40話 「どうして」
ジェシカの制止を振り切り、カウンセリング室のドアを勢いよく開ける。
「王女!?」
エリアスが信じられないものを見たような顔をする。つい衝動的に彼を追っていったものの、その後のことをまったく考えていなかった。
「おや。やはり王女様はいらしたのですな」
ベルンハルトの声だった。驚いて声のする方を見ると、銀髪の男性が立っていた。間違いない、ベルンハルトだ。まさかこんなところまで来ているとは。やってしまった……と衝動的な行動を後悔するが、今さら後悔してももはや手遅れ。
「嘘つきはよくありませんな」
ベルンハルトの顔に薄ら笑いは浮かんでいない。怒ったように眉がピクピク微動している。
刹那、ベルンハルトが指先で何かを描く。
「きゃっ!」
氷の破片が飛んでくる。
が、目の前で全部跳ね返った。
「もー、危ないなー」
ノアが聖気で薄紫のシールドを張っていた。それで防げたのだろう。いつもはまったりしているのに、こういう場面では素早いのが不思議だ。
「王女様! 大丈夫!?」
カウンセリング室からジェシカが出てくる。
「こっちは平気だよー」
「アンタ怪我してるじゃん! 心配すぎ!」
「ほら、僕は動かなくても戦えるしさー」
「防御だけだけどね……」
一方エリアスは槍を構え戦闘体勢に入る。さっきまでとは目つきが変わった。
「ノア、王女を頼む」
「はいはーい」
ノアのお気楽な返事とほぼ同時にエリアスはベルンハルトへ急接近する。そして槍を振る。ベルンハルトは槍の長い柄を方腕で止め、もう片方の手を掲げる。すると小さなコウモリのような悪魔が大量に現れた。
「年老いているからと、なめてもらっては困りますぞ」
ベルンハルトの赤黒い瞳がギラリと怪しく輝いた。
エリアスは一度距離をとる。そこに、小型悪魔が一斉に彼をめがけて飛んでくる。
「その言葉、そっくり返す」
群がる小型悪魔を、白い一閃が消滅させた。エリアスの聖気を込めた槍での一撃。さすがに強烈だ。並大抵の相手では、たちうちできない。
「ふむ……一撃、か」
ベルンハルトはその様子を目にして興味深そうに呟く。
「次はお前だ」
長い槍の先がベルンハルトに向くが、当のベルンハルトは少しも警戒していないようで、まだ興味深そうに独り言を言っていた。
「……さて、実力はどれほどのものですかな」
エリアスは槍を操り攻撃するが、ベルンハルトはユルユルとした滑らかな動きでかわす。さすが四魔将だけあって一筋縄ではいかない。ベルンハルトは天井に当たりそうなぐらいの高度まで飛び上がる。エリアスは槍を持ったままベルンハルトを追う。今度はエリアスに向けて氷の欠片が飛ぶ。だがそれを読んでいたらしいエリアスは、体を回転させるようにして氷の欠片を避けた。
「おぉっと!」
槍に触れかけたベルンハルトはわざとらしく大袈裟にそんなことを漏らす。
「……なんてな」
片側の口角をニヤリと持ち上げる。それとほぼ同時に、背中から出てきた一本の細い触手が、エリアスの左肩辺りを突き刺した。隙ができたエリアスを、ベルンハルトは全力で蹴り落とす。抵抗する時間もなくエリアスは床まで落下した。
「エリアス!」
私は思わず叫んだ。
しかし、かなりの勢いで床に叩きつけられたであろうエリアスは、すぐに体を起こす。即座に立つのは無理のようだが、肩膝をついて座るぐらいはできている。
「……っ!」
エリアスは左肩を押さえて顔をしかめる。そこに追い討ちをかけるように、ベルンハルトは上から大量の氷の欠片を降らせる。
「エリアス! 逃げてっ」
ジェシカが大きく叫ぶ。爆発が起きる。ノアがいなければ爆風で飛ばされていたかもしれなかった。その後、煙が広がる。煙のせいで視界が悪く、辺りの様子を視認できない。
やがて煙が晴れると、エリアスが座り込んでいるのが見えた。私は堪らなくなって彼に駆け寄る。
「エリアス! 大丈夫!?」
頬にはいくらか傷がつき、先程ベルンハルトの触手に刺された左肩からはドクドクと血が流れ出て、腕を伝って手まで濡れていた。それでもまだ意識はあるし、全然動けない状態ではないようだ。
「このぐらいでは致命傷にはなりません。まだ戦えます」
彼の目は挫けていなかった。
「でもエリアス、血が出てるわ。早く手当てしなくちゃ……」
血が流れている肩に触れようとすると、彼は静かに、それでいて真剣に言う。
「触れないで下さい。魔気が移ります」
一瞬意味が分からなかった。
「え? ま、魔気って……どうしてエリアスから?」
「さっき刺された時、瞬間的に魔気を入れられました。ですから、王女はなるべく触れない方が良いかと」
そんな。やっぱりヴァネッサと同じようになってしまう。私はショックを受けた。
「そんな! エリアス、魔気は平気なの?」
彼の呼吸は少し乱れていた。
「えぇ。……このくらいなら、問題ありません」
それでも彼は微笑んだ。
きっと苦しいだろうに、弱音は決して吐かない。
そんな時だった。
「お話はそこまでですぞ」
ベルンハルトの声を聞き、振り返る。先程と同じ一本触手が迫ってくるのが見えた。間違いなく私を狙っている。「もう駄目だ」と思い瞼を閉じる。
——しかし、触手が私の体に刺さることはなかった。
「……く」
喉が締まったような微かな声が耳に入る。触手は私をかばったエリアスのうなじに突き刺さっていた。
「そんな……!」
私が着ている式典用の衣装が、エリアスの血で赤く染まっていく。それを見た時、私は戦慄した。
「……王女、私は……貴女の傍にありたい……」
一瞬だけ、瑠璃色の瞳が力なく私を見た気がする。そして彼は崩れるように倒れた。
「こんな……こんなことって……」
——その先は覚えていない。




