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刑・大地・メイド ユゼルの冒険自省録  作者: 機関車上田
DANGER 2
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天下無双の馬鹿だった

 下痢!!


 どんな美男子も、その症状に襲われたら尊厳を著しく損なう。

 今の僕がまさにそれ。


 河原に近い茂みの中で臀部の衣服を脱ぎ、体内の悪性の物質を必死に絞り出している。

 物質は液体の性質を持っているが、すんなりとは出てくれない。滝のごとく流れ落ちることもあれば、体内に籠城して這い廻って僕に地獄の痛覚を与えることもある。全く自分では制御不能だ。


 大腸がギュルギュル鳴り始めたとき、チャットが手早く用意してくれたものが、近くに二種類ある。


 まず、柔らかくて大きな葉っぱが十数枚。

 彼女が樹海で集めてくれた、事後に拭くためのそれを、僕は両手で大事に握り締めている。


 そして臀部の直下に四角い穴が掘られている。

 メイドが白いエプロンの下から取り出した組み立て式のシャベル(彼女は円匙(エンピ)と呼ぶ)で掘ってくれた、深さ一フィート八インチ(50cm)ほどの縦穴だ。悪性の物質にあとで土を被せておけば、僕たちは衛生的に過ごすことができる。


 世話をかけて本当に情けない。

 

 見上げると、いつのまにか日差しがオレンジ色になっている。

 物悲しい夕焼けだ。


 ――考えてみれば、チャット・メイドはたいへん有能である。

 知識、行動力、忠誠心、どれも素晴らしい。

 僕を救うために敢然と大地に舞い降りて、美味しいドリンクを皮切りに、たくさんのものを的確に提供してくれる。


 すると、次のような思いが湧いてくる。


(チャットはすごいのに、僕なんかに仕えているのか……)


 もっといい職場で就業できただろうし、どこでもすぐに出世したはずだ。

 それは大商人や貴族の邸宅でも、政権を握る父や兄たちの屋敷でも構わない。

 彼女は才能をいかんなく発揮し、周りに認められ、数年、いや数ヶ月のうちに、並外れた給料と地位を得ただろう。


 そんな彼女の将来性が、うっかり僕のもとで働いたせいで、完全に狂っている。

 これはもはや僕の犯罪じゃないだろうか?


 自分を天才だと思い込み、軽はずみな政治的意見を言いまくったために、血を分けた家族に敵視され、流刑になった。

 それで周りの人間も不幸になったのだと想像しなければならない。


『お兄様方が今後もあなたの出しゃばりを許されるとは思えません』


 と諫めてくれた人のことを思い出す。


 僕の教育を小さい頃から仕切ってきた責任者の男だ。三十歳以上年が離れていて、謹厳実直で、年の功を示すかのように白い髭を蓄えていた。


 彼は十五歳の誕生日を迎えた僕を執務室に呼ぶと、胆石で痛む脇腹をさすりながら真剣に話した。


『あなたが成人になられた今では、ご兄弟といえども、王位を争う敵同士です。歴史を紐解けば、兄弟が互いを蹴落とそうとする謀略は、数え切れないほど記録されております』


『急に呼ばれて何かと思えば歴史の授業か? ハハッ』


『笑いごとではありません。危機を避けるには、慎ましい振る舞いが肝心です。三男は三男らしく、兄たちの二、三歩後ろにいるべきです』


『……具体的にはどうしろと?』


『彼らの言うことは何でも賛成するべきです。自分の主張を通そうとか、歴史に残る偉人になろうとかの野望は、必ず忘れてください。敵はいつでもあなたの揚げ足を取りたがっています。あなたは付け入る隙を与えてはならない』


『…………へえ』


『歴代の王子は身を守るために懸命の策を採っています。例えば、修道院の僧になる人がいます。或いは、王室を離れて家臣の身分になる者もいます。このような出家や臣籍降下は大変有効な手段です』


