63話 「アイーシアティー」
正気に戻って少ししてから、ジェシカは私に目をやり、言いにくそうに口を開く。
「あの……王女様、ごめん。あたし酷いこと言っちゃったかも……」
私は何と答えればよいのか考え、迷った末、簡潔にまとめることに決めた。
「ううん。気にしないで」
あれだけ言っていたのは魔気のせいもあるのだろうから、私はたいして気にしていない。あんな風になる可能性は誰にだってあるということだもの。
「ジェシカ、お前は王女に何を言った?」
エリアスが威圧的に尋ねる。
ジェシカは怯えたような顔で、体をビクッと震わせた。
「……ごめんなさい。あまり覚えてない」
瑠璃色の瞳に冷たく睨まれ畏縮するジェシカ。
「内容によっては許すわけにはいかない。覚えていることだけでも答えろ。王女に一体何を言った」
「待って! 待って待って」
今にも掴みかかりそうなエリアスを止める。
今このタイミングでエリアスに責められたら、ジェシカはまた苦しむことになるだろう。
「私は怒ってないのにエリアスだけが怒るのはおかしいでしょ? ジェシカさんを責めるのは止めて」
「しかし、王女に牙を剥く可能性がある者を傍においておくわけにはいきません」
まったく、と溜め息を漏らす。エリアスはおかしなところばかり頑固なんだから。
「ジェシカさんがあんなことを言ったのは魔気のせいよ。だって今まで一度もなかったもの」
「王女様、いいよ。悪いのはあたしなんだから……」
私はジェシカの手を握る。
「そんなこと言わないで。ジェシカさんは魔気の影響を受けていただけ。つまり被害者よ」
彼女は何か言いたげだったが黙り込む。
「だからね、エリアス。もうジェシカさんを悪く言わないで」
するとエリアスはようやく責めるのを止めることにしたようだった。
「……分かりました。今回は見逃すことにしましょう」
それから彼はジェシカに視線を移す。
「ジェシカ、今後王女に対して失礼のないように」
「……うん」
ジェシカは小さく頷く。これでひとまず解決といったところか。
「今日は一緒に寝るー?」
「は!? キモッ」
「僕たちもう家族になるんだし全然キモくないよー」
「いやいやいや! 待って、あたしまだ答えてないし!」
ノアとジェシカはそんなやり取りをしていた。なんだかとても懐かしい気がして心休まる。
やっぱり仲良しが一番ね。
「王女」
二人の様子を眺めている私にエリアスが声をかけてきた。
「お茶でもいかがですか?」
「いいわよ、そんな……」
すると彼は小さな包みを取り出す。香ばしさのある甘い香りが嗅覚を刺激する。
「エンジェルコーンッ!?」
思わず叫んだ。エンジェルコーンは香りですぐに分かる。
「はい。ヴァネッサさんのクッキーです」
「ヴァネッサは元気にしているの?」
そういえばヴァネッサのことは聞いていなかったな、と今更思う。
「えぇ。体内の魔気は無事除去されましたし、もういつも通りでしたよ」
「それは良かった!」
私はエリアスから、ヴァネッサが作ったエンジェルコーンのクッキーを受け取る。もうしばらく食べていない。すぐにでも食べてしまいたい衝動に襲われる。我慢、我慢。
「ヴァネッサさんから受け取った茶葉があります。今、お茶を淹れますね」
「できるの?」
エリアスが家事をするところは見たことがないので少し意外だった。
「地上界へ行くならとヴァネッサさんが教えてくれました。まだ上手くはありませんが、ある程度基礎は理解しました」
「なるほど。じゃあ折角だし淹れてもらおうかしら。ジェシカさ——」
ジェシカとノアも誘おうと思い振り向くと、二人は布団の上で何やら楽しそうにしていた。と言っても、ノアがジェシカに一方的に絡んでいるだけだが。
「ジェシカは冷たいなー。もっと仲良くしようよー」
「意味不明って言ってるじゃんっ! しつこい!」
「だってジェシカが可愛くて仕方ないんだもんー」
楽しそうな二人の邪魔をするのも悪い気がするというもの。放っておくことにした。
「エリアス、ここに座っていたらいい?」
「はい。少々お待ち下さい」
私は椅子に腰かけてエリアスの淹れるお茶を待つことにした。
「そういえばエリアス、これからはこっちで暮らすの?」
少し退屈なので尋ねてみると、エリアスは作業をしながら返す。
「はい。これからはまた、貴女の傍にいられます。どうぞよろしくお願いします」
彼はいつになく真剣な顔でお茶を淹れていた。
そして数分経つと、それをコップへ注ぎ運んでくる。
「結構すぐにできるのね」
「はい。すぐにできて簡単なものをヴァネッサさんが選んでくれたので」
白っぽい濁りのあるお茶だ。浮いている白い花弁のようなものが雪みたいに見える。
「これは何ていうお茶?」
何げなく尋ねる。
「アイーシアという、エンジェリカ原産の花を使ったお茶だそうです」
長い睫が微笑みに柔らかな雰囲気を添える。
「それ知ってるわ。確か中庭に咲いているやつでしょ?小さい頃ヴァネッサとよく見に行ったわ。お茶になるなんて知らなかったけど」
お茶を一口飲んでみる。
……渋い。それに苦い。しかもかなり植物の風味がする。でも、喉を通った後にフワリとくる香りは優しくて好きだ。
エリアスはお茶を飲む私を不安そうに見つめている。
「どうでしょうか」
正直な感想を言わないべきか迷いつつ、「……うん、まぁまぁね。ちょっと渋いかも」と答えた。その方が成長に繋がるかなと思ったから。
「渋かったですか。申し訳ありません」
「ううん、気にしないで。まだ慣れてないんでしょ? 今からもっと上手くなるわ」
「ありがとうございます。必ずや上手くなってみせます」
エリアスは嬉しそうに誓う。
でも何だか意外だ。エリアスは完璧だと思っていたから。彼もいきなり完璧なわけではないのだと知り、何だか親近感が湧いたのだった。




