さんの表情が緩む。
土方さんのご機嫌具合も、ちゃんとお見通し。
「土方さん、最近部屋に閉じこもりきりなので、気づいていないと思いまして」
「何がだよ」
「こっち、来て下さい」
言いながら立ちあがって、再び入って来た障子を今度はこっそりとではなく大きく開け放ち、手招きをした。
まだ肌寒い空気と共に現れた雨の降る庭の景色の広がる縁側に腰掛けると、背後からちゃんと土方さんが近づいてくる気配を感じる。
なんだかんだ言いながら、付き合ってくれる気になってくれたらしい。
気付かれない様に、こっそり笑みを浮かべて、土方さんが隣に座ってくるのを待つ。
どさりと腰を下ろした姿を確認し、目的のものを指差そうとしたところで、その必要はない事を知る。視線は、すでに庭にあるその木に向けられて、細められていたから。
「……もう、咲いたのか」
「はい。もう春ですね」
「早ぇもんだ」
「雪にならないといいですねぇ」
頷いている土方さんに、先ほど部屋の中で言った言葉を繰り返してみる。
きっと今度は、違う答えが返って来るだろう。
「そうだな。せっかく咲いた梅が凍えちまう」
「ふふっ、さすが豊玉宗匠。表現が詩的ですねぇ」
「うるせぇ、黙ってろ」
こつんと小突かれて、抗議するように口をとがらせて土方さんに視線を移すと、そこに疲れた表情は和らいでいたから、土方さんの乱暴な照れ隠しについては仕方ないかなと、今回はこれ以上騒がず許す事にする。
まだ咲き始めの梅の花は、しとしとと降り続ける雨に挨拶でもするように、輝いて見えた。
「お茶でも入れてきますから、休憩にしますか?」
「……頼む」
「はい」
いくら言葉で休めと言っても、大人しく従う様な人じゃない。
けれど、意外と土方さんの扱いは難しいわけでもない。
今回の作戦は問題なく成功した様だ。
(お茶には、みんなも誘おうかな)
近藤さんを筆頭に、土方さんの事を心配していたのは一人や二人ではない。
その事に気づいて、あまり無理をしないでいてくれたらいいのだけれど。
そんな風に考えながら、まずは温かくて身体の休まるお茶を用意しようと立ち上がった。
「総司」
「何ですか?」
「まぁその、何だ……」
背後から掛けられた呼び声に振り向くと、土方さんが頭を掻きながら、何かを言いたげにでも言いにくそうに口ごもっていた。
感謝の気持ちは、それだけでちゃんと伝わったから。
「どういたしまして」
そう答えて、笑顔を向ける。
皆には鬼の副長なんて呼ばれているが、自分から見ればただの照れやで無理をしがちな、ちょっと手がかかるけれど、いざという時には頼れるいい兄貴分だ。いくら人数が増えたからといって、立場が変わったからといって、それが変わる事は無い。
その片鱗は、こんな風にいつでも確認できるのだから。
土方さんが、そのまま小さく頷いて再び視線を梅の木へと戻したのを確認して、今度こそ軽い足取りで台所へと向かった。
楽しいお茶会になりそうな予感を、噛みしめながら。