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第4話 坑道

マルタは寝起きの顔のまま、認識札の束を灯りにかざしていた。

絡まった紐を一本ずつほどいていくと、札は九枚あった。第七小隊は十人だったから、担架で運ばれていった男の分を引けば数は合う。マルタは札を木箱の上に一枚ずつ並べていって、最後の一枚、半分が皮膚に埋まったものを手に取ったところで指を止めた。


「どこにあった」

「横穴のいちばん奥だ」リーフェは壁際にしゃがんで、背中の焚べ筒を膝の上に下ろした。

「床が柔らかくなっているところがあって、そこに散らばっていた。それだけは、床から生えていた」


ピートはいつの間にか起きていて、藁の上で毛布を肩まで引き上げていた。

「生えてた?」

「そうとしか言いようがない。引き抜こうとしたら、温かかった」


双子もユーリも目を覚ましていたが、口を挟む者はいなかった。グレンは三日前の夜、湿地で見た死骸のことを思い出していた。

エルフの腕と人間の手が縫い目もなく獣の胴につながっていて、その人間の指が一本、泥の中で曲がった。翌朝もう一度見に行ったときには、死骸はとうに騎士団に片づけられていた。


「隊長。湿地のやつと、同じかもしれない」

マルタは札をしばらく指で揃えていたが、やがてまとめて麻袋に戻し、口を縛った。

「アイレン様のところへ行くよ。新入り、あんたも来な。あの死骸を見たのは、あんたとあたしだけだからね」


騎士の天幕は、塹壕から下がった丘の上にあった。

入口の布をくぐると、中は乾いていて暖かかった。毛足の長い敷物が敷いてあって、奥の卓では銀の燭台が灯っている。泥まみれの長靴で敷物を踏むのは気が引けたが、マルタは構わず奥まで進んだ。


アイレンは卓に向かって書き物をしていて、顔も上げずに「用件は」とだけ言った。

マルタは麻袋の中身を、卓の上にそのまま空けた。認識札が音を立てて散らばり、書きかけの紙の上まで転がっていく。アイレンの眉が動いた。

「第七小隊のもんです。西の坑道の奥で拾いました。生き残りは一人で、昨日施療所に送ってます」

「報告は聞いている。坑道の掃除中に崩落に巻き込まれたと」

「崩落なら、札が床から生えたりはしませんよ」

マルタは皮膚に埋まった一枚を、アイレンの目の前に置いた。アイレンは手に取らず、目だけを落とした。


「それと、東の湿地にもう一つあります。半月で三つ目になりますかね。獣の胴から、エルフの腕と人間の手が生えた死骸です。前の二つも報告は上げてますが、誰も見に来ちゃくれなかった」


エルフの腕、のところで、アイレンの目がマルタから外れた。ほんの一瞬で、すぐにつまらなそうな顔に戻ったが、グレンはそれを見逃さなかった。何を思ったのかまでは、わからない。

「年季兵の小隊がひとつ消えて、湿地に妙な死骸が転がっている。それで、私に何をしろと?」

「見に来てほしい、とは言いません。上に回してもらえれば」

「回したところで、誰も読まない」

アイレンは札を指先で卓の端へ寄せた。その手つきが査定官とそっくりで、グレンは笑いそうになるのをこらえた。


天幕の外で声がして、伝令らしい若いエルフが入ってきた。封蝋のついた書状をアイレンに渡すと、すぐに出ていく。封蝋には、教会の紋が押してあった。

アイレンは封を切って目を通し、今度ははっきり眉をひそめて、最初から読み直した。

「……泥鼠に命令だ。明朝、西の坑道の奥を調べろ。異常があれば、できるかぎり現物を持ち帰れとある」

マルタの、煙草をくわえかけた手が止まった。

「誰からです」

「大神官府だ」アイレンは書状を卓に放った。

「第七が消えたことも、湿地の死骸のことも、私はまだ上に上げていない。なのに向こうから、泥鼠を名指しで寄越せと言ってくる。理由を聞きたいのは私のほうだ」

グレンとマルタは顔を見合わせたが、アイレンはもう二人を見ていなかった。

「下がれ。明朝までに支度を済ませておけ」


壕に戻ってマルタが命令を伝えると、双子はそろって天井を仰いだ。

「戻ってきたばっかりなんですけど」

「知ってるよ」

「ダミの腕、まだ吊ってるんですけど」

「片手でも装填はできるだろ」

「装填はできますけど、照準合わせるのはこいつなんで」ドミがダミを指さし、ダミが「今日は俺がドミだろ」と言い返して、また揉めはじめた。

マルタは聞いていなかった。


ユーリは麻布の包みを広げて、針と包帯の数を数え直していた。同じ包帯を三度数えて、三度とも数え間違えていた。

グレンは壕の外で、刃筒の刃を研いだ。砥石を当てていると、隣に誰かがしゃがみこんだ。リーフェだった。頭巾を下ろしていて、灯りの下で見る顔は、思っていたより若かった。

