水に心がときめいた
王侯貴族の娘に自由がないのはどこの国も同じだろう。
家の庭園を一人で散歩することも許されず、常に侍従の監視下にある。
作法と習い事をひたすら仕込まれ、美しく淑やかな女性になることを強制され、やがて家族が決めた相手と結婚する。
まるで商品だ。
王宮にいたころの僕はそういう貴族社会の非道に憤慨し、フィスモル国内の子女を一人でも解放できないかと思案していた。
厳しい女子教育が肌に合う子もいるだろうが、なじめない犠牲者のほうが多いはず。
頑迷な人々をどう説得して差別をなくすか?
その計画を考えるのは僕の大きな難題の一つで、正直最後まで妙案は浮かばなかった。
自由を得た箱入り娘たちの笑顔を、しばしば想像した。
想像上の彼女らは気ままに家の外に出て、好きなものを買う。
好きな人と関わり、やりたい趣味や仕事をやる。
運動が好きなら運動をやり、学問が好きなら学問をやる。
新しい毎日を心から楽しんでいつまでも自由の良さを忘れない。
――彼女らの笑顔が現実になったような、四月十七日のチャット・メイドについて詳述する。
「ユゼル様! 水です! 水音が聞こえます!」
そう叫んだときの少女の変貌はすごかった。
それまでは渇きに苦しみ、ガックリ項垂れて旧街道を歩き、なぜ自分は苦境にあるのか、こんなはずでは……と運命を呪っているように見えた。
今は日が差したみたいに顔色が明るい。
進行方向のかなり遠くから、ジャバジャバ……と川の流れる音が、かすかだけれど確実に聞こえたのである。
彼女が僕の手を握り、
「行きましょう、ユゼル様!」
「!?」
遊び場に友達を連れていく子供のごとく笑って走り始める。
背中に歯車の挙身瞭が出現する。スポークの部分が僕の腕を貫いているが何の感触もない。
百ヤードほど進むと、石造の橋が見えてくる。
中央のアーチが崩落し、その瓦礫の中を川が流れている。
その他の特徴は前に餓掠鬼が屯していたミゼレーレ橋に似ている。
岩と砂礫がここでも堆積して川底と川面を上昇させている。
チャットは走りながらメイド服を脱ぎ捨て、器用に靴とパンストも脱いで純白の下着姿になり、
「やったーっ!!」
と万歳して川にダイブ。
彼女の服を拾いながら追走していた僕にも、その清純な水しぶきが飛んでくる。
「気持ちいい! 気持ちいい! 久しぶりの行水ですよ、ユゼル様! やっぱり水って素晴らしいです!」
自身にバシャバシャと水をかけてリフレッシュしていく。
下着が濡れて透けていくけれど気づかない。
そのとき、解き放たれた貴族の少女みたいだ、と僕は感じた。
箱入り娘はやっと手に入れた自由を満喫するが、チャットは水の感触を有り難がる。
川の生水は危険だが、それを手ですくい、頬で触れたり軽くキスしたりしている。
そうして冷たく濡れる感覚を味わっては天を仰ぎ、歯車の挙身瞭に照らされながら、
「あはーっ……!」
と恍惚の表情になる。
彼女の喜び方は、何日も喉が渇いて水浴びもできなかったから、という理屈では説明しがたい。
僕が渇きに苦しんだとき、あんなに走って飛んで生水に頬摺りしたいとは思わなかった。
考えてみればチャット・メイドの前世は機械だ。
すると、水に触れること自体が、かつては無縁の行為だった?
水を渇望する気持ちや、ようやく水を得る歓喜を、当時の彼女は一度も経験しなかった?
だとすれば、まさに自由を知らなかった箱入り娘と同じ構図かもしれない。
改めてチャットの前世が気になった。
機械だったころ毎日何を思い、それを今から振り返るとどう感じるのか……。
彼女に続いて僕も水浴びをしたが、すぐに終わらせ、他のやりたいことに取りかかった。
具体的には、水の濾過と煮沸、服の洗濯、食糧の確保、寝床の製作。
どれも二人で協力して進め、冒険の態勢をしっかり整えることができた。
久し振りにガブ飲みした水の美味しさは最高だった。
橋の上を今日の野営場所としたが、まだ正午過ぎ。
チャットが前と同様、橋に古代文字が刻まれていないか調べ始める。
洗った服が乾くまで着るバスローブの姿で石造橋をくまなく観察。
「オットリーノ街道、スラー橋」
見つかった文字はこれだけ。
「まあまあ! 遺跡を調べたって、毎回面白いものが見つかるわけじゃないですから!」
経験豊富な考古学者のようにチャットが笑う。
その後、橋の上に二人で着座。
昼のおやつとしてサワガニの塩焼きをバリボリと食べる。
のんびり過ごして長旅の息抜きに。
青空を眺める。
フィスモル島の小さなシルエットがそこに浮かんでいる。
あれこそが、いつか帰りたい僕の故郷……。
突然、強烈な風が吹き始める。
樹海の木々が激しくざわめき、野生の鳥が一斉に飛び立つ。
河原の枯れ葉、枯れ枝、土埃が舞い上がって僕らの顔にビシビシと当たる。
東から西へ、「それ」が頭上に。
わずか七十フィートほどの低空を飛ぶ巨躯。
骨のように白い鱗に覆われている。
長い首、膨らんだ胴体、円錐形の尾、四本足、鋭い鉤爪を持ち、血のように赤い翼でブオン、ブオンとゆっくり羽ばたいている。
顎の先から尾の先まで百フィートほどだろうか。翼を広げた幅もそのくらいある。
顔の様子は真下からでは見えないが、ワニのような顎であること、牙が出ていること、血のように赤い角がうねりながら頭の左右に伸びていることは確かだ。
おそらく、稀龍。
白と赤の禍々しいイメージはなかったが、それ以外の特徴は、数々の伝承で語られていた通りの圧倒的な姿である。
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