65話 「澄み渡る空」
その夜、久々に夢をみた。
気がつくと私はエンジェリカの王宮の中庭にいた。青白い花が風に揺られるその場所で、私は一人の天使に出会う。
美しい女性の姿をした天使。
それは母の姿だった。
金の髪に燃えるような赤い瞳、儚さを感じさせる華奢な体つき。だが背中には立派な羽が生えている。
「アンナ……? アンナなの?」
彼女は両手を伸ばし私を呼ぶ。温かな微笑みに、私は思わず駆け出した。
「こんなに大きくなったのね。アンナ、会いたかったわ」
間違いない、母親だ。
私をギュッと抱き締める彼女の細い腕は、華奢だけどとても温かくて心地よい。まるで昔に戻ったような懐かしい香りが鼻を抜ける。
「お母様がどうしてここにいるの?」
死んだはずの母が今確かにここにいるのだから、おかしな話だ。こんなことありえない。
「ここは夢の中なの。だから現実じゃない……」
なるほど。その発想はなかった。夢の中で夢だと気づくことってあまりないものね。これは珍しく夢であることを自覚する夢なんだわ。
「それでも会えて嬉しい!」
「私もよ、アンナ」
夢の中だとしても母と再会する日は来ないと思っていた。だから、本当に不思議な感じがして仕方ない。
「あのね。アンナ、聞いてくれる?」
彼女は唐突に切り出す。真剣な表情だった。
「エンジェリカの秘宝の話はヴァネッサから聞いた?」
突然『エンジェリカの秘宝』が出てきて驚く。地上界へ来てからしばらく忘れていたが、そんな話もあったな、と思う。
「ヴァネッサから? 聞いてないけど……。でも、その言葉は知っているわ」
「そう。でもヴァネッサから聞いていないのなら、アンナはそれをどこで知ったの?」
彼女の澄んだ赤い瞳に私の姿が映り込んでいる。
「襲ってきた悪魔にね、私がエンジェリカの秘宝を持っているって言われたの。お母様のくれた赤いブローチあったでしょ? あれがエンジェリカの秘宝と思われていたみたい」
すると彼女は心配そうな表情で手を胸に当てる。
「やっぱり悪魔に襲われたのね……。もうそんな時が……」
何か知っているような、そんな素振りが妙に気になる。
「お母様は何か知っているの? もし知っているなら教えて?」
すると彼女は私の肩に手を乗せ、真っ直ぐにこちらを見据えた。
赤い瞳が私を捉えている。
「エンジェリカの秘宝。それはアンナ、貴女自身なの」
私は耳を疑った。
「え……? 待って。今何て?」
だって信じられなかったの。『エンジェリカの秘宝』が私自身だなんて言われても。
「四百年前にエンジェリカを一度壊したという王女がいるわ。貴女はその生まれ変わりなの」
——もしかして黒い女?
でも彼女は最近出てこない。地上界へ来てからは話していない。
「アンナが生まれた時、伝説の王女の生まれ変わりだとすぐに気づいたわ。聖気が普通の天使と違ったもの」
目の前の美しい天使は懐かしむように、それでいて真剣に口を動かす。
「放っておいたらアンナが伝説の王女と同じ運命を辿ることは分かっていた。だから私は、伝説の王女の封印に使っていたブローチを、貴女に渡したの。少しでも効果があるかと思って」
記憶を思い返してみると、少しだけ心当たりがあった。あの黒い女が現れたタイミングだ。そのほとんどが、私の身からブローチが離れている時だった。
晩餐会の時、私はブローチをうっかり忘れてしまっていた。それでグラスに映る彼女を見た。ライヴァンにブローチを奪われ気絶した時も、夢の中のような場所で黒い女に会った。そして力の暴発を止めきれずブローチが壊れた後、彼女は実体を持ち話していた。
今パッと思い出したのはこのくらいだが、他にもあった気がする。
「アンナはもう目覚めてしまったのね。聖気で分かるわ。今の貴女からは、伝説の王女と同じ聖気を感じる。まさかこんなに早く目覚めるとは思わなかった……」
彼女は少し寂しそうな表情をしていた。
止めてよ。折角会えたのにそんな顔されたら、こっちまで寂しい気持ちになってくるじゃない。
「ごめんなさい、アンナ。私が傍で護ってあげられれば良かったのに……」
「大丈夫。私にはちゃんと護ってくれる天使がいるの。だから心配しないで!」
私はわざと明るく言った。そうしないと湿っぽい雰囲気に流されてしまいそうだったから。
「それより一つ聞いても構わない?」
今度はこちらから話を振る。
「もちろん。構わないわ」
彼女は静かに頷き問いを待つ。
「私、言葉を現実にする力を持っているみたいなの。まぁ最近できるようになったんだけど、これって私の聖気の力?」
すると彼女は答える。
「えぇ、そうだと思うわ」
「やっぱり!」
自分にできることがあると思うのはやはり嬉しい。
「それが、エンジェリカの秘宝が持つと言われている力よ」
……そうか。頭の中で繋がった。パズルのピースが嵌まったような感じだ。
「噂でエンジェリカの秘宝が持つと言われている、どんな願いも叶える力。それは、言葉を現実にするこの力のことなのね」
「えぇ、そうなるわね。……あ。そろそろ時間だわ。それじゃあね。さようなら、アンナ」
彼女の別れの言葉と共に強い風が吹く。
青白い花弁が風に煽られ飛び散る。そして高い空へと舞い上がり、やがて見えなくなった。
まるで母が、天国へ帰ってしまったかのように。
「さようなら、お母様。……またいつか、きっと会えるよね」
そう呟いて見上げた空は、青く澄み渡っていた。




