8.謎の魔物と魔法騎士部隊
ハルを預かってから、オルトはよく村の厄介事を面倒くさがりながらも引き受けていた。
獣の退治。
畑を荒らす盗賊の追い払い。
そして、何より――ハルの暴走する魔力の制御。
最初こそ手を焼いたが、ハルは驚くほど器用で、思慮深く、飲み込みが早かった。
だからこそ、教えるのが苦にならなかった。
(チビだったくせに、気づきゃ俺よりでけぇってどういうことだよ……ったく)
目の前で、無心にご飯をかきこむハルの姿をぼんやりと眺めながら、
オルトは不意にそんなことを考えていた。
そのとき――
パリンッ!
「……っ!?」
レストランの窓の外、何かが割れる音。
続けて、重低音のような――
グォォォォォォ……
禍々しい、咆哮。
「きゃああああああああっ!!」
「誰かっ!助けて!!」
街人たちの悲鳴が、同時に響き渡った。
店内の空気が一瞬で凍りつく。
ハルが立ち上がるよりも早く、オルトの椅子が音を立てて倒れた。
「……魔力の気配がする。しかも、尋常じゃねぇ」
オルトの目が鋭く光った。
「ハル、行くぞ!」
「はい!」
二人は同時に駆け出した。
レストランの扉を突き破るように飛び出し、音のなる広場へ向かった。
そこには――
黒い靄のような魔力をまとう、巨大な異形の影が。
そして、その足元には崩れた屋台と、逃げ惑う人々の姿があった。
巨大な影の足元――
そこに、一人の女性が泣き叫びながら倒れ込んでいた。
「ジョージ!! ねぇ!! どうしちゃったの!? ジョージッ!!」
その“魔物”に、必死に声を張り上げる女性。
「ハル!」
オルトは素早くハルと目を合わせた。
ハルはオルトの意志をすぐに汲み取みとり、すぐに女性の元へと駆け出す。
「離してっ!! いや!! やめて!!!」
女性はパニック状態でハルの腕を振り払おうとするが
ハルは力づくで女性を抱えて広場の路地裏に隠れていたオルトの元へ連れていった。
「落ち着け、女」
オルトの低い声が、空気を鎮めるように響いた。
「違うのよ……っ」
女性は震える手で、顔を覆いながら言った。
「……あれは、ジョージ……私の夫なの!!」
ハルの表情が凍る。
彼女の目は本気だった――ただの錯乱ではない。
「どういうことですか?」
落ち着いた声でハルが尋ねる。
女性は嗚咽を混じらせながらも、必死に答える。
「分からないの……。ただ……ふたりで市場で買い物してただけなのに……
急にジョージが、苦しみ出して――叫び声を上げたかと思ったら……っ」
「……次の瞬間には、あんな……あんな姿に……!」
ハルがオルトを見る。
「……師匠」
「――女、買い物の途中で、なにか“飴のようなもの”をもらわなかったか?」
オルトが、まだ混乱している女性に問いかける。
「飴? そんなもの……っ!」
女性は言いかけて、ふと目を見開いた。
「……いや……八百屋の前の道で、小さな男の子に……飴をひとつもらったわ……。
可愛い子だったし、警戒もせずに……」
「その飴を、ご主人が食べたんですね?」
ハルが冷静に尋ねる。
「ええ……。私が“お腹減ってない”って断ったから……代わりに、ジョージが食べたのよ……」
少しずつ冷静さを取り戻した彼女の言葉に、オルトとハルが視線を交わす。
その瞬間――
グォォォォォォォッ!!!
ジョージ――もはや人とは言えぬ姿の“魔物”が、再び大きく咆哮し、建物の壁を叩き潰した。
「師匠! 今はあれを何とかしないと!」
ハルが訴える。
だが――
「待て。……もうすぐ来る」
オルトは立ち上がり、空気の流れを読むように、目を細めてつぶやいた。
「来るって……何が?」
その問いに答えるより早く――
パカラッ、パカラッ……!
