婚約は…お父様にお任せします
サリアは騎士学校ではなく、同じ敷地内にある王立学園の領地経営科で学んでいる。
あと数ヶ月で卒業だ。
「婚約破棄?」
共同の食堂で、面白がって瞳を輝かせているドール伯爵家のエリーゼが囁いた。
「そうなの。まだ秘密ですけどね」
サリアは食事を終え、食器を給仕に下げさせたあとで囁き返した。
隣にいるフラウも囁いた。
フラウは身分こそ平民だが、王家から降嫁した姫を祖母とする大商会の一人娘だ。
「ね、アレでしょ? ミラ」
「あら、ご存知なの?」
「そりゃあ有名だもの──エラリー様狙いだって。サリアこそ知らなかったの?」
「いつも一緒に食事しているのは見てましたけれど、二人きりでは無かったので気にしてませんでした」
「あー……食堂ではさすがにね」
「ふふっ、解消できて良かったのではなくて? 今頃公爵家には山程釣書が届いていそうだわ」
「まだ、手続きは終わってないのだけれど」
「あ、ほら。また一緒にいる」
フラウの視線の先には、サリア達からは離れた席に陣取った騎士科の一団がいる。
エラリーとミラは隣に座り、ふざけ合っているのが見えた。
「毎回必ず隣に座ってるのよ、あの二人」
「……隣に座っているところまでは確認してませんでした」
「今となっては有責事項を積み上げてくれて、感謝ってところね?」
週末なので学園は明日から二日ほど休日である。
なので今日、どこかで婚約解消についての話し合いが行われているはずだ。
破談となれば侯爵は嫌がるだろうけれど、悪いのはエラリーだ。
ミラにももしかしたらペナルティがあるかもしれないが、そこは家同士の話し合いになるのでサリアが関知するところではない。
帰りの馬車ではメイジーが待ち構えていた。
メイジーは同じ敷地内の初等学園にいる。
別々に帰っても良いのだが、いつも高等部が終わるまで一時間ほど馬車で待っている。
「お姉様、今日ちょっとだけ寄り道がしたいの」
「なあに?」
「あのね、ハンナの家で生まれた犬の赤ちゃんが見たいの」
「……そのハンナちゃんは貴族?」
「ううん、平民」
「少しだけならいいわ。その前にお菓子を買っていきましょう」
貴族なら先触れがなくてはいけないが、お友達が平民なのであれば大丈夫だ。
もちろん、長居はできないが。
サリアは手土産として恐縮されない程度の焼き菓子を買い求め、メイジーに持たせた。
「公爵家には帰りが遅れるという使いを出したけれど……予定外の訪問だから、十五分だけよ」
「はい!」
通り道にあるというメイジーの友人の家は、平民の家にしては大きかった。
それなりに裕福な家のようだ。
ハンナちゃんとメイジーは自分たちが子犬のようにはしゃいでいる。
こんなふうに遊べるのは、初等学園のうちだけ。
高等部に入れば、それは許されなくなる。
いくら校内で仲が良くても身分が違えば外で交流するのは難しい。
今のサリアとフラウのように。
──子犬は可愛かった。
茶色のもこもこした塊が歩き回っているさまを見るのは、サリアにとっても癒しの時間になった。
「お姉様、あの子犬欲しい」
「お母様に聞いてみたらどう?」
「はい!」
案の定、子犬を欲しがったメイジーは帰るなり公爵夫人の元へと向かっていった。
きっと今から壮絶なおねだりが始まるに違いない。
「犬用のリボンが必要かしら」
シアナがくすくすと笑い声を上げ、幅広のリボンが良いのではないかと意見を述べた。
公爵は不在。
家令に聞いてみたところ、王宮の会議室で話し合いが行われているという。
ということは、おそらく陛下も同席しているだろう。
侯爵家がどれだけ頑張っても、婚約破棄は覆らないはずだ。
ゲオルクは毎日手紙をくれるが、会いには来ない。
サリアの婚約破棄が確定するまでは、このままだろう。
「これが婚約者のいる未婚の男女の距離感だと思うわ」
「そうですね、お嬢様」
◆
一方、その晩のシンガード侯爵家は大荒れに荒れていた。
「このバカ者がぁ!」
シンガード侯爵は顔を真っ赤にして怒り狂っていた。
「お前、お前のおかげで大恥をかいたんだぞ!」
放課後の鍛錬を終え帰宅したエラリーは、いきなり怒鳴られたので驚いて立ち止まった。
「どうしたんですか、父上」
「どうしたもこうしたもあるかぁ!」
エラリーに殴りかかろうとする侯爵を、長男と次男が押しとどめる。
