第一話 出会い
ある朝、いつも冷静な父が、珍しく慌てた様子で私の部屋へやってきた。
「花蓮すぐ用意しなさい。持っている中で一番上等な衣装を着て」
「どこかへお出掛けするの?」
深い眠りの世界から突然引きずり出され、私はまだ開ききらない目をこすりながら、父に問いかけた。
よく見ると、父はいつもの麻衣ではなく、一張羅の鼠色の絹の長衣を羽織り、頭には黒く角張った帽子を被っていた。
「父は今日から、あるお方に学問をお教えする役目を命じられた。お前は、そのお方と一緒に勉強したり、遊び相手になって差し上げるんだよ」
そう言いながら父は、下女に私の身支度を急ぐよう命じた。
私は寝ぼけ顔のまま、女達に囲まれ、あっという間に寝間着をはがされ、かわりに牡丹の刺繍が美しい、桃色の着物を着せられた。
そして、一人の下女が靴を履かせる一方で、別の女が私の髪をきつく引っ張り、頭頂部で玉のように結い上げ、そこに着物に合わせた桃色の牡丹の花を挿した。
やがて父は、身なりが整った私の体を抱き上げ、馬に飛び乗るとそのまま一直線に駆け出した。
「父様、落ちる! こわい!」
泣き叫び馬の背にしがみつく私を気にもとめず、父は何度も馬の腹を蹴って、なお一層先を急いだ。
若竹が眩しい林を駆け抜け、幌を掛けただけの粗末な商店が並ぶ町中を過ぎると、やがて前方に天にも届きそうなほどに高い塀が見えてきた。
どこまでも左右に続く白壁の中央部には、黒く大きな鉄の門があり、父は迷うことなくそこを目指して突き進んでいった。
私が宮殿に入ったのは、この日が初めてだった。
見上げるような重厚な黒い門を抜けると、果てが見えないほどの広場に、板状に磨き上げられた白い石が敷き詰められていた。
先に馬上から降りた父は、私を抱いて地面に降ろし、そばにいた兵に馬を預けると、私の乱れた髪や着物を手早く整えた。
「くれぐれも失礼のないようにするんだよ」
そう言いながら、私の襟元を整える父の手が震えていた。
鉄の兜を被り、大きな刀を腰に下げた男達に睨まれながら、父に手をひかれ広場を進んで行くと、奥に巨大な御殿が見えてきた。
御殿へ続く石造りの階段を上りながら、私は口を丸く開けて、その巨大で美しい建物を見上げた。
朱に塗られた柱には、金の施しがなされ、天井に目を向けると、梁にまで鳳凰の彫り物がされていた。
見たことのないきらびやかな世界に魅了され、何度も足が止まりそうになる私の手を、父はそのたびに強く引き、早足で階段を上がっていった。
御殿の入口につくと、父はそこにいた兵に自分の名を告げた。
髭に顔を覆われた鬼のような形相の兵は、難しい顔をしながら何度かうなずき、閉ざされた扉の向こうに向かって、何か大きな声をあげた。
すると間もなく、きしむような重々しい音と共に、黒い扉がゆっくりと開きはじめた。
やがて人が通れるほどの隙間が開くと、兵は、私たちに中へ入るよう促した。
恐る恐る私たち親子が中に入ると、背後で再び扉がきしみ、最後にドーンという大きな音を立てて閉じた。
その音に驚き、思わず飛び上がった私が父を見上げると、その顔は蒼白で、額には汗が滲んでいた。
昼間なのに暗い室内に目が馴れて来ると、裳をつけ、冠帽を被った年齢のまちまちな男達が左右に居並び、私たちに冷ややかな視線を送っているのが見えた。
向かい合わせに二列に並ぶ男達の間の奥に目を向けると、朱色の柱に囲まれた一段高い場所に、黄金の大きな椅子が置かれていた。
そして、そこには五色の宝玉が垂れ下がる冕(冠)を被った幼い少年が座り、大きく力のある瞳で私の顔を興味深気にじっと見つめていた。