43話 「未来への一歩」
あの後ノアはジェシカを救護所へ預けた。そして私は彼とライヴァンと三人で、救護所の外へと出た。外は相変わらず瓦礫の山で、埃と煙の臭いしかしないが、空は青く澄んでいる。柔らかな光が差していた。
「ライヴァン、これからどうするつもりなの? この騒ぎに乗じて魔界に逃げ帰る?」
私は静かに尋ねる。これほど破壊された光景を見続けても、私のせいだとはいまだに実感が湧いてこない。
「……いや。麗しい僕は逃げ帰ったりしないっ!」
片足だちで両手を上に掲げたような意味不明なポーズをしっかりきめる。
「実はしばらくはここに残ろうかと思っているのだよ」
「へ?」
予想の斜め上をいく答えに、思わず情けない声が漏れてしまった。
「この美しさに天使たちはメロメロになることだろうっ!」
まったく理解できない。何を言っているのかさっぱりだ。通訳がほしい。
「魔界へ帰っても殺されるだけだ。つ! ま! り! だなっ。天界を旅してくるっ!」
「えぇぇっ!?」
顎が外れそうになった。
「貴方悪魔よ? 天界を旅するって、そんなの……、普通に駆除対象にされるわよ?」
「僕は新しい人生をゆく!」
まったく、馬鹿げた話だ。ライヴァンは悪魔。どうしたってそれは変わらないのに。コウモリのような羽は生えているし、魔気は放出し放題だし。純粋な悪魔が天界で暮らしていくのは恐らくかなり厳しいだろう。激しい差別を受けるだろうし、場合によっては捕まったり処刑されるかもしれない。
「……きっと苦労するわ」
「いいさ。天界でなら卑怯でなくとも勝者になれる。君の言っていた言葉を信じて、これからは卑怯でない人生を生きようと思っている」
私は一呼吸おいて言う。
「それでも貴方は、天界に生きることを選ぶのね」
「どんな困難も、この麗しさで乗り越えるさ!」
ライヴァンは自信満々に言い放ち、bの文字みたいなポーズをビシッときめた。
「それではな。さらばっ!」
彼は大地を蹴り、上空へ飛び上がる。コウモリのような羽をバサバサと羽ばたかせながら、彼はどこへともなく飛んでいった。
「さよなら、ライヴァン。またいつか会いましょう」
私は飛んでいく彼の背をじっと見つめていた。少しだけ寂しさを抱えながら。
「王女様、ライヴァンを勝手に逃がしてよかったのー?」
今まで黙っていたノアが口を開く。彼の発言は確かにその通りだと思うが、今の私にとってはそれほど気になることでない。
「分からないけど、多分いいんじゃない?」
「怒られないかなー?」
「私はもっと怒られることがあるもの。ライヴァンぐらい些細なことだわ」
エンジェリカの王女でありながらエンジェリカを破壊した。いくら意図的でなく力の暴発とはいえ罪は罪。怒られ罰を受けるのは目に見えている。
「それってエンジェリカを破壊したことを言ってるー?」
私は小さく頷く。するとノアはニコッと笑みを浮かべた。
「王女様は大丈夫。だって、いい人だからさー」
「でもびっくりさせたでしょ」
「ううん、平気ー。だってほら、僕は聖気には鋭いからさー。それに、王女様から出た聖気は、天使だけは全然傷つけなかったよー」
「嘘でしょ。みんな怪我していたわ」
「あれは衝撃波で飛ばされたり瓦礫で怪我しただけだよー」
「同じことよ」
……なんだか気まずい空気。
折角励まそうとしてくれていたのに、ちょっと酷いこと言ってしまったかな?そんな風に悔やむ。でももう遅い。いや、気にしすぎ?
「王女様は大丈夫だよー。隊長がいるし、ジェシカもいるし。ヴァネッサさん……だっけ、あの人もいるしさー」
ノアはのんびりとした口調で話し出した。
「王女様の場合は、恵まれた環境にいるって気づくことが未来を開いていくのかもねー」
まるで自分が恵まれていなかったかのように彼は言う。
「ノアさんは、恵まれていなかったの?」
すると彼は少し間を開けて、静かに答える。
「……そんなことはないよー。ちょっと複雑だったけど、ただそれだけだねー」
「いつか聞かせてくれる? ノアさんの昔の話とか」
「王女様が聞きたいならねー」
ノアは右サイドの髪に触れながら穏やかに笑う。こんな風に二人だけで話すのは初めてだが、案外気楽だ。体の力を抜いて自然に話せる。ずっと昔から知り合いだったみたいな不思議な感じ。
「じゃあいつか、みんなで語り合うのはどう? ジェシカさんとエリアスも呼んで」
「うん。ヴァネッサさんも忘れずに呼ぼうねー」
「もしかしたらヴァネッサは断るかもしれないわね。ヴァネッサはあまり騒がしいのが好きじゃないから」
そんな風に楽しいことを想像していると幸せな気分になってくる。すべての罪がなかったことになるような気すらしてくる。それが幻想にすぎないと理解していても、今だけは夢をみていたい。
「突然、失礼します」
ノアと話していた私に声をかけてきたのは、白い服を身にまとった真面目そうな男性。襟に親衛隊の紋章がついていることから、私の父ディルク王の部下であることがすぐ分かった。
「アンナ王女。王様から貴女にお話があるとのことですので、ご同行願います」
感情のこもらない淡々とした声で言う。
……夢から覚める時間か。
「分かりました。同行します」
私が死刑にならず道を返ることができたら、あの黒い女は喜んでくれるだろうか。ふと頭にそんなことが浮かんでくる。
女はずっと、一人孤独に、自身を悔やみ周りを憎んでいた。すべてを失い自身も辛かったはずなのに、誰にも話せぬまま、破壊してしまった日のエンジェリカにずっといたのだろう。四百年もの間。だけど、彼女はエンジェリカを一番愛していた。それだけは間違いない。
私が同じ結末を辿らないことで、貴女の時計の針を動かすことができるなら——私は。




