戦えるのか見極めた
少女が橋の方角を指さす。
「様子見というのは、この百六十ヤードの距離のまま、ずっと餓掠鬼の出方を待ちます。すると、向こうが魚を食べたあと、わたしたちに気づかないまま、どっか行ってくれるかもです」
「確かにそれが一番安全で楽だ。ただしデメリットは……」
「どれだけ待てばいいかわからなくてガマン勝負なところですね」
「やっぱりそうだよな」
一時間待つことになるのか、あるいは一日か一週間か一ヶ月か、全く読めない。
軽々には結論を出せない。他の選択肢も検討しないと。
まず前提として、僕はできることなら魔物は倒したいと思っている。
橋の上に屯する彼らは今ちょうど仲間内で揉めている。
お前の魚は大きくて俺のは小さいとでも言っているのか、ギャッギャという叫び声と激しいジェスチャーが交わされ、やがて彼らは傍に置いていた木の棍棒を手に取り、殴り合いを開始する。
(醜い……醜い生き物だ……)
ああいう鬼畜はこの世にいちゃいけない、できれば滅ぼしたい、という正義感が胸の中に沸々と湧いてくる。
倒さずにいれば、僕らは魔物の下流で過ごすことになる。食べかすが流れてくる川で水を汲み、服や体を洗うことになる。
そんな不衛生と屈辱を我慢できるだろうか?
だが、待て。魔物の強さが判らない。
もし向こうが圧倒的な実力なら絶対に衝突してはいけない。
戦いの途中でこちらが尻尾を巻いて逃げることさえ強者は許さないだろう。
さらに言えば自分のことも分からない。
(僕は政治の勉強をサボって武芸ばかりを磨いた王子だが、去年、父親に姦通罪のことで意見して幽閉されたとき、七ヶ月のあいだ、全く稽古ができなかった。そのブランクが残っているとしたら、今の僕は昔より弱い……)
しかも二十日以上のサバイバル生活により疲労が溜まっている。
チャットの手厚い世話があるとはいえ、宮廷料理とヘビの丸焼き、羽毛のベッドと丸太の寝床では、回復力に差がある。
僕は以前より痩せ、脂肪だけでなくおそらく筋肉量も落ちた。
迂回する選択肢もある。
隠れて樹海を進めば餓掠鬼にバレずに川の上流に行ける。
戦わないので安全だ。
……だが戦わないとは断言できない。
もし他の魔物が樹海に潜んでいたら? そこで戦闘になると見通しが悪くて大変だ。また、そいつが餓掠鬼より強敵である可能性もある。
うーん……。
僕はすっかり悩んでしまった。
突然チャットが間の抜けた声で言う。
「あっ、ユゼル様。餓掠鬼に見られてます」
「!?」
さっきまで魚の取り合いをしていた彼らが急に静かになり、全ての個体が僕らのほうを向き、遠見をするような仕草や指さしのポーズをしている。
そしてとうとう人間の存在に気づいて「ギャギャーッ!」と鳴き、棍棒や弓矢を握り締めて橋から河原に降りてくる。
こちらへ向かってくる。
遅いけれど走っている。
伝承によれば彼らは執念深くて獲物を二、三日かけて追い回すこともあるという。逃げ切る自信は僕にはない。
悩んでいたせいで結局戦うしかなくなった。ああ、様子見というチャットの提案にさっさと従い、物陰から橋を見ていれば良かったものを。
腰のサーベルに触れる。
「チャットのほうは、武芸はどうなんだ?」
「経験はないですけど、ユゼル様が戦えって言うなら、全力で暴れます!」
少女が円匙を胸の前で構え、僕に当たらない安全な距離を取って「えいっ! やあっ! たあっ!」と素振りを披露する。
素晴らしいやる気だ。
でも、絶対弱い。
腕だけで円匙を振り回し、足腰が伴っていない。
この素人戦士を戦場に送ったら、闇雲に武器をブンブンするだけで攻撃は命中せず、防御は隙だらけになるだろう。
考えてみれば、チャット・メイドの体力や運動神経は、普通の女子と差がない。
河原で僕を先導して歩くときの彼女は元気そうに見えて、実はかなり汗まみれであり、息も苦しそうだった。
「休憩しよう」と道中で言いだすのは必ず僕だったが、それは彼女がどんなにバテていても、僕のほうから休みたいと言わない限り意地を張るからだ。
主人より先にメイドが疲れて一服したがる、なんてことは職務上許せないらしい。
それに、野営の場所を決めたあとの水浴びで、少女は毎日、踵を気にしている。
靴擦れに川の水が沁みて痛いようだ。
「河原の大きな岩陰に隠れててくれ」
少女は「え?」と言って意外そうだったが、もう一度同じことを伝えると、「わ、わかりました! 雑魚は引っ込んどきます!」と元気に敬礼して退く。
「ユゼル様、遠くから応援してます!」
その声を聞きながらサーベルを抜き、前方へ駆けていく。
河原を直進してくる餓掠鬼の総数は八匹。
弓矢を持っているのが二匹いて、これが厄介だ。
棍棒と違い、矢は弾いて防ぐことが難しい。
二匹の位置と僕を追う目の動きに注意して動くべきだ。
早速、矢がシュッ、シュッと飛んでくる。
僕は走るスピードを緩めずに最小限の動作でそれを回避する。
「ギャ、ギャッ!?」
僕の出足の速さに戸惑ったのか、彼らが変な声で叫ぶ。
群れの先頭に立つ個体は粗削りな盾を左手に、粗悪な棍棒を右手に持っている。
まずそいつを標的に。餓掠鬼がハッとして前に構えた盾を、サーベルで四回、全力で叩く。回し蹴りも加える。
盾を飛ばされそうになり、よろける魔物。
仲間同士の誤射も辞さない矢が僕の左右から飛んでくるが、これを冷静に避け、盾を持つ敵だけを攻めて腹や頭を斬る。
「ギャ、ギャ、ギャウゥーッ!!」
切断はできなかったが、そいつが断末魔を上げて河原に吹っ飛んだ。




