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エンジェリカの王女  作者: 四季
〜 第二章 地上界への旅 〜

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75話 「蝶の舞う幻想郷」

 カルチェレイナはエリアスが眠りに落ちたのを確認すると、妖艶な笑みを浮かべたままこちらを向く。うかうかしていると瞳に吸い込まれそうだった。


「アンナ、次は貴女よ」


 私が身を固くしたのに気づいてか、彼女はふふっと淑やかに微笑む。作り物のように整った顔つきになぜかゾッとする。

 完全に三対一の状況になってしまった。ヴィッタもルッツも、私に倒せる相手ではない。


「何するつもりなの?」


 二人はカルチェレイナの指示がなければ動かないだろう。それがかろうじて救いか。

 反逆したり怒らせたりしなければ、ひとまず、すぐに殺されることはない。彼女の指示に従ってさえいれば。


「アンナ、貴女にも素敵な夢をみせてあげるわ」


 彼女はゆったりとした足取りでこちらへ接近してくる。

 何をされるか予測できないという恐怖が迫る。逃げ出したい衝動に襲われつつも、私は彼女から視線を逸らさなかった。


 これは私が選んだ道。今更逃げるなんて許されないし、そんな情けないことはしたくない。あの時、エリアスを捨てて逃げることはできた。けれど私は彼を一人にしたくなくて、敢えて連れ去られる道を選んだ。

 自分で選択した苦難から今更逃げるのは狡い。


「良い目ね。……アンナ、素敵な夢をみせてあげるわ」


 彼女はその均整のとれた顔を私の顔へ近づけ、艶のある唇から、ふうっと息を吹く。すると水色に輝く蝶が現れた。エリアスの時と同じだ。


 まろやかな甘い香りに包まれ、視界がぼんやりしてくる。意識が遠退いていく。

 ……そして私は、穏やかに眠りについた。



 ——暗い夜、激しい雨。


 私は花畑に一人座り込み、暗い夜の雨空を仰ぐ。まるで空が泣いているかのように感じられる。

 降り注ぐ冷たい雨粒が、髪も頬も、全身を濡らしていく。けれどもそれを不快だとは思わない。私の心は、静寂に包まれた湖の水面のように、静まり返っている。


「……泣いているの?」


 私は真っ暗な空へ問いかけてみた。特に深い意味はない。ただ、空が悲しそうだったから。

 もちろん空は何も返さない。私の声は闇に吸い込まれるように消えた。


「——王女」


 背後から声がして振り返ると、エリアスが立っていた。穏やかに柔らかく微笑んでいる。

 彼も雨に濡れていた。しかし少しも気にしていないようで、こちらへ歩いてきた。そして私のすぐ隣に腰を下ろす。


「綺麗な花ですね。まるで貴女みたいだ」


 エリアスは花を一輪摘み取り嬉しそうに微笑む。それから私の頭にその花をくくりつけてくれた。いつの間にか私まで温かい気持ちになっていた。

 雨が激しくなってくる。よりいっそう濡れたが、あまり気にせずエリアスの傍で幸せな時間を過ごす。

 何だかぼんやりしてきた……。そろそろ退屈だ。


「何だかちょっと退屈になってき……っ!」


 突然エリアスが私を地面に押し倒す。その片手にはナイフが握られていた。私は愕然とする。彼だけは絶対に私の命を狙わないと踏んでいたからだ。

 エリアスの長い睫に彩られた瞳は、とても冷ややかに私を凝視している。完全に敵を見る時の目だった。


「エリアス。どうして……?」

「王女、すみません。貴女には死んでいただきます」


 こんなところで死ぬまいと、体をよじり必死に抗うが、エリアスの体をどかすほどの力は私にはない。びくともしない。


「待って、エリアス。お願い……刺さないで」


 握られたナイフがギラリと気味悪く光る。

 徐々に視界が滲んでくる。


 ——嫌だ。


 私は涙を堪えられなかった。エリアスはずっと私を護ってくれた。そしてこれからも、私の傍にいて優しく笑ってくれるものと、そう信じきっていた。


「エリアス……止めて……」


 どうしてそんな冷たい目で私を見るの。お願い、止めて。こんなの嫌よ。


「エリアス!」


 ——彼はナイフを勢いよく振り下ろした。



 私は反射的に目を閉じた。しかし痛みに襲われることはなかった。


 ……今の一撃で死んだ?


 それも考えたが、どうやらそんな感じでもなさそうで、私は怖々瞼を開く。


 振り下ろしたナイフは私の頭のすれすれに突き刺さっていた。さっき髪にくくりつけた綺麗な花が、ばらばらになっていた。


「……すみません」


 エリアスは唇を震わせて謝る。

 何がどうなったのか、私は束の間理解に苦しんだ。さっきまで私の命を狙っていたはずの彼が、なぜ今はこんなに辛そうな表情をしているのか、意味が分からない。

 それに、エリアスなら敵は一撃で仕留めるはずだ。こんな風に長引かせたりはしない。彼はそんなに残酷な天使ではないと私は知っている。


「王女、私を殺して下さい」


 彼は確かにそう言った。

「私に貴女を殺すことはできなかった。どうか、王女に刃を向けた逆賊を消して下さい。貴女の手で」


 困惑し、暫し言葉を失った。

 彼は誰に命じられ私を殺害しようとしたのか……。それに、私に自身の手を汚せと言うなど、エリアスとは思えない。



 ——水色の蝶。


 見上げる私の視界の隅に、一匹の蝶が入った。ぼんやりと水色に発光する蝶は、雨の中なのにヒラリヒラリと飛んでいる。まるで、晴れた日の花畑を飛んでいるかのような、自然な飛び方。

 その時、私は突然気づいた。


 ——これは夢だ。


 そうだ。これはきっとカルチェレイナの術によってみている夢なのだ。だからありえないことが起こる。エリアスが私の命を狙ったのもそのせいだろう。カルチェレイナはきっと、この夢によって、私とエリアスの信頼を壊そうとしているに違いない。


「……ナイフを貸して」


 私は彼に言った。すると彼は素直にナイフを渡してくれる。


 カルチェレイナは甘い。

 私とエリアスの信頼がそんな些細なことで崩れるのなら、今までにとっくに終わっている。私たちがどれだけ傍にいたか、何度共に困難を乗り越えてきたか、彼女は知らないのだろう。


「本当に申し訳ありませんでした、王女」

「いいえ。怒っていないわ」


 そして私はナイフを両手で握る。戦いどころか料理もしたことのない私が刃物を持つなんておかしな感じだ。


 私にナイフは、あまり似合わないわね。


「これは夢よ。すべてが幻。だから貴方はエリアスじゃない」


 私は自分に言い聞かせるように呟く。そうしなければ、この手を動かすことができなかったからだと思う。

 目の前にいるのはエリアスではない。けれど彼に瓜二つの姿をしている。美しい髪も、整った顔も、そっくりだけれど違う。すべてが虚構。


「……私が本物であったなら、貴女に刃を向けることはなかったでしょうね。すみません」


 彼は自身の行動を悔いるように目を伏せる。


「気にしないで。笑って」


 例え彼が本物でなくても——最期くらい笑顔でいてほしい。私の大切な天使と、同じ姿かたちの存在だもの。


「じゃあね。……さようなら」


 そして私は、ナイフを握った両手を、全力で振り下ろした。



 消えていく、すべてが。

 偽者のエリアスも、暗い雨空も、そこから降る雨の滴も。足下の花畑までも、白く染まってゆく。



 そして、私は目覚めた。

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