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登場人物:土方歳三、相馬主計

 ほんの少し先さえも、窺うことのできない白い世界。

 自分と相手とを遮る霧の向こうに、ぼんやりと映る後ろ姿。

 追いかけようと思うのに、いくら求めても追い付けなくて。距離感さえも掴めなくて。

 もしかしたら、この距離を縮めることは絶対に出来ないのではないかと、立ち止まってしまいそうになる。

 けれど、そんな気持とは裏腹に、諦めきれない心に導かれるように、疲れた身体は足を動かし続け、本当に立ち止まってしまうこともできない。

 幻でもいい。

 ただただ、遠くて近いその人を、追いかけ続ける。




 京へ上ると決めた時から、とっくに覚悟なんてできていたはずだった。

 そして、それは今でも変わらない。その事は確実なのだけれど。

 けれどそれは、自分の身にだけ降りかかるべきもののはずで、まさか逆になる事があるなんて、思いもしなかった。

 彼の為の剣となり盾となること。

 ただ、それだけを願ってここまで走って来たのに。


 最期の時、護られたのは自分の方だなんて、洒落にもならない。

 泣き出しそうな自分に向けられた、別れの顔はあまりにも穏やかな笑顔で、彼の決意を揺るがすことなんて、出来るはずもないことを思い知らされた。

 いつだって自分が、あの顔をした彼の頼みを断れた事などなかったのだ。

 たとえそれが、どんなに受け入れ難いものであったとしても。


「土方さん、大丈夫ですか?」

『歳、大丈夫か?』


 そっと誰にも気付かれないように、注意を払ってかけてくれたらしい耳元に響く言葉が、ふいに今まさに霧の中へ消えて行こうとした、近藤さんの優しい声と重なる。

 どこが現実かもわからなくなりかけていた感覚が、その声と共に一気に現実に押し戻された。


「……大丈夫だ」


 何事もないように頷き返し、現実を見る。

 そこにあるのは、近藤さんとは似ても似つかない、姿と声。

 心配そうな表情も見せず、本当に何もないかのように、自然に話しかけるように接してくれた配慮を嬉しく思いながら、どこか彼が近藤さんと重なって見える事に、納得もした。


「そう、ですか……」


 何か言葉を飲み込んだような気配は察したが、どうしても「何事もない」と安心させてやれるような言葉を紡ぐことができず、ただ無言で歩き続けるしかできなかった。

 現実という世界で進むその足取りは、幻と消えていく背中を追うそれよりも、なんと重いことだろう。

 近藤さんが、いない。自分の傍に。

 それだけなら、耐えられる。

 でも、もういないのだ。自分の傍にだけではなく、この世界のどこにも。

 あの広くて優しい背中を、二度と見ることはできない。

 そうきっと、自分のせいで。


 たった一言、答えただけで黙り込んでしまった自分に、それでも付かず離れず側に居て、ただ黙ってついて来てくれる。

 言葉少なに、それでもどこか安心感を与えてくれる。先頭に立って引っ張ってくれるようでいて、実は後ろから見守ってくれている。

 それもまた、少しだけ近藤さんの存在に似ていて、重たいこの現実の中に、もう少しだけ留まっていられる気がした。


 後ろにいるまだ若い隊士は、いくら比べようとしても外見的には、全く似てもにつかない。けれど重ねようと思っているわけでもないのに、ふとした瞬間に重なってしまうのは、きっと自分の弱さのせいだけじゃない。

 ただ真っ直ぐに前を見つめる、純粋で強い眼差しのせいだ。

 自分には決して持ち得ないもの。人の心をも動かす、大将の力。 

 だから、決めた。

 彼が嫌だと言えば、引く用意だってもちろんあるけれど。断って欲しいと、自分のために生きてほしいと、思っている自分もいたけれど。

 受けてくれる確信も、どこかにあった。


 それは、とても辛くて厳しい道。

 誰も引き受けたくはないだろう、すべてを終わらせる役目。

 できることなら、自分がやるべきものだった。本当は自分がその役を担えれば、良かった。

 けれど、自分では駄目なのだ。大将の器は、望んで手に入るものではないから。

 武士らしい真っ直ぐな姿。信じた道を、貫く潔さ。

 受け継ぐ者として、彼が一番相応しいと思う。


 我儘だと、無責任だと罵られても、最初から最後まで自分がいたいと思えるのは、近藤さんの傍だけだから。近藤さんがいないこの世界で、ずっと生きていく覚悟はつかなかった。

 死にたいわけじゃない、だけど「生きて」いける、とも思えない。

 終焉の地は、近い。

 これからという未来は、彼に託そうと思う。


 仕方のない奴だと、呆れるかな。ずるい奴だと、怒るかな。

 いや、本当はわかってる。近藤さんがどんな顔をして、迎えてくれるかなんて。

 呆れたり、怒ったり、悲しんだり、泣きそうだったり。そんな複雑な気持ちをたくさん抱えたまま、それでも、笑って手を差し伸べてくれるだろう?

 ただ、大きな胸を広げて。最後には必ず俺を、受け入れてくれるんだ。

 そう、いつだって。

 だから言うよ。非道で、冷酷で、祈りを込めた、この言葉を。


「相馬」

「はい」

「この作戦を実行する前に、頼みたいことがある」

「……はい」


 振り返って呼びかけた言葉に、揺るがない強い眼差しがまっすぐに見つめ返され、澱みのない頷きが返される。

 輝く光のような彼の後ろには、自分が先の見えない霧の中、どんなに追いかけても追いつかなかった近藤さんが、微笑みながら立っているような気がした。

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