無理なことだと知っていた
そもそも流刑という罰は、恩赦があればフィスモル島に戻れる。
大地に「空船」が降りてきて、許された罪人を連れ帰ってくれる。
(空船とは、天界の島々を行き来するときに広く使われる乗り物。水に浮かべる普通の帆船の形をしており、風を受ける帆と、両弦から突き出した人力のオールで、前進や旋回を行う。そして船倉には巨大な浮遊晶の塊と「制御棒」が積まれている。浮遊晶には複数の横穴が掘られていて、同じ数の制御棒を抜き差しできる。制御棒は浮遊晶の浮力を吸収する銀の素材が使われており、これの抜き差しの具合で浮力を操作し、船の上昇・下降をコントロールできる)
けれども、恩赦が出るわけがない。
少し考えればチャットも分かるはずだ。
父は僕に不倫を糾弾されたと今も思い込んでいるし、兄たちは王位継承のライバルを減らすことができてスッキリしている。
彼らが政権にいる限り、僕という忌むべき存在は永久に許されないだろう。
都市国家フィスモルが代替わりして方針が変わることも考えにくい。
数十年後に兄たちの息子が政治的に台頭したとして、彼にとって叔父にあたる、面識も思い入れもない僕に対し、どうして恩赦を出そうと思うだろう?
大体、兄たちは結婚すらしていない。
まだこの世にいない甥に望みをかけるなんて、あまりにも頼りないじゃないか。
そんなわけで最初っから僕は故郷に戻れるという希望を捨てている。
最初っからとは、凧を持って島から飛び降りた瞬間から、という意味だ。
メイドの少女は微笑を崩さない。
「わたしの言う通りにしてくれれば大丈夫です」
「浮遊洲に戻るって……まさか、空船を僕らで作るのか?」
「無理です。大地で浮遊晶は採れないと聞いてます。浮遊晶がない空船は動力のないハリボテです」
「それに、もし作れたとしても、恩赦のないままフィスモル島に戻れば、立派な犯罪だ」
「はい。見つかっちゃったら、流刑より重罪(=死罪)ですね。たくさん人が住んでるフィスモルで誰にもバレずに暮らすのは難しくて、ちょっと不可能です」
「じゃあ、空船で他の国に亡命するのは?」
「ユゼル様を助けて得する国があるなんて、申し訳ないけど、考えにくいです」
「わりと失礼なことを言われた気がするが僕も同感だ」
「すみません。まあ、空船を作れないんで、空に戻ってからのことを考えてもしょうがないですけどね」
しかし彼女は、浮遊洲に戻る方法がある、と断言していた。
一体どうやって。
「ユゼル様。『黄金照記』って知ってますか?」
予期せぬ科白を聞かされた。
知ってるも何も、天上界で受け継がれる『聖典』の一つだ。
『聖典』は、全三十一部・二千九百二十巻で構成され、その中身は、神話、信条、律法、呪法、奇譚、教訓、哲学などと、それらの異本や注釈だ。
どれほど信じられているかというと、個人差がある。
敬虔な人にとっては、全てのページに真実が書かれているマジの聖なる文献だ。音読や書写をするだけで神の恵みがあるとされる。
反対に冷めている人もいて、彼らは偽史と迷信に満ちたものとしてそれを捉える。
どちらかというと僕は後者である。
しかし、誰もがとりあえず内容を知っている。浮遊洲の文化を支える一番の基礎に『聖典』があり、仮に信仰心がなくても、それに触れずに生きることはできない。非常に膨大なので全部を読み尽くす人はいないが、有名な章句、ありがたいとされる箇所は、子供でもそれを暗唱できる。
そして『黄金照記』とは第九部・二百三十九巻のことで、『聖典』の中でも十指に入るくらいよく知られている。
不勉強な僕でもこの程度は常識だ。
しかし、それが今、何の関係があるのか?
「その『黄金照記』の、十四章二百三十九節から、こう書いてあります」
勇ある者よ、魔王を倒せ。
すると、三万フィートの二本の塔が大地を割って出現し、金色に輝く。
八万八千の天使が空を舞い、歌う。
宝珠と貴金属が、家という家を飾り尽くす。
英雄の名を称える音声が全世界に響き、決して終わらない。
チャットがスラスラと暗唱する。
僕もその文章は知っている。『黄金照記』の最もドラマティックな場面だ。
「いいですか、ユゼル様。魔王を倒せば、世界中が奇跡であふれます。英雄の名前をみんなが知って、間違いなく尊敬してくれます」
瞳を輝かせ、グイッと僕に迫る。
「ユゼル様もそうなればいいんです! みんなが知ってる英雄になれば、すぐに恩赦が出ます。っていうか、世界中の国やお金持ちが競うように空船を出して、助けてくれるはずです」
「ほ……本気で言ってる?」
「はい!」
「『黄金照記』を鵜呑みにしてはいけないのでは……?」
「わたしは信じます!」
僕の全身から汗が噴き出す。
この子、大丈夫か、と。
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