川を汚して生きていた
僕はフィスモル島に戻れないまま死ぬだろう。
魔王なんて見つかりそうにないのだから。
ただしまだ死にたくないし病気などで苦しみたくもない。
なら、健康に生きることだけ重視するべきでは?
移動せず水や食べ物の確保だけしているべきでは?
そう思いながら、だらだらと彼女に付いて行く。
元気に河原を歩きながらチャットが言う。
「ユゼル様。わたしはこの冒険で、二つの手がかりを探してます」
一つは、千六百年前の痕跡。
「人間と魔王が戦って、住む場所が空と大地に分かれて、天上暦が始まって、今が一六四六年目です」
「……。『聖典』の記述を信じるならそうだな」
「人間は昔、大地にいて魔王と戦ったんです。じゃあ、その戦場の跡とか、戦いの様子を書いた石碑とか壁画が、どっかにありそうでしょう? それが見つかれば魔王を探す手がかりになりませんか?」
「…………」
もう一つの手がかりは、他の人間。
「千六百年前に空に移住しなかった人の末裔がもしかしたらいるかもです。その人たちが魔王のことを知ってるかもです。昔話とか伝説とかの曖昧な情報でいいんで、教えてもらいましょう」
「……会えるならの話だな」
「あと、ユゼル様より前に流刑になった人も、まだ生きてたり子孫がいたりするかもです。魔王のことを少しでも知ってたらインタビューしたいですね!」
「……それも、会えたらの話だな」
「大丈夫!! 会えますよ、頑張って探せば!」
歯車の挙身瞭が現れて少女を照らす。
振り向いてガッツポーズを見せてくれるけど、どんな根拠で自信があるのだろう……。
僕がフィスモル島から凧で飛んだ三月二十一日、眼下の景色は見渡す限りの原野だった。
濃い色の樹海と、くすんだ色の平原と、蛇行した群青色の河川が、四方に延々と続いた。
北の果てでは冠雪した山脈が連なり、他の方角は濃淡のある緑色の地平線。
塩水に満たされた「海」という場所もあると聞いていたが、見えないくらい遠くにあるようだった。
そのどこかで他の誰かが生きているとは、とても想像できない。
野性の大地で生存するにはチャット・メイドのように優秀な知恵者がそばにいないと無理だろう。僕はそういうレアケースであり、そうでない大半の人の末路は目に見えている。
人に出会うよりもありそうなことが僕は心配だ。
すなわち、魔物との遭遇。
魔王と違って魔物は『聖典』以外の文献にもたくさん登場する。
空船で大地に降りた勇気ある探検家が、様々な怪物に遭遇し襲われたことを報告している。
歴史上、そんな探検家は一人や二人ではなく、つまり魔物はおとぎ話の存在ではなく本当にいるらしい。
大地を歩けば歩くほど、魔物に見つかって攻撃される確率は上がるだろう。
(どうか安全が続きますように……)
少女に付いて行きながら祈る。
……杞憂で終われば良かったのだが、脅威はすぐそこにあった。
むしろ僕たちから魔物に接近してしまった。
――――――――――
「いますね……五、六、七、八匹……」
目を凝らして遠くを見ながらチャットが呟く。
餓掠鬼は人間の子供くらいの体格だ。
細身だが腹部は栄養失調のように膨らんでいる。いびつで醜悪な顔をしており、両耳は尖り、髪や体毛はない。肌の色は個体によって違い、黒ずんだ赤や青や紫などのバリエーションがある。
大地の最もありふれた魔物として多くの書物や絵図で語られてきた彼ら――その実物を僕らは初めて目撃した。
そもそも、まず僕らが遠目で見つけたのは、石造橋の遺跡だ。
白い河原と川の流れを塞ぐかのような、すっかり黒ずんだ石材の人工物。
右岸から左岸まで七十フィートほどの全長。
元々はアーチ橋だったようだが長年放置されて土砂と岩石がその下に堆積し、橋脚がだいぶ埋もれている。アーチの頂点がちょっと地表に出ていて、川の水はそこを通る。
明らかに人工物であり、これはかつて人間が大地に住んでいたという『聖典』の裏付けになりうる。
ただし、あくまでも「なりうる」だ。
天上から来た探検隊がこの橋を築いたのかもしれないし、人間以外が建てたのかもしれない。
たとえば魔物のうち頭脳のたいへん発達した種族がそのくらいの建築工学を持っている、という推論を却下する根拠は今のところない。
ともかく石造橋は僕らにとって驚異の発見だったが、興奮した気持ちになれなかったのは同時に餓掠鬼を発見したからだ。
彼らは橋の上で屯している。
焚火を囲んで座っている。
魚の串焼きをそれぞれが持ち、鋭い歯で身を引き裂くようにして汚く貪っている。
「うわっ、食べ滓を川に捨ててる! あれで川が汚染されたんじゃないのか? 僕はあの水を生で飲んだのか? うぉげええ……」
チャットと一緒に僕も目を凝らしている。
「あの餓掠鬼がユゼル様を病気にした因縁の敵かもですね」
僕らのいる河原から橋まで百六十ヤードほどの距離。
まだ遠いので彼らは人間の存在に気づかないらしく、視線がこちらを向く気配はない。
でも気づかれたらどうなるか。
言い伝えによれば、彼らは簡単な棍棒や弓矢を手作りし、群れで行動し、鳥獣を襲って喰う。人間もその対象であり、若い女性は特に残虐な暴行を受けるという。
メイドの少女はむしろワクワクしてそうな笑顔。
「さあ、ユゼル様がここで何をするべきか、わたしのおすすめのチョイスがあります」
おすすめのチョイス?
「それは」人差し指を立てて、「様子見です!」




