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メアリさんと血の魔法

「茅ヶ崎メアリ……お主の話を全面的に信用することは、今のワシにはできん……すまぬ」


 ミッドリア王、ユウトリウスは難しい顔で頭を下げた。


「いえ……いいんです。私もきっとそう言います」


 私は努めて笑顔で言った。

 

 バーサは咳払いをすると、侍女を手招きしてグラスを手渡す。


「黙ってたら喉渇いたな。水もう一杯くれ」

「かしこまりました」

「あんた喉イカれてるわね」


 侍女はグラスを盆に載せると他の侍女に何か耳打ちをして慌てて部屋を一旦出た。どうやら水をテーブルの上に用意し忘れていたようだ。


 ユウトリウスは体ごと私の方を向くとしわしわの指を一本立てた。


「じゃが、一つだけこの目で見て信じたい」

「なんでしょうか?」

「お主の魔法じゃ。お主が覚えておらずとも、このことに関しては証人がいくらでもおる。そこの連中もじゃ。……お主は分からぬかもしれんが、個人として魔法を使える者は決して多くない。まして『蚯蚓みみず』を一方的に殺すような魔法の使い手は世界中探しても他におらんと言うほどじゃ。些細なことで構わん、その血の魔法を見せてはくれぬか」


 彼の目には純粋な好奇心の色が見え、私は思わず心からの笑いをこぼした。


「ふふっ……。あっ、申し訳ございません、陛下」


 そして一度頭を下げてから、私は考えた。


「……魔法ですか、可能ならばすぐにでもお見せしたいのですが、何分、魔法を使った経験があるのは『彼女』だけです。私も少しは使える……と言われましたが、できない可能性は十二分にあります。それでも構わないと仰るのならば、挑戦は致します」


 私は魔法なんて見たこともない。映画でなら、呪文を唱えて悪い魔法使いを倒す場面を見たことはある。憧れて真似したことも。でもそれはあくまでもフィクションだと知ってのことだ。自分が使えるという実感なんて、今もない。


「一向に構わん! 是非やってくれ!」

「……承知しました」


 私は立ち上がった。さっきより緊張している気がしないでもない。

 そして私は一つ気付いてユウトリウスに告げる。


「あの……私、カッターナイフを持っていたと聞いているのですが……」


『蛇』に向かって振りかざしたあのカッターナイフを私はこの世界に持ち込んでいると『メアリ様』は言っていた。魔法の始動にそれを使用したとも。それを今の私は持っていなかった。彼女の話を聞く限りでは兵士に囲まれた時に落としたようだったが。


「あの小さな刃物か。そのままで保管しておるぞ。持って来させよう」


 ユウトリウスが手を軽く叩くと、一人の兵士が素早く入って来て細長い入れ物を差し出した。そこには見慣れた黄色のカッターナイフが収められている。


「ありがとうございます」

「下がってよいぞ」


 兵士は直角に一礼するとまた素早く出て行った。

 私はカッターを取ってカチカチと刃を引き出した。まだ血が付いている。


 正直、これを使う事には抵抗しかなかった。カッターで手首を切るなんていわゆる『リスカ』そのものではないか。そんなこと恐ろしくて想像もしたくない。切るにしても指先だが、そもそも私はこれを化物の舌に刺しているのだ。こういう場合、間接キスならぬ間接何と言えばいいのか分からないが、とにかく嫌だった。

 しかしまさかテーブルの上にある食事用ナイフを汚すわけにもいかない。そして何よりこれは一国の王の要請だ。

 そんなわけで、私は致し方なくこのカッターを使うのだった。


 私は先程のナプキンを下に敷いて、息を止めて指先に刃をあてがった。

 皮膚が裂ける感触。いやな痛みが指先から全身に広がる。


「……っ!」


 赤々とした血がゆっくりと滲み、一滴ナプキンに落ちた。

『メアリ様』の話によれば、これで私はナプキンを動かせるはずだ。


「誰か、彼女に絆創膏を」


 私が刃を収めて指を口の中に入れるのを見たユウトリウスは慌てて言った。

 すると近くに立っていた侍女の一人がポケットから絆創膏を取り出して私の指に巻いてくれた。

 絆創膏が普通に存在していることにも驚いたが、その赤い髪をした侍女の手慣れた巻き方と速さにも驚かされた。


「すみません……ありがとうございます」

「いえ、私もよく包丁で切っちゃうので……慣れてます」

「お上手なのはそういう……」

「先輩には怒られてばかりです」


 侍女はひそひそと言って笑ってから元の場所に戻って行った。


 顔を戻すと、ユウトリウスが期待の眼差しで私を見ていた。

 こうなると失敗は許されない。……そう言い聞かせるほどに緊張は高まっていく。


「では……参ります」

「うむ……」


 私は両手をナプキンに向けて思い切り念を送る。



「浮かべ浮かべ浮かべ……」



 私にハンドパワーがあれば浮かんだのかもしれないが、ナプキンはびくともしない。


「うぅん……ならば……!」


 今度はナプキンに向けて指で円を描く。



「浮かべ浮かべ……」



 私が催眠術師か、もしくはナプキンがトンボなら浮かんだかもしれないが、ナプキンはうんともすんとも言わない。


「で、では……!」


 今度は二本指を顔の前で立てて呪文を唱える。



「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前……急急如律令‼」



 私が陰陽師の末裔ならナプキンは退散したかもしれないが、やっぱりひらりとも動かない。


 私はがっくりと肩を落として椅子に腰を下ろした。


「申し訳ございません陛下……やっぱり駄目でした」

「ふむ……いや、仕方ない。無理強いしたワシが悪いのじゃ。痛い思いをさせてすまんかった」

「そんな……陛下のせいでは……」

「いやいやワシが……」


 などと二人でそんなことを言っているうちに、水を取りに出ていた侍女が小走りで戻って来た。


「申し訳ございません、大変お待たせをいたしました……!」


 バーサは大儀そうに咳払いしてみせた。


「やっとか……喉が渇き過ぎて声が枯れたぜ」

「す、すみません!」

「あんたね、言いがかりつけて女の子いじめてんじゃないわよ」

「いやいやマジだぜ大マジ」


 ディエナが咎めるが、バーサは悪びれもせず一貫してそれを主張する。

 バーサに急かされた侍女はさらに駆け足になってやって来る。


 ――と、その時だった。

 彼女の脚がもつれ、前のめりに体勢を崩したのだ。


「きゃっ!?」


 手に持っていた盆が宙に舞う。


「危ない!」


 スローモーションに見える世界の中で、私は無意識に叫んで手を伸ばしていた。

 バーサが驚いて目を固く閉じる。グラスはまさに彼の方へと放物線を描いていたのだ。


「うおぁっ!?」


 これは仕方ない。因果応報である。私はそう思った。特に意味もなく侍女を急かした彼が悪いのだ。水がかかるくらい甘んじて受けなければ――。



 しかし、そうはならなかった。


「……あれ?」


 バーサが恐る恐る目を開くと、グラスは空中で傾き、あと少しで水を溢してしまう、というところで静止していた。


「おお……おお! これは素晴らしい‼」


 そう言って手を叩いたのはユウトリウスだった。

 私はそこで気付いた。


 私の血が付いたナプキンが宙に浮かんで、そのグラスを支えていることに。


「……できた?」


 これが私と血の魔法との初対面だった。

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