「父上、エラリーには私が話します」
長男のロイドがそう言って、侯爵を次男に任せエラリーをそのまま執務室へと連れていった。
「…………?」
「まあ、座れ」
いつもは穏やかな兄の無表情さに、やや怯みながらエラリーは素直に椅子に腰掛けた。
「ローウェル公爵家から婚約破棄の申し入れがあった」
「え、まさか。先日サリアに会った時にはなにも──」
「その先日、お前は何をした?」
「え? ……確かにサリアは途中で帰ったけど……怒ってたわけじゃ」
「女連れだったそうだな」
「は? いや、ミラのことか? でも騎士仲間だぞ」
「婚約者とドレスの打ち合わせと聞いたが」
「あー……それで怒ったのか。ミラは違うよ、男友達みたいなもんだし」
執務室に沈黙が訪れた。
エラリーは視線を上げ、呟いた。
「誤解だよ……ほんとになにもないし」
「何かあったかどうかは聞いていない。周囲からどう見えるかが問題だ」
「いや、打ち合わせの前にちょっと顔合わせただけで、打ち合わせ前に帰ったのはサリアだし」
「女連れで来た挙句、隣同士に腰掛けて?」
「だから女じゃないんだって! 友達だよ、友達」
「いいか、お前は三男で婿入り先は破格の条件だったんだぞ。ローウェル公爵家との縁に加えてルーゲン辺境伯領とも縁が出来る政略結婚だった」
「破格って……サリアは養女じゃんか。そりゃあルーゲン領は良いところだけど」
「ルーゲンは辺境伯だぞ」
「知ってるけど、公爵家じゃないし……養女じゃんか」
「お前、父上に何回も言われていたよな? サリア嬢は王家の覚えめでたく高貴な血筋だって」
「聞いてるよ、ローウェル公爵が王家の血筋だからだろ。でもサリアは養女じゃん」
「まさか…………貴族名鑑は見てないのか?」
「え」
「サリア嬢はローウェル公爵の姪だ」
「知ってるって。サリアの母親が妾の子だったんだろ」
「…………」
ロイドは首を振り、溜息をついた。
「いいか、妾ではなく正式な第二夫人だ。腹違いといってもローウェル公爵の姉君は公爵家で育ち、公爵と非常に仲が良かった」
「でも自分たちの子供はメイジーだけだろ」
「サリア嬢の父親は王弟殿下だぞ」
「…………へ?」
「貴族名鑑を見てれば前ルーゲン辺境伯が誰か、わかってるはずだがな」
「それって──」
「これは秘密でも何でもない、知られた話だぞ。ルーゲン領は王家直轄の地だったが、王弟殿下が臣籍降下した際に与えられたものだ」
「え、でも……」
「でもじゃない! もういい、今日は下がれ。部屋から出るな」
ロイドは低い声でそう言い、衛兵を呼んだ。
「部屋から出すな」
「御意」
そんなつもりじゃなかった、と叫びながらエラリーは衛兵と共に二階へと上がっていった。
その後ろ姿を見ながら、ロイドはもう一度深い溜息をついた。
「ミラ・ヨルグといったか」
ロイドは貴族名鑑を棚から取り出した。
男爵位は五番目の位なので最後の方だ。
そして、同じ爵位でも爵位を賜った日が古いほうが先のページになる。
ヨルグ男爵家は後ろから三番目。
先代が戦争で武勲を上げて、爵位を賜った家だった。
「ふむ……嫡男、次男、長女、最後がミラか。庶子かと思ったがそうではないのだな」
一体どんな教育をしたらこんな事態を引き起こす娘になるのか。
ロイドはこめかみを押さえ、調査のための指示を書き付け始めた。
しばらくして、気を落ち着けた侯爵と次男のライールがノックもせず入ってきた。
「どうだった」
「全く理解していないどころか、サリア嬢が王弟殿下の実子であることすら知らなかったのですが?」
「そんなはずはない、何度も何度も言っているぞ」
「言ってたのは横で聞いてたから知ってますよ、エラリーが理解したかどうか確認しなかったのが我々の責任です」
「婚約書類の写しも渡してるんだぞ」
ライールは苦笑いでこう言った。
「読んでないんでしょうよ」
「そこまでバカだったか……」
「座学の成績は平均以下でしたよ……ああ、これですね」
ロイドは引き出しから書類を取り出した。
実技の成績は高い評価を受けている。
「座学は……戦闘に関してはそこそこ、歴史や指揮の座学は……うーむ」
「エラリーは基本的に興味がないことは、頭に入ってないんですよ」
「興味ないじゃ済まないだろうが」
「だから今こうなってる」
三人は項垂れ、頭を抱えた。
夫人が卒倒したのは翌日のことである。




