不思議な光 すぐ消えた
僕はビビった。
身を守ろうと咄嗟に考え、左の腰にあるサーベルをすぐに抜けるよう、グリップに右手を添えた。
鋭利なクックリ刀を持ったチャットが僕を見てきょとんとしている。
「? わたしが今、何をするって思いました? ……もしかして、ユゼル様を襲いそうに見えました?」
「そ、そんなわけないだろ。この僕、ユゼル・フォルシュピール・フィスモルは、決して醜態を晒さない。腐っても第三王子だぞ」
平静を装い、サーベルに触れていた手を元に戻す。
そんなビビりの僕を彼女は蔑むのではと想像したが……違った。
穏やかに微笑し、
「隠さなくていいですよ? 怖いときは怖いと言ってください。わたし、悪いことをしたら、すぐ直します」
「……!?」
「わたしはユゼル様のメイドです。決してユゼル様を傷つけません。感じたこと、気づいたことは、これからどんどん言ってもらえると嬉しいです」
「あ……そう……?」
意外な気遣いを受けて僕は呆気に取られる。
同時に不思議なものが見える。
巨大な一個の歯車が、チャットの背後に浮かんでいる。
数十本の歯を持ち、少女の背丈を少し超える直径で、緩やかに時計回りをしている。
眩しく輝き、クックリ刀を持ったメイドの全身を後ろから照らしている。
(僕はチャットの背後に現れた「歯車の挙身瞭」をそのあと何度も目撃するのだが、たぶん全ては自分の幻覚、ないしは見間違いだ。後日、この現象について本人に尋ねたら、何のことかさっぱり分からないし存在すら知らないという答えだった)
少女の奇妙な後光は、僕がいくらか瞬きをしたら、嘘のように消え去った。
今のは何だったのかと思いながら、僕はチャットの持つ刃物に再度視線を向ける。
「……で、そのナイフを、何に使うんだ?」
「河原に落ちてる流木の乾いたやつを割って薪にするんです。それで火を焚いて、川の水を沸かします。ユゼル様の症状はたぶん、川の水を飲んで細菌に侵されたせいです」
「サイキン?」
「顕微鏡で見えるレプトスピラとか、ジアルジアとか、赤痢アメーバとかです。特効薬のないこの世界だと、治すには食事と水分を摂って休むしかないんですけど、細菌は加熱すれば死にます。川の水を沸かして綺麗な水を確保することが、これからは大事です。わたしがしたいこと、わかってくれました?」
「う、うん(わかってない)」
「ユゼル様はまだ顔色が悪いし、立てなさそうですから、休んでてください。わたしが全部やります」
そうしてチャットが行動を始めた。
手際が良く、河原の流木をすぐに集めてきた。
エプロンの下から麻紐を取り出した。流木のうち、長くて直線的なものを三本選んで三フィートくらいの長さに切り揃え、その一端を麻紐でまとめて縛った。その後、縛っていないもう片方の端を軽く放射状に広げた。
もう三脚の完成だ。
河原に立てたこの三脚の下で水を浄化するのだとチャットは説明した。
「沸かす前に濾過からやります」
で、茶色のローファーと、黒のパンストを脱ぐ。
使うのはパンストだ。
右脚の布地を裏返しながら左脚のほうへ挿入していくと、漏斗型の袋が一つできる。このままだと長すぎるので膝のあたりで片結びにし、それから河原の砂利を中に詰める。
これが濾過のフィルターになるという。
麻紐で三脚に吊るしてセット完了。
次に、変わった鍋をエプロンの下から取り出す。サイズが小さく白銀色で、入れ子みたいに重ねて収納できる二つの鍋だ。
彼女はこれをコッヘルと呼んだ。バケツに付いているような細い円弧形の持ち手と、大小二種類の蓋が付属し、動かすとカラン、カランと軽い音がする。薄い金属板を成型したので軽量であるらしい。
チャットが裸足で歩いていき、コッヘルで川から水を汲んでくる。
もう一個のコッヘルは三脚の下に置いている。
生水を先ほどのパンストフィルターに注ぐと、不純物を除かれた水が下のコッヘルに溜まる。
これを沸かしていく。
三脚からフィルターを外し、満水のコッヘルを吊るす。
流木を割って薪を作り、その直下に並べる。
ここまでの作業を、彼女は穏やかに歌いながらやっていた。
曲は『大きな古時計』。
僕も最近知って気に入っているフィスモルの流行歌だが、彼女は僕の知る歌詞とは全然違う――というか一切聞き覚えのない言語の歌詞を口遊んでいた。
チャットは火打ち石を持っている。浮遊洲の家庭で広く使われる、手の平サイズの鉄の棒と堅い鉱物をセットにしたものだ。
流木と一緒に集めた枯れ草を河原に置き、その上で火打ち石を鳴らして火花を飛ばし、枯れ草を燃やす。こうしてできた種火を少女が薪の中に投げ込む。
薪に着火し、赤く大きな炎が発生した。
「おおー、すげー」
素早く火起こしに成功したので、僕は思わず声を上げた。
顔を逸らしながら少女が言う。
「ユゼル様に仕えるメイドは、このくらいできて当然です……」
満更でもなさそうに頬を紅潮させている。
人に褒められるのが恥ずかしいけれど好きなようだ。
作業が一段落し、チャットが再び河原の石に腰を下ろす。
水が沸騰して冷めて飲めるようになるまで、しばらく待たないといけない。
彼女はどこか楽しそうに炎を見つめている。
パンストを脱いだ素足が僕の視界に入る。足の爪がつややかで縦に長く、素肌は白く眩しい。ふくらはぎがすらりとした輪郭を描いている。
僕は喜びで震えていた。
(……なるほど。やはり自分は神に選ばれた王子だ! 死の淵において、有能で可憐なメイドに出会って助かったという奇跡が、僕に神の寵愛があることを、何よりも確かに証明している……!)
昔からの驕った意識が、再び蘇ろうとしていた。