意気揚々と先を見た
チャットが濡らした布を橋脚の側部に張りつけている。なるほど、拓本のごとく凹凸を浮かび上がらせ、摩耗が進んだ石文を読めるようにしたのだ。
ちなみにその布は、僕が一時期欲しかった凧の緑青色の布地である。
古代文字については当然のようにチャットのほうが詳しく、中身を読み上げてくれる。
オットリーノ街道、ミゼレーレ橋。
アポヤンド王の治世元年に、大御の病の太平となることを欲して誓願し、架橋し奉る。然れども、造り竟えし当時、王、已に崩賜う。故に憐れの橋と号く。
[訳:アポヤンド王が即位された年、(臣下である我々は)王の病気が治ってほしいと神に願いを込めて橋をお造りした。だが、建て終えた頃にはもう王は亡くなられていた。よって、憐れという意味のミゼレーレ橋と名付けた]
「だそうです」
「……古代人は橋の建設に宗教的な意味を込めることが多かったんだろうか?」
「さあ……」
他の石文は見つからず、即位から間もなく病死したアポヤンドがどんな王でいつ頃の人物なのか(そもそも人間なのか)僕もチャットも判らなかった。
――――――――――
翌朝、真っ直ぐな枝を橋の上に立て、手を放す。
枝が倒れたほうの道へ行くつもりだ。
古代の街道(?)を辿って魔王の痕跡を捜したいのだが、東西どちらに行けば正解か誰もわからない。
なら運を天に任せよう!
これはメイド少女も同意したことである。
で、枝の倒れた方向は、微妙だが少しだけ西岸を指し示す。
出発した。
旧オットリーノ街道の荒れ果てた石畳は歩きにくい。
波打っていてよく躓く。苔が生していて滑ることも多い。樹齢数百年という感じの大木が完全に道を寸断していたりもする。
頭上は木々の枝葉が鬱蒼と茂って日光が通らない。
朝、昼、夕方の時間感覚が失われそうだ。
水を節約しながら歩き続け、暗くなった。
夕食は干物と野イチゴと里芋のごった煮。
この意外な組み合わせが絶品で、シェフを褒めずにはいられない。
だが彼女は浮かぬ顔。
飲み水の確保が心配だという。
「雨が降るか、他の川が見つかればいいんですけど……」
――――――――――
その次の三日間。
水源は見つからない。
僕もチャットも朝露を集めて飲む。
あるいは木の蔓を切って汁を吸ったり、多肉植物を絞ったりする。
街道を少し離れた彼女が、少し湿った地面を円匙で掘り、その穴に水が染み出てこないかと試したこともある。
珍しく、焦ったような弱気な独り言が多い。
「うーん……このまま街道を歩いてていいのかな……取り返しがつくうちに、引き返したほうがいいのかも……」
このごろのチャットは、肌つやが冴えず、髪型も乱れがちである。
主人こそが第一で自分はどうでもいいという強い信念のメイドでも、特に十四歳の少女にとっては、入浴や洗濯ができないことの苦痛は大きいらしい。
他にも試練はある。
樹海は山蛭が降ってきて首筋に張りつき、血を吸われる。
引きちぎると傷口から血がダラダラ流れるため、先端を焼いた木の棒を近づけて蛭を除去する。
この方法を教えてくれたチャット自身も何度かそれに襲われ、そのたびに可哀想なくらい大きな悲鳴を上げている。
彼女は蛭が大嫌いなようだ。
まあ、好きだという人はなかなかいないだろうから、「このメイドにも普通の人間らしいところがある」ということか?
寝るときは木の蔓で編んだハンモックを木々のあいだに吊るす。
本来は寝心地のいい寝具だが、簡単にはいかない。
樹海の気候がまた暑くなってきて、夜も蒸して寝苦しいので。
また、ここでも蛭が降ってくる。
チャットが毎回泣きそうな顔になって絶叫し、どんどん睡眠不足になっていく。
僕は日中、歩きながら空を見上げる。
木々と分厚い雲により、故郷の浮遊洲は丸っきり隠れる。
蒸し蒸しするわりに恵みの雨は降ってくれない。
――だけど、チャットが日に日に困憊していくのに対し、僕は顔色も精神状態もたいへん健康的だ。
最近、こう思っている。
(魔王って本当にいるし、見つかるし、倒せるんじゃないか?)
先日、餓掠鬼八匹を瞬殺して、自分の強さを思い出した。
すると今までのことについて肯定的な側面がたくさん見えてくる。
僕は流刑になって不幸のどん底に落とされたようでいて、実際はずいぶん幸運だ。
たまたま木の実の多い森に降下し、最初の十一日間をギリギリ生き延びて、それ以降はチャットに救われた。
野性の大地で二十日以上を過ごし、まだまだ元気。
これが奇跡でなくて何だろう?
(そうだ。「神に選ばれた王子」は、それこそ神の思し召しで、たくましく生かされているんだ……!)
僕は信仰心の深い人間ではない。
「神に選ばれた」と自称してきたが、そのくらい優秀だという比喩表現をしていただけだ。
だが、今こうして生存していることは、神の加護を信じないと理由が説明できない気がする。
では、神は僕に、何をしろというのか?
大地を歩き回らせ、そこにどんな使命を課しているのか?
答えは一つしか浮かばない。
大地に魔王がいる。
僕にそいつを倒せというのだ。
ユゼル・フォルシュピール・フィスモルが偉業を達成する舞台は、どうやら浮遊洲の上ではなかった!
僕は大地の勇者となり、その活躍は全世界に轟き、称賛されるだろう!
その永遠の栄光を得るまで挫けてはいけないのだ!!
優秀な僕が相棒を励ます。
「大丈夫だ、チャット。水源は必ず見つかる。これだけ広大な樹海に川が一つだけなんてことはありえない。この街道があの川以外の川を全て避けて造られているとも思えない。それに、このあいだまで世話になったあの川がさらに蛇行して、もう一度この道と交わるかもしれないだろう? だから、今は我慢して歩こう!」
実際にこの読みは的中する。
ただし、冒険の様相をガラッと変えたのは、水源の発見ではない。
全く別の出来事である。
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