36話 「当たり前には気づかない」
「……逆らうとは、小娘ごときが!」
反抗されたことを怒ったベルンハルトに腕を掴まれそうになった瞬間、エリアスが目にもとまらぬスピードで飛んできた。気がついていなかったベルンハルトに蹴りを一撃お見舞いすると、倒れているヴァネッサと私を抱えて、一気にその場から飛び去る。
「待ちなさい! 逃げるとは許しませんぞ!」
ベルンハルトは叫びながら追ってくるが、さすがの彼もエリアスに追いつくのは無理だったようで、追いかけるのは途中で諦めたらしい。エリアスは物凄いスピードで王宮の中へ私とヴァネッサを運んだ。
王宮内に入ると、エリアスは片膝をついて、はぁはぁと荒い呼吸をする。彼にしては珍しく肩が大きく上下している。久々にこれほど激しい飛行をしたからだろうか。
「エリアス、大丈夫?」
私が心配して尋ねると、彼はその体勢のまま顔を上げた。
表情は普段通り。特別緊迫した感じでもない。
「はい。この程度、何ともありません。今からヴァネッサを医務室へ運びます。その間、王女は……」
言い終わると立ち上がり、意識のないヴァネッサを両腕で持ち上げる。俗にいうお姫様だっこという体勢。いくら女性とはいえ、一人前の大人をこうも軽々と持ち上げるとは、エリアスはさすがだ。私だったら運ぶ以前に持ち上げられないだろう。
「私も一緒に行くわ。ヴァネッサが心配だもの」
私ははっきりと言った。
ヴァネッサがこんな目に遭ったのは私のせい。だから、せめて傍にいたいと思うのだ。
「侍女の心配をするとは、王女はお優しいですね」
「そうかな。母親を亡くした私にとって、ヴァネッサはずっと母親みたいなものだったから」
悪魔はまだ王宮内までは入ってきていなかった。使用人たちがバタバタしていて騒がしいのはあるが、ひとまず落ち着く。
「だから私がヴァネッサを心配するのは当然のことだわ」
「そうですか。王女はやはり、お優しい方です」
ヴァネッサを運びながら、エリアスは微笑む。
ベルンハルトはこのまま私たちを逃がしたりしないはずだ。「エンジェリカの秘宝を手に入れる」という具体的な目的があるのだから。いずれ必ずまた会い戦うことになるだろうが、今だけでも、エリアスとこうして落ち着いて話せることが嬉しくてならない。
医務室へ行くと、ちょうどラピスが肘の擦り傷を消毒してもらっているところだった。エリアスに抱かれているヴァネッサを見てラピスは驚く。
「エーーッ! ヴァネッサは一体どうしたノッ!?」
相変わらず大きなリアクションで叫ぶ。それをよそに、医者の天使はエリアスに冷静な口調で事情を聞く。エリアスも冷静に説明していた。
「王女様も一緒だったのデスネー! ヴァネッサに一体何があったのですカ?」
医者の天使とエリアスが深刻な顔で話しているのを待っていると、ラピスが尋ねてくる。彼女はヴァネッサの友達だ。実に言いにくいが、真実を隠すのも悪い気がして、私は彼女に本当のことを話すことにした。
「そうデスカー、なるほどネー。それなら納得しまシタ!」
喋り方は安定の独特さだ。
「貴女のお友達を……ごめんなさい」
「いえいえ! ソンナノ謝らないでくだサイ!」
ラピスは明るかった。
「王女様をお守りスル! それがヴァネッサの仕事ですカラ。当然のことデスネ!」
その明るさに私は救われた。
「……ヴァネッサはネ」
彼女が唐突にそう切り出す。
「結婚をして、夫と子どもと、楽しく過ごしていたのデス。でもある時、さっきみたいなエンジェリカへ悪魔の群れが来たことがアッテ、その時に夫と子どもを失ったのデス。しばらくずっと塞ぎ込んでいまシタ」
ラピスはいつもの晴れやかな笑顔とは違う、少し切なげな笑みを浮かべて話す。
「やがて悲しみカラ少しだけ立ち直ったヴァネッサは、王宮へ働きに出ることを決めマシタ。そして、ちょうどその頃に生まれたばかりだった王女の、世話係になったのデス」
「それが、私ですか?」
私が気がついた頃には既に近くにいたヴァネッサ。厳しくて口煩くて、たまに鬱陶しい時もあったけど、でも、私が悩んだり悲しんだりしている時には、いつも傍にいてくれた。
「ソウソウ。ヴァネッサは、忙しくしている方が忘れるカモー、と思ってたみたいデスネ!」
私がしんみりしているうちに、ラピスはいつの間にか明るい表情に戻っていた。いつもの笑顔が眩しいラピスだ。
「だからヴァネッサは、王女様に救われたんデス! 友達とシテお礼を言わなくちゃデスネ!」
「お礼だなんて、そんなものはいりません。むしろお世話になっている私がお礼を言わなくてはならないくらいです」
お礼を言ってもらう資格なんてない。私が言わなくてはならないのだ。「ありがとう」と。そして、ヴァネッサが傍にいることを当たり前と思ってすごしてきた私を、叱らなくてはならない。
「ヴァネッサ……ちゃんと良くなるかな」
不安に駆られていた私を、ラピスがそっと包み込むように抱き締めた。腕も体も、すべてが温かく、おまけに何だが良い香りがする。
「大丈夫デス」
彼女にしては小さな穏やかな声で言った。
「心配はいりマセン。ヴァネッサのことですカラ、すぐに復活するでショウ」




