便利グッズが湧いてきた
ハッとなり、ピストルをサーベルに持ち替え、周囲を見渡す。
八匹いた敵の姿はない。
チャットの姿もない。
というのも、僕が「川に向かって走れ!」と指示したため、彼女は愚直に川岸の直前まで全力疾走していた。
そのあと銃声を聞いてチャットは振り向き、餓掠鬼が全滅したことを知って足を止めようとしたが、すでにそこは川の水に浸った丸い石の上だった。
足を滑らせてドボンと転落し、頭のカチューシャから靴底に至るまで完全に水没していたのだった。
メイドの少女が起き上がる。
ずぶ濡れの顔と髪を手で払うや否や、僕のほうへ走る。
歯車の挙身瞭に照らされながら笑顔を浮かべ、忠犬が飼い主の帰宅を出迎えるみたいに元気良く、
「ユゼル様、すごいです! あっというまに全部倒して、強すぎます!」
僕に飛びつく。
その勢いで僕は転びそうだったが踏みとどまる。
引っ付かれるとこっちの服まで水が染みてくるが、それに気づかないくらい彼女は歓呼している。
「やっぱりユゼル様はすごい王子様です……!」
僕の胸板に何度も何度も頬ずりする。
心地よさそうに両目を閉じている。
その様子は僕との身長差も相まって、兄を慕う妹のようにも見える。
彼女の温かさが伝わってきて、僕は忘れていた何かを少し取り戻したような感覚になる。
武芸の第三王子、ユゼル・フォルシュピール・フィスモルが一瞬で餓掠鬼共を討滅した――この確かな事実が僕の全身にこれからエネルギーを与えてくれる気がする。野性の大地で生きていけそうだと思える。
チャットに言われたことを心の中で反芻する。
『やっぱりユゼル様はすごい王子様です……!』
とても気持ちのいい科白だった。
何が「やっぱり」なのかは知らないが。
――――――――――
実は日記をつけている。わりと前から。
流刑になった当初はそれをする発想がなく、もし思いついていても、日記なんぞを書いて何の得があるのか、と感じただろう。
なぜなら最初期の僕はただ命を繋いでいるだけであり、心情を一言で表すなら「やぶれかぶれ」だ。
浮遊洲に帰れるとも数週間生存できるとも思えず、一切の希望がない。
日記というものは要するに未来の自分に読ませたいから書く。
それは「自分はもう死ぬから未来なんてない!」と確信する人間には無縁の行為だろう。
日記を書くとは、未来を信じることなのだ。
状況が変わったのは当然、チャットが来てから。
そして彼女に二人分の服を洗濯すると言われた日に、ポケットの中にもし小物があれば出しておかねば、と思った僕は、上着の内ポケットに手帳を入れていたことをまるで雷に打たれたみたいに突然思い出した!
王宮で使っていた手帳だ。
「神に選ばれた王子」である僕は、都市国家フィスモルの欠陥を正す天才的なアイディアを次々と考案するたびに、忘れないようそこに書き留めていた。
ポケットから出した手帳は、まだ硬い黒革のブックカバーに包まれ、パラパラめくると白紙のページが多い。三月上旬に新しい一冊を下ろしたばかりなので。
好都合なことに「鉛筆」が挟まっている。
ペン軸のように細い棒を縦に割り、黒鉛という鉱物で作った芯をそこに挿入・接着しているこの筆記具は、天上暦一六〇〇年以降に生まれた。インクがなくても使用でき、インクが乾くまで待たなくていい。
王室に献上されたこの発明品を僕は愛用していたのである。
毎日起きたことをメモしてサバイバル生活のどこかで役立てるため、僕は手帳を日記帳に変えた。
これには、危険が多くてネガティブに傾きがちな心を整理するという目的もあった。
今から紹介するその中身は、すでに述べたことの重複も、そうでないものもある。
記録を始める前の出来事はあとで思い出して書いた。
日記
三月二十一日。
流刑。この大地に希望があるとは思えないが、かと言って死ぬのは苦しいはず。なるべく長く生きることにする。
野鳥が食べていたので安全と思い、未知の赤い果実を食べる。なぜかゴマの風味。
樹海は得体の知れぬ鳥獣の声が響き、特に夜は怖い。
魔物を恐れ、安全な場所はどこかと思案した結果、初めて木登りをした。
太い枝に跨って木の幹を抱きながら就寝。
植物の蔓で木と自分を結び付けたので落ちる心配はない。
三月二十二日。
意外に良く眠れた。
天上界で生えるのと同じブルーベリーを発見。酸っぱい。喉が渇いてくる。垂れ下がった木の蔓を斬り、落ちてくる水滴を吸う。
いつか使えると思い、大地への降下を助けた凧の布地を切り分け、上着のいろんなポケットに収納。
二十三日。
昨日と同じ方法で木の汁を吸うが、全然足りない……。
三月二十四~二十五日。
朝露を凧の布に吸わせ、絞って飲む。
だが渇き治まらず。水源を探さねば。
方角が分かりやすいと思い、毎日太陽が沈む方向、西を目指すことにする。
木の幹に目印を刻んで進めば、迷ったときや危ないとき、元の道に戻りやすいはずだ。
二十六日。
目印の付いた木を発見。
ぐるっと大きな円を描くように歩いてしまって元の場所に戻ったらしい。
このころから頭痛が酷い。足取り、重くなる一方。
死の接近を痛感。とにかく多量の水が欲しい。
二十七~三十日。
渇きに頭が支配され、方角のことを思考できない。歩きやすい方向にひたすら歩く。
夜も眠れず、星の光を頼りに木の蔓を探して汁を吸う。寝た記憶がない。
三月三十一日。
川を発見。神の恵みかと思われたが、その水は汚染されていた。
嘔吐し、昏倒し、父や兄たちのことを思い出すと、自分の傲慢な人生を悔やまずにはいられない。
そこにチャット登場。
これこそ神の恵みだろうか。
彼女は比類のない知識と忠義によって僕を救った。ケイコーホッシー液とかいう美味な飲料を、他に誰が作れる? 奉公を始めて五日の、顔も知らない主人のため、誰が大地に降下する? 前世がAIとか機械とか言われても、それが何だ。チャットがとにかく素晴らしいメイドであるという事実だけが重要である!
だが、有能な少女が僕のせいで人生を無駄にしている。
僕は罪深い。償わねば。
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