罠
登場人物:伊東甲子太郎、藤堂平助、斎藤一
「先生、これは罠です!」
「行ってはなりません!」
「落ち着きなさい。わかっている」
「お分かりならば、何故……」
何故と問われると、はっきりとした理由を告げてやれない自分がいる。
常に先々の事まで考えつくし、実行に移してきた自分の行動とは対極にあるような、勘やそうしてみたいから等という、感情論に近しいものであると理解してもいる。
けれど、自分を案じてくれている同志逹の、どんなに必死な抑止の言葉も心の奥底へは届かなかった。
ふと、この騒ぎの中、やけに静かな一角に気が付いた。
その内の一人は、元々寡黙な人物であったから、特にどうということはなかったが、その横で思い詰めたような表情を見せつつ、それでも何も言おうとしない、引き止めようともしない姿は、あまりにもいつもの彼と違いすぎて、不自然に映る。
「平助、君はどう思う?」
「……俺は」
突然の指名に、驚いたように上がった顔は、まるで泣き出しそうな子供のようで、まだ自分と近藤の間で揺れていることがありありとわかった。
未熟な奴だと感じるが、だからこそ近藤や土方の思考を読むのに、役立つ。
それに、一度こちらに付くと決めたからには、決して裏切る事は出来ない性格だろうことも、十分理解している。
だから、事は簡単だ。ただ、優しく彼の話を促してやるだけでいい。
「意見を聞かせてくれ」
「近藤さんは、罠なんか仕掛けて相手を試すような事を、する人じゃありません。それは、絶対です」
「それで?」
「だけど……土方さんなら。組の為になると判断したなら、伊東先生を罠にはめて陥れることなど、厭わない……と、思います」
「だろうね」
「伊東先生と近藤さんの選ぶ道が、違うものだと言うなら、行くべきではない……と、考えます」
その回答は、恐らく一番正しい結論だろう。
あの近藤の性格と、自分に対する信頼ぶりを鑑みると、罠である確率は低いと思われるが、この会合を提案したのが、土方だとするならば、逆に罠である確率は格段に高いはずだ。
もし、自分が土方の立場なら、間違いなく自分を抹殺するという決断をする。
ただ自分と土方の違いは、近藤を立てるあまり、最終的にはどうしても、土方はその意見を無視することが出来ないということ。
自分ならば、例え相手が誰であれ、必要と判断したことを、覆すことなどない。
これはつまり、近藤と和解し新撰組と協力体制を築き上げることができれば、この身体は無事に、この場所へ戻ってくることが出来るという事に他ならない。
しかし平助の言葉通り、道を分かち合う結論に至れば、もしかしたら二度と仲間の元に戻ってくることはないだろう。
もちろん、簡単にやられてやるつもりもないが。
「斎藤君、君は?」
俯く平助の横で、表情の一つも変えることなく、ただ黙って姿勢正しく座っているもう一人の男に、視線を投げかける。
仲間の中では、平助と並んで近藤や土方との付き合いが長いのは、この男だ。
平助とは違って、何を考えているのか読めないところはあるが、年若いのに剣の腕も冷静な判断能力もあり、役に立つ存在ではある。
「判断、致しかねます。ただ……」
「ただ? 何だね」
「伊東先生と局長の思想に、あまり隔たりがあるとは思いません」
「なるほど」
どうやら、二人とも同意見であるらしい。
罠である確率が減ったわけでは決してないが、罠であると決めつける必要も、無いように思う。
すべては、自分の采配次第となるわけだ。
「面白いじゃないか」
「……伊東先生?」
「貴重な意見、感謝するよ。やはり、行ってこよう」
心配そうな平助に、自然と向いた笑顔は、恐らく自信に満ち溢れたものだっただろう。
立ち上がった自分を制止する仲間逹の声は、すでに耳には届かない。
向こうが仕掛けてくるというなら、逆を返せばこちらにとってもまたとない機会なのだ。
お人好しの近藤を介して、土方をも手に入れてみせよう。
自分のしようとしている事、思想、それは間違っているはずがないのだから。
「供はいらないよ。心配ない、必ず帰ってくる」
行くなら、せめて護衛をと言いだす前に、供を断り立ち上がる。
誰かを連れていった時点で、成功率が下がる。そんな予感がした。
一人で出向く事こそ、近藤を取り込む必須事項だろう。
「伊東先生」
「大きな手土産を、期待しておきなさい」
制止ではない、平助の呼びかけに、余裕の笑みで答えて。
希望への一歩を、歩み出した。