第8話「Sometimes」
この話しから前回の話しまでおさらいしてみて、
百点満点で評価するなら、自己採点で三十点前後といったところかな……。
僕は文字数だけなら、ようやく四十万文字を超えられたけれど、
その間に、まるで文章力が備わった気がしない……。
その主な原因は、僕の創作には、
豊かな「叙情的表現」が圧倒的に足りないからだと思う。
僕も、ほんのわずかな読書経験はあるものの、
今までに深く覚えられている叙情的な文章がひとつもない。
むしろ、素晴らしい感情表現であればある程憶えていない。
プロを目指していたらその事実だけで筆を折りたくなるだろうが、
幸い文字を打ち込むだけで満足できているので問題は今のところない。
けれど、文章力の稚拙さには辟易するより他もない。
丁寧語はまだ良いと思うけれど、
尊敬語と謙譲語からすら、かなり不安だし……。
あと、十年後、二十年後、もっともっと、こつこつと長生きをできるだけして、
まともな文章を打ち込める様に地道に努力しよう。
才能もお金もないが、時間ならつくりだせる。
少なくとも僕ひとりだけは、僕の創作の熱心なファンだ。
下手くそな作家だが、僕の読みたい物語を打ち込んでくれる。
誰にも相手にされなくとも、僕には僕の物語はせかいいちだ。
あらゆる面で他の作家様より劣っていると知っていても、贔屓をする。
さて、今回の話しで、僕の悲喜交々の四十年まで辿り着く。
父が亡くなった事で、
さすがに僕も、姉や兄に連絡をしないという決断まではできなかった。
それに、父とは、死後の話しを多少進めていたし、
父は父で、長男である兄には、僕より詳細な話しが進んでいたのかもしれない。
いずれにしろ、身内同士と言えど、落ちぶれた僕に、
身内での居場所はほとんどなかった。
作ってもらえなかったというより、自分自身から見出せなかった。
だからといって不満はない。姉も兄も、そのご家族様も、その責務を全うされ、
僕に対して辛辣な言葉を投げかける様な事もなかったし。
ただ一点、身内の集まる場で、
感情的になり母を叩いてしまった事が、心に残る。
詳細にどうしてあんな愚かな行為をしてしまったのか、僕の情動が理解できない。
気になるポイントを残しておくとするなら、
「極度な被害妄想」と「追い詰められた小動物の様な恐怖心」、
そして、「母が、父の亡くなるまでとり続けた行動全てに対する怒り」。
十代二十代三十代四十代とどれ程、心を砕いて先人後人に傾聴したとしても、
結局は、解らない、のだ。十代二十代は学ばなければ井戸の中、
三十代四十代になって、上や下の世代との、決して埋められない断絶に気付く。
例外の人間関係だってもちろんあるのだろうけれど、
人は自分自身が夢中になってきたものの否定的意見など、本当には耳を貸せない。
僕は、父に対して何もする気がないならと、
姉と兄、様々なお方々にケアされ、精神病院で医療保護入院となった。
そこで姉兄へも危険ドラッグをしている事を伝えて、
絶縁してくれていい旨は伝えたが、姉も兄も、僕よりずっと辛抱強い人だった。
病院への入院は想定外だったけれど、勉強になる事は多かったし、
せめておとなしくして、
長男である兄に対して、特に煩わす事だけは避けたかった。
現在の僕がまともであるかどうかも定かではないが、
その頃の僕は、確実に「まとも」の定義からは外れていたと思っている。
そうして、時間という万能薬が効いていくに連れて、
僕の退院日も決まっていった。
しかし、僕の身内は僕が静養している間も、仕事をしながら、
母と僕の居場所作りまで行ってくれていたのだ。
母はその頃介護度が確か3で、僕は精神障がいだった為、
終の棲家と覚悟して、市営住宅の入居申込の抽選結果を待っていた。
結果は、僕の障がいで抽選が当たり、
母と僕は、父と三人で過ごした借家を後にした。
文章にすると、本当に簡単に片付いてしまうが、
全てを片付けて、まとめていただくまでに、関わって下さった全ての皆様へ、
心より 深謝させていただきたい
……………… …………
……
市営住宅へ母との二人暮らしが決まり、僕は精神病院の入退院を経て、