『………………ふむ』


『また或いは、酒や遊びに溺れた馬鹿の振りをするという手段もあります。『あいつは馬鹿だから脅威にはならんだろう』と敵に思わせて排除を免れる作戦です。そうやって争いを生き抜き、遂には敵同士が潰し合って全滅した頃、即位を果たしたという王子も過去にはいたのです。あなたもそのくらい策を練って気を配らねば、一体どうなることか。ご自身の命を大事に思うなら、絶対に今のままではいけません』


『…………………………』


 彼が途中から涙を浮かべて話すものだから、僕は胸を打たれ、言う通りにしようと思った。

 まあ、数日後にはその気持ちを忘れ、「兄たちが僕を蹴落とす? 世界一賢い僕がそうなるわけないだろ。むしろ返り討ちにしてやる!」と息巻いていたけど……。


 この教育係は、僕が父を怒らせて収監されたときに釈放の嘆願をしてくれた数少ない一人だったし、実際に釈放されたときは誰よりも喜んでくれた。

 今から思えば本当に僕には勿体ない人格者だ。


 ……彼を含め、第三王子に奉仕してきた家臣、執事、メイドたちは、主人を失って、きっと失職した。

 そしてチャット・メイドも当然、僕の流刑がなければ、フィスモル島で平和に暮らしていたのだろう。


 大勢の人に迷惑をかけてしまったし、特にチャットに対しては現在進行形であると結論付けるべきだ。


「僕は……天才どころか、世界一の馬鹿だ……!!」


 頭を抱えて呻いた。


 しばらくして腹の張りが落ち着いてくる。

 現時点で排出できるものは全て出し切ったようだ。

 木の葉で抜かりなく清潔にしてからズボンを穿き、土を蹴って穴にいくらか被せておく。


 河原に戻り、そこの様子を見て分かったのは、僕が大腸と戦っているあいだにチャットがたくさん働いていたことだ。


 まず、夕食が準備されている。

 串刺しにされた魚が三匹、焚火の周りに(のぼり)のごとく立てられ、香ばしく焼けている。

 川で採ったと思われるその魚はどれも一フィート(30cm)以上の大きさで食べ応えがありそうだ。

 串のほうは恐らく樹海の木の枝を削って作られている。


 次に、寝床がある。

 十数本の木材が河原の上で敷きマットの形に並べられ、そこに大量の草と葉が敷かれて表面の凹凸を埋めている。

 掛け布団はないが枕は存在し、大量の草を丸くまとめて枕の形にされている。

 焚火を挟んだ反対側にも同じ寝床があり、チャットと僕がどちらかを選ぶようだ。


 そして、飲み水の用意ができている。

 魚の焼き加減を座って見ていたチャットが、僕が河原に現れたのに気づいて立ち上がり、


「ユゼル様、おかえりなさい! おなかが痛いときは水分補給が大事です。これ、飲んでください」


 ケェコーホスィー液が入っていた金属製の水筒を渡してくれる。

 ドプン、ドプン、と満水の音がして重みがあり、しかも感触がひやっとしている。


「沸かした水をよーく冷ましておきました」


 濾過して沸騰させた水を、粗熱を取ってから水筒に注ぎ、蓋を閉めて川に沈め、流水で冷却したそうだ。


 僕はコップを兼ねた蓋を外し、それで水を飲む。

 清潔な水分と適度な低温が体の中に染み渡っていく。実に旨い。


 二杯目を注いだコップを見て、僕は動きを止める。


(……チャットに助けてもらう資格があるのか? この愚かな王子に?)


 この世界一の馬鹿は、有能な彼女の人生を狂わせた上に、さらに図々しく、焼き魚や寝床や冷たい水を受け取ろうとしている。

 一体自分は何様なのか!


 手がわなわなと震え、コップの水面が揺らぐ。

 僕の内心を察したようにチャット・メイドが言う。


「ユゼル様は優しい人です。いろんなことで悩んで、自分を責めてるんじゃないかと思います」


 慈悲深い微笑をこちらに向け、


「元気になってほしいので、明るい話をします。聞いてください」


 明るい話?


「ユゼル様が浮遊洲(ロフトランド)に戻る方法が一つあります」


「…………………………何?」


 突拍子もないことを言われ、呆然として聞き返す。

 天空に帰れるなんて百パーセントありえないことだ、と僕は信じてきた。


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