賽子の行方
登場人物:原田左之助、土方歳三、沖田総司、斎藤一
「私の勝ち、ですね」
「嘘だろ……」
目の前にある、二つの賽子を凝視してみるが、いつまで経っても負けという事実は変わらないようだった。
勝負の審判者であり、賽を投げた張本人である斎藤は、何食わぬ顔で片付けを始め、無常にもこの勝負が間違いなく終わったことを暗に告げてくる。
「約束。忘れたなんて、言わせませんよ」
「わかった、俺も男だ。一度言った事には責任持つぜ」
まさか賭場に行ったこともない総司に、百戦錬磨を自負していた自分が負けるなんて、にわかには信じられないが。
勝負は勝負、賭けは賭け、だ。
例え、総司と斎藤が組んでイカサマをしていたとしても、見破れなかった時点で自分が悪い。
(何でも来い!)
半ば投げやりな気持ちで、正面にある満面の笑顔に笑顔で返す。
「そうですね、じゃあ……」
「え……? ちょ、ちょっと待て」
「お願いしますね、原田さん」
耳元で告げられたそれは、まるで悪魔の囁きのようだった。
心なしか、その笑顔の背後にまで、黒い何かが見えた程に。
ここ最近、副長殿の機嫌は、すこぶる悪い。
それは、新しく入った平隊士までもがわかるくらい露骨だったので、誰もが彼を避けて通っている。
彼の姿を見た途端、慌てて物陰に隠れる隊士がいる位に、その纏う雰囲気は殺気立っているといっても過言ではないだろう。
まぁ、京に出てきてからというもの、機嫌がいい時の方が少ないのは事実だが。
かく言う俺も、このところ何となく彼の事を避けていた。
それは決して、彼のことが嫌いになったとか怖くなったとか、そういう事ではなく。
ただ、今は触れないほうがいいと、本能的に判断したからだった。
それでも以前は、昔からの仲間しかいない所では、結構気を抜いていてくれたものなのだが。
組が大きくなっていくほどに、仲間だけで集まれる機会もなくなり、そういった場所も時間も減ってしまっていた。
それ以上の原因があることも、わかっている。
新撰組参謀。入隊後すぐにその地位にどっかりと座った、その人と。すっかりそいつに心酔してしまっている、局長。
今、多忙を極めている彼が寄りかかれる人物は、ほぼ皆無と言っていい。
彼が本当に孤独になることは、ない。そのことはわかっていても、そろそろ心配になって来ていた頃だったから。
あの黒い悪魔の微笑みは、いいきっかけだったかもしれない。
「ま、近藤さんは昔から、誰でも彼でも人を信用しすぎるところがあるからなー」
器が大きすぎるのか、何も考えていないだけなのか、微妙なところではある。
それでも、これだけの隊士が着いて来ているのだ、恐らく前者なのだろうけれど……。
もう少し、本当に自分のことを一番に思ってくれている奴の事を、振り返ってやってほしいと思う。
気付かないからこそ、近藤さんらしい。そう言えなくもないけれど。
最近の状況は、ちょっといくらなんでも気の毒だ。
そんな気の毒な副長殿が、相変わらずの鬼のような殺気を纏って、廊下をどすどすと歩いてくるのが見えた。
庭にいた平隊士達が、怯えるように姿勢を正す気配を感じる。
そのあまりにも露骨な恐怖を目の当たりにして逆に力が抜け、ふっと笑みが零れた。
「……ったく。こーゆーのは俺の専門分野じゃねぇっつーの」
だが、その専門分野の男に命じられたのだから、元も子もない。
ぼりぼりと頭を掻きながら、向い来る殺気を受け止めるのではなく、軽く流す。
そしてそのまま、無言で横を通り過ぎようとするその腕を、そっと掴んだ。
「何だ」
「そんな皺寄せっぱなしじゃ、せっかくの色男が台無しだぜ」
「くだらねぇ話に、付き合ってる暇はねぇ」
「いやいや、重要事項的な話があるんだよ」
「……なら、早く言え」
「ここじゃ何だから、出ようぜ」
「屯所で話せない事か?」
明らかに、疑いの眼差しが向けられていることはわかっている。
そりゃ、俺だしな。当然だ。
多分俺が土方さんでも、その顔をするだろう。
しかも、本当に話なんかない。思いつくのは、重要どころか世間話くらいだ。
でも、ここで引いちゃ男同士の約束が果たせない。
「まぁな」
「……わかった。付き合ってやるよ」
曖昧な笑みを浮かべて、曖昧な答えを返す。
確率で言えば、八割方断られると思った。
だから、俺の目を探るように見つめたまましばらく考えた後、土方さんから出た答えに、自分でも笑ってしまう位、素っ頓狂な声が出た。
「へ?」
「何だ、行かないのか」
「いや、行く行く。行きますって」
行かないのなら、忙しいんだ。引き止めるな。
そう言いたいのであろう事が、ありありと見て取れて、慌てて隣に並んで歩き出す。
久しぶりに並んだその位置は、なんだかやけに懐かしくて。
ほんの少し前までは、結構二人でこうやって、夜の街に出かけていたことを思い出す。
そうだ。
少しでも離れてしまうと恐ろしい鬼に見えるから、彼自身がそう見せようと必死に努力しているから、忘れてしまいがちだけれど。
すぐ傍に近づけば、気のいい優しい男なのだ。
きっと、話なんかないことも、気付かれている。気付いていて、付き合ってくれると言ったのだろう。
なら、何を遠慮することがあるだろうか。
元々、人に対して気遣うとか、そういう芸当は向いていないんだ。
そういうのは、むしろ土方さんの方が得意だろう。
だから、心置きなく俺は気を遣って貰う方に、変更することに決めた。
相手の都合なんか知らない。俺は俺の思うまま、好きな所へ好きな奴を連れて行く。それでいいんだろう。
同時に、無表情で賽子を振っていた斎藤と、黒い悪魔の微笑みをたたえた総司の望みは、これだったのだと確信もする。
新選組の弟達は、兄達の扱いがやたら上手い。
「で、何処に行くんだ?」
ぶらぶらと、沈み行く夕日に向って歩きながら尋ねてくる声に、もういつもの棘は見当たらない。
それが何だか嬉しくて。
(賭けに負けたのも、そう悪くはなかったかもな)
都合のよすぎる感想と共に、にっと口の端を上げて悪戯っ子の如く、ただ遊びに行く為だけの選択肢を言葉に乗せる。
「島原と祇園、どっちがいい?」
きっと、土方さんは呆れた様にため息でもついて。それから、笑ってくれるだろう。
それは、約束された未来。