母を思いやり、品行方正に暮らしましたとさ、めでたしめでたし。
そう、おとぎ話の様な真人間になれたら、何も問題はないのだけれど、
結局、身内には、僕には母を任せておけないと判断された。
その経過は、前話をご覧の方々にはお察しいただけると思います。
だけど、身内達は、
母よりも僕を心配してくれたのだと思っている、僕の今後の人生を。
だからといって、僕に生き甲斐を与えてくれるものなどその頃は皆無だった。
そこには容易にドラッグの誘惑が入り込んでくる。
その後は法改正も行われ、グレーだったものが、限りなく黒に近くなってゆく。
まとも?な業者は手を引き、詳細な化学物質も分からない末端の人間が、
どんな作用を引き起こすかも分からないドラッグを高値で販売する。
人体に有害かも無害かも判別できない代物が、現在の危険ドラッグだ。
もしもこれから危険ドラッグに手を出すのであれば、
業者に商品に使われている化学物質を尋ねてみるといい。
大抵は相手にされないか、絡まれるか、音信不通になるだろう。
ドラッグから足を洗う為に有力な方法は、絆を信じる事だ。
文字にしてしまうと陳腐だが、絆の対義語は依存。あるお方からそう教わった。
依存とは、他者に期待する事。絆とは、他者を信じる事。
言葉にすれば簡単だが、その見極めは非常に難しい。
期待とは、絶望的な状況下を打開する為に他者に頼る事だ。
しかし、絆とは「いや~昨日もドラッグキメちまった」、
「おまえまだそんな事してんの? しょうがねぇなぁ」と対等な関係で、
他者との、絆ぐものを信じる事だ。
ヘロインまでいってしまうと、戻ってくるのは容易ではないかもしれないが、
危険ドラッグや覚せい剤程度なら、「なんでこの程度のものが違法なんだ」と、
まずは拍子抜けしてしまうかもしれない。
しかし一応ではあるけれど、覚せい剤に関しては静脈注射はおススメしない。
それよりもおススメは、覚せい剤のWikipediaをお読みになって下さい。
きっと日本国のとった覚せい剤への施策に、大いに疑問を持つ事だろうから、
加害者も国、取り締まるのも国。そんなのって、あんまりだ。
“覚せい剤やめますか? それとも人間やめますか?”
こんな文句は、覚せい剤を知り尽くした側の人間の、白々しい虚飾でしかない。
2018年現在、危険ドラッグが衰退した今、
覚せい剤は違法だが、
ある意味危険ドラッグより人体には安全だ。歴史が長いから。
高確率で逮捕されるから、全くおススメは致しません。
現在の僕は、ドラッグの誘惑を断ち切りたいとフラットに思っている。
けれど、ドラッグは蔓延り続けるだろう。
日本も大麻程度合法化、まではいかなくても医療用大麻ぐらいは許してほしい。
冗談でもなんでもなく、大麻後進国になったら、
日本の地位は今以上に下がると思う、僕には割りとどうでもいい話しだけれど。
しかし、大麻への研究が、日本では進んでいないとはいえ、
日本と大麻の繋がりは強固だから、国が情報を隠蔽しているだけかもしれない。
なんてね、邪推邪推。
僕は、若者の全てが大麻を吸うのが当たり前になったら、
人類史の中でも有数のパラダイムシフトが起こりうると考えている。
大麻を合法化すれば犯罪が増えると危惧するお方々もいらっしゃるだろうが、
それは、例えば、
人が間違いなく死んでいるのに、
自動車が今もって違法にならないぐらいおかしな、いや、可笑しくない話。
要は危険だろうが違法だろうが、既得権を得てしまえばそれは合法。
お酒や煙草、
アルコール等が立派なドラッグだって理解して嗜んでいらっしゃるお方々は、
どのくらいの割り合いでいるのだろう。
極めて個人的な意見だが、
“医食同源”、身体に入るものは、全てドラッグとなりうる。
それが便利なものであれば、多少の犠牲には目を瞑る。それが人の現実。
僕個人の考えでは、日本の競走社会を終わりにしてほしいから、
日本の地位が世界的に下がっても別に構わない。競う事が根本的に好きじゃない。
のんびり、生きたい。
しかし、僕個人が大麻を日本で合法化する事に、一番心配なのは、
大麻もデートレイプドラッグになりうるという事実だ。
現在でも、デートレイプドラッグは様々に日本に存在しているが、
