お喋りしよう
「ねえ、ママ。お願い」
「ダメです! そんな事にお金は出せません」
ママとの交渉は、あっさりと決裂した。
「ごめんね、ミーシャ。ママはダメだって」
あお向けに寝転んでいる三毛猫のお腹をさすりながら僕は呟く。ミーシャは不意に後ろ足で立ち上がり、前足でペンを掴んで、紙に何かを書き始めた。
三ヶ月前、ミーシャを拾ってきた時は普通の猫だと思ったけど、そのうち二本足で立ったり、前足で物を掴んだりするようになったんだ。獣医さんに見せたら、ミーシャは三十年前に遺伝子操作で作られた頭の良い猫の子孫なんだって。
今はそういう事は法律で禁止されてるけど、その時に作られた猫達の子孫は高い値段で取引されているから、ミーシャを他人に見せないように言われたんだ。ミーシャは、人間の言う事は分かるって聞いたので、僕は今ひらがなを教えてるんだよ。
『けんちゃんとおはなししたい。だめなの?』 ミーシャは下手なひらがなでそう書いた。
「へえ! ミーシャひらがな覚えたのね」
いつの間にか、僕の後にお姉ちゃんが立っている。
「お姉ちゃん。友達に聞いたんだけどさ。手術するとミーシャは、喋れるようになるって」
「それ、あたしも知ってる。普通の猫はダメだけど、ミーシャみたいな知性化猫はナノマシーン手術をすれば、喋れるようになるんでしょ。ママに頼んでみた?」
「ダメだって。そんな事にお金出せないって」
「ケチねえ。大した額でもないのに。あたしの毎月の携帯端末の通信料より、よほど安いわよ」
それはお姉ちゃんの端末使用料が多すぎるだけだと思うんだけど……
「いいわ。お金はあたしが出してあげる。昨日バイト代が入ったばかりだし……」
「いいの?」
「いいって。あたしもミーシャとお喋りしたいし……」
「わーい!」「ふにゃー!」
僕とミーシャは、嬉しくてお姉ちゃんに抱き付く。
翌日、僕はミーシャを手術に連れて行った。
それから一週間、ミーシャは発声練習を続けて、すっかり喋れるようになった……のはいいんだけど……
「お姉ちゃん。ママが手術を嫌がったわけ分かったよ」
「どうしたの?」
「ママったらさ、誰もいない時にミーシャ相手に、おばあちゃんの悪口を言ってたんだよ」
「そ……そうなの。まあ、嫁姑の問題は、仕方ないし……それより、ミーシャ。その事は誰にも言っちゃダメよ」
「どうしてニャ?」
ミーシャは、不思議そうに言う。
「ママがおばあちゃんに虐められるからよ。とにかく、ママとミーシャが二人切りの時に、ママが言った事を他人に言っちゃダメよ」
「分かったニャ。お姉ちゃんやケンちゃんと二人っ切りの時に、言った事もかニャ?」
「もちろん、ダメよ」
「わかったニャ。ケンちゃんが隠した、零点のテストの事は黙ってるニャ」
「あわわわ!」
「ケンちゃん。出しなさい」
「お姉ちゃんが、パパの煙草吸ってた事とかも、喋っちゃダメかにゃ?」
「ダメ! 絶対ダメ!」
「お姉ちゃん。高校生が、煙草吸っちゃいけないんだよ」
「どうせ二年後には、おおっぴらに吸えるからいいのよ!」
「時々、うちにこっそり入ってくるお兄さんの事も、言っちゃダメかニャ?」
「だれ? そのお兄さんて」
泥棒かな?
「時々、ママしかいない時に入ってくるニャ。でも、ミーシャと遊んでくれないニャ。ママとは、遊ぶのに……」
「遊ぶって……どんな事して、遊ぶの?」
なんでお姉ちゃん、そんなに怖い顔するんだろう?
「お兄さんとママと、一緒にベッドに入って……ウニュ!」
お姉ちゃんが、大慌てでミーシャの口を手で押さえたので、ミーシャがその次に何を言おうとしていたか分からなかった。その後、お姉ちゃんは物凄く怖い顔で、この事を喋るなと僕とミーシャに厳命した。良く分からないけど、この事を喋ると家庭が壊れるらしい。
家が壊れるのは嫌だから、僕もミーシャもこの事は黙っている。でも、これからはミーシャの前で、うかつな事は言えないなあ。