「新入りのくせに、猪を三頭やったそうだな」

「お前もその話か」

「双子がうるさい。私が戻ってから、ずっとその話をしている」リーフェはグレンの前腕に目をやった。

まくった袖から、刻印の線がのぞいている。

「それは刻印だろう」

「知ってるのか」

「話に聞いたことがあるだけだ。焚べ筒を通さずに、体へ直接焚べるのだと」


リーフェは自分の焚べ筒を膝の上に載せて、細長い銃身を指でなぞった。

「私には、これしかない」

エルフでありながら祝福を持たないことを、リーフェはそれ以上口にしなかったし、グレンも訊かなかった。祝福種の中にまれにそういう者が生まれる、という噂は聞いたことがある。そういう子はたいてい家を追い出される、という話も一緒にだ。

「坑道の奥で、何を見た」

リーフェは膝の上の焚べ筒に目を落としたまま答えた。

「何も見ていない。ただ、奥の暗がりで、ずっと誰かが話している気がしていた。言葉はわからなかったが」

砥石が止まった。グレンは刃の上の水を親指で拭った。

「そうか」

「お前は、何か知っているのか」

「いや」

嘘ではなかった。グレンにも、焚べ筒を使った日の夕方になると決まって声が聞こえるが、それが何なのかは知らない。ただ、あの声が聞こえはじめたのは焚べ筒を握って十年は経ってからのことで、リーフェのような若い魔道兵にまで聞こえるという話は、一度も耳にしたことがなかった。


西の坑道は、もとは鉄を掘っていた鉱山だった。深淵の裂け目がこのあたりまで伸びてきてから、坑道の奥が裂け目とつながって、いまでは異形の通り道のひとつになっている。年季兵の小隊が交代で入り、出口近くに溜まった異形を掃除するのが決まりだった。


入口の前で、マルタは全員に神骸片を十二粒ずつ配った。いつもより多い。マルタの袋は、それでほとんど空になった。

「ピートが先頭だ。耳を使いな。グレンはそのすぐ後ろ、双子は真ん中、ユーリは最後尾から離れるんじゃないよ。リーフェは案内を頼む」

「隊長は」

「あたしは、帰り道に埋め火を仕込みながら行く」マルタは坑道の暗がりを顎で指した。

「何かに追われて逃げてくるときに、置き土産があったほうがいいだろう」


坑道の中は、外より暖かかった。壁に打ちこまれた古い支柱が、灯りの中に浮かび上がっては背後の闇に戻っていく。しばらくは岩と土の壁が続いたが、奥へ行くにつれて足元が湿ってきた。泥の湿り方ではなく、靴底に粘りつくような湿り方だった。

ピートは何度か立ち止まって壁に耳をつけ、そのたびに首を振って、また歩き出した。

「何もいないのか」ドミが声をひそめた。

「聞こえないんです。いつもなら、どこかで何かが這ってる音がするのに、今日は全部静かで」

そこから先は、誰も軽口を叩かなくなった。


リーフェが横穴の前で足を止めた。主坑道から斜めに枝分かれした狭い穴で、大人がかがんでやっと通れるほどの幅しかない。

「ここだ」

灯りを差し入れると、穴の奥はすぐに広がっていて、ちょっとした部屋くらいの空間があった。床に、背嚢や折れた焚べ筒が散らばっている。第七小隊のものだ。

グレンが先に入り、リーフェとピートが続いた。双子とユーリは、横穴の入口に残した。


床は、リーフェの言ったとおり柔らかかった。踏むたびに靴底が沈み、足を上げると、ゆっくり元の形に戻っていく。しゃがんで手を当ててみると、土の冷たさがなく、人の肌に触ったときのぬるさがあった。

「グレンさん」

ピートが奥の壁に耳を押しつけたまま、かすれた声で呼んだ。灯りの下で、顔が白くなっていた。

「聞こえます。足音じゃないです」

「何が聞こえる」

「心臓の音です。この壁の中から、たくさん」

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