第1話「Only Shallow」
何事も、始まりは肝心なのかもしれないが、
この物語は僕が主人公だ。気楽にゆこう。
この四十年余りを生きてきて、
少し自分を振り返り、もっと歳を重ねた時にでも、
ほんのわずか、「自分」というものを客観的に見られたら良い。
“第四の壁”は、
覚えてしまったら、抜け出す事のできない魔法だから、
結局、何を打ち込み連ねても、意味はないのかもしれない。
それでも、やってみたいと思うから、
可能な限り、余計な脚色なんかは省いて、
この僕、「早水 心也」の多世界に存在する、
ひとつの人生という可能性のひとつを、僕自身に提示したいと思う。
【せかい】が完璧なら、繋がらない欠片はないと信じて。
………………
…………
……
「…………、ふぅ……」
近頃は一人でいる時のため息の数が増えた。
今日一日、たった一日を過ごすだけでも、時はとても長く、また、とても短い。
創作という命を用いて、家族を創っても、
どうしようもない程、孤独な一日というものは、誰にでもあるものなのだろう。
大勢の人に囲まれていてさえ、孤独というものはどこにでも付きまとう友達だ。
さぁ、僕は過去と呼ばれるものに対して、自分を偽らず、
どれ程、真摯に向き合う事ができるだろうか。
それには先ず、
赤ん坊の頃から幼稚園に通うまでを思い出すのが、手っ取り早く思える。
人間の頭脳というものは、不確定で曖昧な、ひとつのタイムマシンそのものだ。
………………
…………
……
けれど、赤ん坊から幼稚園に通わせてもらえる様になるまでの、
僕の記憶は、ほとんど欠落してしまっている。
写真の様に一瞬を切り取った断片的な思い出しかない。
ひとつは、図書館でお借りした紙芝居を、
僕の父によく読み聞かせをしてもらったあたたかい記憶。
ふたつめは、眠る時に父の耳たぶを掴んでいると、何故か安心して眠れた記憶。
僕には有難い事に、父の他に、母も姉も兄もいるけれど、
僕の…………、大げさに言えば原初の記憶は、父による記憶が最も思い出される。
現時点で父は、もしかしたら僕を最も愛してくれて、
かつ、僕が最も不幸にした人物なのかもしれない。
過去形なのは、すでに亡くなってしまったから。
………………
…………
……
母が言うには、僕は幼稚園に行く事を、初めはかなり嫌がっていたらしい。
幼稚園での記憶も、あまり定かではないけれど、園児達とバスに乗っていく、
プールやさつま芋掘りなんかは大好きだった。特にさつま芋掘りは、
芋を家に持って帰ると、父が薄切りのポテトチップにしてくれるのが嬉しかった。
後は、何が楽しかったのかなんて忘れてしまったが、
女子のスカートをめくる事を好んでいた記憶がある……、
どうしようもないクソガキだ。
そして、幼稚園で最も鮮烈に憶えている事は、
幼稚園の遊具、のぼり棒にあった。
現在ネットで「それ」を検索してみても、割りと簡単にヒットするので、
僕は僕を変態とまでは思いつめる必要はなさそうだ。
「それ」とは、ありのまま表現すると、「のぼり棒オナニー」と呼ばれるもの。
しかし、オナニーと言うと語感に少し抵抗がある為、
「のぼり棒による自慰行為」と表現したいと思う。
当然精通などしていない為、
あれはドライオーガズムと表現しても差し支えないのだろうか……。
ともあれ、そうして僕は今日に至るまで、
性依存症に悩まされ続け、振り回される人生を送る事になる。
人間の三大欲求に関しては様々な異論があるが、
今の僕にとって厄介な欲求は、食欲と性欲だ。
以上ふたつがなければ、人生はもっと豊かにできると思うけれど、どうだろう。
僕には、睡眠欲とは、あらゆる欲求の中で別格なものだ。
なんといっても現実に存在しなくていい、特別な領域にゆけるものだから。
睡眠は、ある意味、僕の様な凡人にしてみたら、
およそ人間に与えられうる、究極の快楽とさえ思う、生と死の狭間。
「空」の時間だ。
僕の記憶など頼りないものだけれど、それが真実であろうと偽りであろうと、
記憶がなければ、人は一人で立ち上がる事さえできないだろう。
死を恐れなければ、人に「しなくてはならない」事なんてない。
例え映画の様な地球滅亡の日が訪れようとも、何も損なわれるものなどもない。
僕は完璧ではなくとも、せかいは完璧だと、信じているから。
人は恐怖というもの自体に恐怖する事で、戸惑いを覚えているだけだ。
さて、生後から五年間程を思い出してみたけれど、
困った事に、僕のものごころに強く焼き付けられた出来事は、
のぼり棒による自慰行為と父との記憶しか思い出せない。
父は、僕の人生で最も憎悪する人物だけれど、
振り返ってふたを開けて見れば、父との記憶ばかりで皮肉なものだ……。
今日はお仏壇に、お線香をあげて父の成仏を祈ってみようか。
とにかく、動き始めた以上、僕の思い出を、納得がゆくまで綴ってゆこう。
そうしてゆく内に、心身に、より深く刻み込めるかもしれない。
真夜中は殺人者である事を。
ちちのせいでぼくはうまれた
ははのおかげでぼくはうまれた
ちちおやってそんなやくまわりだね