それが一番心配。
ただ、深刻な高齢化社会の日本で、医療にだけは、
大麻を許可していただきたいと思う。
大麻の品種によっては、確実に高齢者のお方々の苦しみは軽減されるのも、
また事実だと思うから。
だから、嗜好用には絶対反対。
………………
…………
……
母と別れて、母の年金に頼れず、障がい年金もいただけない、
そして病気で満足に働けない僕には、
もう、生活保護という選択肢しかなかった。
現在は、お陰様で保護費で暮らしている。
そうやって暮らしている以上、無駄な贅沢は極力できないし、そんな余裕もない。
今は光熱費、食費、創作に必要な経費等の生活費で、毎月が終わっていく。
また今年の十月から保護費が削られるみたいだが、何も文句はない。
本来なら、僕はもうホームレスになっているはずだった。
それが、雨露をしのげ、ご飯を頂き、なにより創作ができる。
これ以上の贅沢を言えば、罰が当たる。足りないものは何もない、幸福だ。
隙間の時間を埋める為に、運動を試したり、デイケアへ通ったり、
B型作業所へ通所したり、薬物依存から立ち直る為に、
できるだけ人が居てくれる場所へと足を運んでいる。
人が何かを為す時に、依存と絆というものは必ずついてまわる裏表。
それを覚えていても、制御する事は、僕にはとても難しい。
あらゆる依存を克服できる精神と肉体、それが理想の人間。
僕の今後は疲れきった心身と老いというもので、大きな展望は見込めないが、
せめて、僕を大切に思ってくれる人達に対してくらいは、
お返しになる様な生き方を示してゆきたいと思う。
薬物依存の苦しみは、薬物依存になってからでないと解らない、
だから、祈り、
「薬物なんて、合法でも違法でも、使わないのが一番だよ」
おそらく誰もが、いずれ向き合わねばならない問題だとしても……、
そう、次の人達の為に、祈らずにはいられない。
僕の事を薬物に手を出した馬鹿な奴、
そう思ってあなた様が馬鹿の通った道を歩まずに済むのであれば、
それが一番良い。
ただ、これを読んで薬物をやってみたいと思ったお方へは、残念で仕方ない。
だから、何度でも打ち込む、以前の脱法ドラッグ、
現危険ドラッグは、どんな化学物質が入っているか分からない。
業者もまず答えられない。答えがあればまだマシだけれど、
その物質が違法でないと調べるだけでも、素人には難しい。
簡単に探し出せる業者には効き目のあるものなんてほとんどない。
いわば大切な身体を使って、自分自身で人体実験をしているのと同じだ。
だからと言って違法に走るなら、
あなた様が刹那の快楽の為に人生全てを賭けられるか、よく考えた方が良い。
薬物の快楽はその時間を十倍ぐらい短く感じさせるだろうけれど、
逮捕されて留置されたら、その時間は百倍ぐらい長く感じるよ。
どうしてもやりたくて堪らないなら、人と人との太いパイプをまずつくる事。
独りでしてしまったら、あなた様はほとんどの時間を、
警察や麻取との知恵比べに費やす事になるし、必ず負ける。
月曜日なんかの早朝にインターフォンを鳴らされて、
大勢の人々に囲まれる事になる。
彼らは自分達の無力な一面を、国民に押し付ける。
それでも、薬物から切り離された、よく考えてみる時間にもなるから、今後、
やり続けるか、やらないかを、じっくり考えてみるのも良い。
………………
…………
……
四十年を8話に詰め込むのは、さすがに不可能だったけれど、
とりあえずはこれでいいだろう。
また最初から推敲と編集と思うとくたびれるが、
この創作がなければ、僕に生き甲斐などないのだから仕方がない。
今度は誤字脱字と尊敬語謙譲語に気をつけて頑張ろう。
でも、思う時がある…………、
僕はブラックホールにでも向けて、文字を打ち込み続けているんじゃないかって、
無価値で、無意味な穴底へ、文字を放り投げているだけじゃないかって、
かといって、誰かに優しくされても、非常に困る事になるんだけど(苦笑)。
だから、これでいいんだ。
もう、僕の進む道は一本道なんだから、
こうして悩んだフリして立ち止まるのも、たまにはいいもんだ。
本当に、
時々は。
ぼくはときどきだっせんします
けれど
それもまたよし