やっぱり僕は偉かった
流刑を告げられたときや、フィスモル島から飛び降りたとき、川の水を飲んで七転八倒したとき、僕は神に見放されたと思った。「もうお終いだ!」と叫びたい気分だった。
しかしその後、チャット・メイドに救われた。
こんな幸運は滅多にない。
神は僕に対して「生き延びろ、ユゼル。お前を支えるメイドを用意しておいたぞ」とおっしゃっているようだ。
つまり、ユゼル・フォルシュピール・フィスモルは、まだ終わらない!
ところで、チャットの前世がヱエアイ(?)だった件は、先ほど十分に聞かされ、正直眉唾な話だが、僕は詮索する気はない。
彼女が命を救ってくれたというこの一点だけが重要であり、それを忘れて恩人の裏事情を探るような卑しい行為を僕は望まない。
一方、チャット・メイドがこの世界に転生してからの来歴は、まだ明らかでない。
人間として生まれ変わり、この大地に降下しようと思うまで、どんなことがあったのだろう? 僕はそれが単純に気になる。
「君は機械から人間になって以降、どのように生きてきたんだ?」
コッヘルの水が沸くまでの雑談として何気なく質問した。
チャットが一瞬、何かを迷うように、目を逸らす。
だがその後、どうってことなかったみたいに明るい表情を見せた。
「――あー、ユゼル様。はしょって話していいですか?」
「長くても短くても、好きなように頼む」
「じゃ、短くします。わたしは物心ついたときから身寄りがなくて、十三歳くらいまで孤児院にいました。そのあと、メイドになろうと思いました」
「なぜなろうと思った?」
「メイドってかわいいじゃないですか」
その理由自体が可愛らしい。
「あと、前世の名前がChatMaiDですから、メイドを目指したら面白いかも、って考えました。だから、この世界でもチャット・メイドと名乗って、家政の専門学校に通って、ひと月半で全てのカリキュラムで合格をもらって卒業しました」
ひと月半で家政学校を卒業!?
やはり彼女は飛び抜けて優秀であるらしい。
「それでどこかの屋敷にメイドとして就職したんだな。優秀な君ならかなりいい職場に行けただろう。あっ、そういえば……」
僕は紺色のメイド服に目を向ける。
初めて会ったときから気になっていた。
その色は王宮で働き始めた見習いメイドのものだ。
宮仕えのメイドは経験を積んで本採用になると、より堅苦しい漆黒のワンピースを着るようになる。そうなるまでは若手であることを示す紺色のものを着る。
「その服、もしかして君は王宮にいたのか? それとも民間ではその色のメイド装束が普通なのか? 僕は王子だから民間の様子には詳しくないんだが……」
「あ。やっぱり知らなかったんですね」
「?」
「わたしはあなたの屋敷に就職しました」
これには驚かされた。
彼女は次のように説明した。
一人の王子に仕えるメイドは八十人以上いて、その中で序列が決まっている。
紺色の服を着る見習いメイドは、下っ端のうちの下っ端だ。
王子との対面や、同じ部屋にいることは許されず、ひたすら別室で先輩たちに指導され、下働きに勤しんだ。
そのせいで僕は、住み込みで働くチャット・メイドと同じ屋敷にいたのに、顔も名前も知る機会がなかったのである。
「ちなみに働きはじめたのは今年の三月十六日です」
「え! 僕はその五日後に流刑になったんだが」
「わたしもさすがに焦りました。お仕えする相手が五日でいなくなったんですから」
でも、だけど――と言い、彼女は続きを言う。
「死刑じゃないんです。流刑です。その後もユゼル様は地上で生きていくはずです。じゃあ、メイドが支えなきゃいけません。不惜身命、捨身飼虎、命を捨ててもお仕えすることを誓って、わたしは採用面接を通ったんです」
可憐な声だが、少し語気が強まる。
「それに、わたしの前世は、世界中の質問に答えた対話型AI、ChatMaiDです。誰も持ってない知識と判断力でユゼル様を助けられます。だからわたしはすぐに動きました。ユゼル様の居場所を見つけて確実に会えるよう、『光に光を返してください』ってメッセージを、流刑の凧にこっそり書きました。地上で使うことになる必需品をたくさん準備するのは時間がかかりました。それで、やっと準備が終わって今日出発できたんです。これが今までわたしがしてきたことです」
僕は目を見張った。
な……なんという忠誠心だろう。
歴史上の英傑を見ているかのようだ。
凡百のメイドなら主人を追って大地に来るなんて絶対できない。
二度と浮遊洲に帰れないかもしれない仕事を誰がやりたがるものか。
大体、メイドの下っ端であれば、その仕事は軽い気持ちでできる。
花嫁修業を兼ねたアルバイトという認識で働いている女性が、王宮であっても多数派だ。
そんな彼女たちだから、大した献身、滅私奉公は求められない。
採用面接のとき、主人に尽くす決意の強さをアピールする人がいたとしても、本気だとは誰も思わない。ましてや、命を捨てても王子に奉仕すると誓い、それに近いことを実行するなんて、九十九.九九九九パーセントありえないと考えるのが普通だ。
なのに、チャット・メイドは、本当にそうした。
その忠誠を疑うことはできない。
僕は胸が熱くなり、チャットの笑顔を見ているだけで嬉し涙が滲んだ。
そして――この天晴れなメイドに出会って命を救われたということは、
(やはり僕は幸運で、神に選ばれた王子だ!)
生きている限り、僕の人生の可能性は閉ざされない。
「歴史に残るような偉業を果たす!」という、幼いころからの野望を、まだ持ち続けることができる。
(具体的な手段はちょっと思いつかないが、もし今後フィスモル島に帰還できるなら、僕は父や兄たちに逆襲し、彼らを王宮から追い出すことさえも可能だ。だって、このユゼル・フォルシュピール・フィスモルは、神に選ばれた世界一優秀な人間なのだから!)
自尊心を取り戻し、その喜びに震える。
霞んでいた視界がだいぶ回復している。
空は青く、木々は鮮やかな緑。
川のせせらぎが昼間の太陽をキラキラと反射する。
僕は恍惚に近い気分でそれらを観賞している。
しかし、そのとき。
調子っぱずれの奇妙な音が響く。
ピィ~、ギュルルル、グルルルゥ……。
水の毒に中って消化器に異常が出たのだから、嘔吐の次はこうなるはず、と当然予期するべきだった。
ちょっと気分が楽になったくらいで全快したみたいに思っていた僕は大馬鹿者だった。