文字を記して哭いていた
近づいてみると僕の腰ほどの高さ。
緑で覆われた路傍の物体は手触りと観察により一個の石材であるとわかる。
サーベルを振って蔦を斬り、素手で苔を剥がす。
碑文が出現。
濡れた布を張りつけなくても読める明瞭な字が残っている。
驚くべきことに、およそ三百年前を中心に使われた中近世文字で記されており、現代の綴りとあまり差がないため、無学な僕でも読めた。
墓碑銘 天上暦一三六八年六月
流刑に遭って三十四年が経過し、気力と体力の限界が見えてきて、自らこの文字を刻む。
我は浮遊洲で別れた最愛の人にとうとう再会できないまま終わるらしい。
はかりしれぬ悲しさだ。胸の底から涙が溢れる。
「逢いたい! 逢いたい! あの人に、もう一度!」
絶叫しながら、この石を河原から引きずって運び、字を彫った。
こうして自分の墓を作ったが、当然、没後の自分を埋葬することはできない。
情けない死体がこの近辺にゴロリと倒れ、肉と臓器を鳥獣に食い荒らされて腐っていき、骨さえもやがて風化するのみだ。
では、なぜ墓が必要か?
この墓碑銘を誰かに読んでほしいのだ。
我は大地で一人の人間にも出会うことがなかった。
生きているあいだ、これは本当に辛かった。
自分の人生が何のために存在していたのか分からず、ほとんど錯乱しかけていた。
だから、死後の百年、千年後にもこの孤独を味わうなんて、絶対に嫌だ。
同じような流刑者に、いつか、この墓石を見つけてほしい。
少しでいいので、我のことを哀れに思い、弔いをしてほしい。
そのとき我は、ようやく誰かとの繋がりを得て、人生最後の幸せを感じることができるだろう。そう信じている。
どうか、心優しい人が、この墓を発見してくれますように。
……正直、ゾッとする内容だった。
墓を作った人物は僕と同じ流刑者だという。
その悲惨な最期は他人事とは思えない。
もしも何かの不幸でチャットを喪い、魔王討伐を果たせず、天上からの迎えの船が来ないまま死期を迎えたら、僕も同じように喚きながら自分の墓碑銘を記すかもしれない。そんな結末は想像したくない。
しばらく絶句した僕は、そのあと気づく。
「……チャット!?」
彼女の姿がない。
四方八方に振り向いても神隠しのように見つからない。
まさか……音もなく稀龍に襲われた?
チャットがいなくなると僕は一人だ。誰も助けてくれない。
最悪の未来が目に浮かび、汗がダラダラと流れ、全身が震えてくる。
……直後、僕の背後から密林の下草を踏み分けてメイド少女が登場した。
熱帯のフルーツを両手で山のように抱えている。
すなわちチャット・メイドは僕より早く碑文を読み終え、墓へのお供えをササッと調達してきた。要するに僕が勝手にビビっただけだった。
念のために周囲を警戒する。
稀龍が近くにいたら大変だが、その姿は確認できない。
今のところこの場所は安全と思っていいらしい。
「ユゼル様。これだけのフルーツをお供えすれば、このお墓の人、喜んでくれますよね?」
「そ、そうだな」
「わたし、この人にすごく共感してます。周りに誰もいなくて、とにかく誰かが来て助けてほしくて、ほんとに辛かったと思います。だから、この人が二度と寂しくならないように、祈ってあげたいです」
ずいぶん真剣だ。
何が彼女の琴線に触れたのだろう?
チャットが貴重な水筒の水を自分の手と墓にかけて清める。
それから墓の前でしゃがみ、フルーツを並べる。左右の手の平をピタリと重ね、目を閉じて祈り始める。
それらは見たことのない作法だ。
浮遊洲では普通、両手の十本の指を組み合わせて祈るのだが。
しかも謎の呪文を静かに唱えている。
「なまんだぶ、なまんだぶ、なまんだぶ……」
この十四歳の少女が全く別のところから来た異邦人であるという意識が、僕の中で急速に大きくなる。
二十日以上を二人で過ごし、それなりに相手を知ったつもりでいたが、全然理解が足りなかったらしい。
特に彼女の前世について、僕は詳細を聞いていない。
機械として何年過ごしたのか、仲間や友人はいたのか、毎日どんな気分だったのか、そしてどんな最期を迎えたのか……何も知らない。
世にも奇妙なメイドと旅をしてきたという認識が自分には欠けていた。
(この少女は……本当は何者なんだ?)
そのとき。
「動くなッ」
チャットも僕も言っていない。
声が聞こえた方角の密林がガサガサと音を立てる。
第三の人物が茂みを踏み分けて現れる。
そう、人間だ。
「「――!?」」
突然のことだから僕らは体が固まって声が出ない。
その人物が七十フィートほどの距離まで接近する。
火矢を番えて僕らを狙う。
密林の伏兵のようにヤシやバナナの葉をたくさん付けて顔や髪を隠している。