激しい馬の蹄の音が、通りの向こうから響いてきた。
逃げ惑う人々をかき分け、疾走する馬――その先頭にいたのは、ひときわ異彩を放つ男だった。
筋骨隆々の体格。
背には巨大な大剣。
そして、左目を覆う黒い眼帯。
「――そこをどけッ!!」
怒号と共に、彼を先頭にした20人ほどの武装兵士が、広場へと雪崩れ込んでくる。
彼らの鎧には、イゼルディア王国のライオンの紋章が刻まれていた。
「あれ……イゼルディア王国軍の《魔法騎士部隊》ですね」
ハルが、呟くように言った。
「お前、なんで知ってるんだ?」
オルトが意外そうに問いかけると、ハルは少し苦い表情で答えた。
「師匠に“修行だ”って言われて、ひとりで村の外れに現れた獣を倒しに行ったとき、近くに滞在してたイゼルディアの兵士たちに、その獣を“横取り”されたんです」
「マジか。災難だな」
「まぁ、鉢合わせないように隠れてたんで、たぶん相手は俺のこと知らないと思いますが――
そのとき、随分と目立つ大柄な男がいたんです。片目に眼帯。背中に大剣。どう見ても偉そうなやつ」
「おお、アイツか」
「そいつのまわりの兵士たちが、わざわざ叫んでたんです。“俺たちはイゼルディア王国軍最強の《魔法騎士部隊》だー!”って……」
オルトは苦笑しながら、ぼそっと漏らした。
「……随分、頭の悪い奴らがいるんだな……」
「……ですね」
ふたりは揃って軽く溜息をついた。
「……っと、それで師匠。なんでさっき、“来る”って分かったんですか?」
「ん? ああ、それは……」
オルトは特に深くも考えずに、さらっと答える。
「音が聞こえたからな」
「……」
「……え、それだけ?」
「それだけだ」
「……なんかこう、“気配を感じた”とか、“魔力の流れを読んだ”とかないんですか?」
「ないな」
「ないんですね」
「音が一番わかりやすいだろ?」
「……そうですか」
ハルは呆れたように言った。
「随分と荒らしてくれたな、魔物め!!」
眼帯の大男が、ジョージ――いや、暴走した“魔物”の前に立ち、声を張り上げる。
「安心しろ。すぐに“楽”にしてやるよ」
そう言うと、背中に背負っていた巨大な剣を、ゴォンという重たい音と共に引き抜いた。
その刃先には、迷いなど一切なかった。
続くように、兵士たちも一斉に剣を構え、隊列を整える。
その様子に、女性――ジョージの妻は目を見開き、震える声で叫んだ。
「やだ……やだやだやだっ!! 待って!!やめて!!あれは魔物じゃないの!!!
あれは……あれは、私の夫よ!! ジョージなの!!!」
兵士たちに届くはずもないその声――
それでも、彼女は必死に叫び続けた。
そして――目の前に立つ、二人の男に向き直る。
「あなたたち!!お願い!!あの兵士たちを止めて……! お願いだから……!」
声を震わせ、オルトとハルに懇願するようにすがりつく。
オルトは一瞬、何も言わずにその女の姿をじっと見つめた。
目を逸らさず、彼女の“願い”と“絶望”を、そのまま受け止めていた。
そのとき――
「……師匠」
隣に立っていたハルが、オルトの考えを見破るように静かに言った。
「やめておいた方がいいです。
今、あの部隊の邪魔をすれば――この街での立場を失う可能性があります」
その声は、あくまでも冷静だった。
「バレなければいいだろ?」
オルトはそう言って振り返り、ニヤリと笑ってハルを見た。
「お前はここで、この女と一緒に待ってろ」
「師匠! 待ってください! 行くなら俺も――」
「……はぁ」
オルトは大きくため息をつき、少し呆れたように言った。
「お前、もう十五だろ? 女ひとり守ってやれねぇってのか?」
「……っ」
ハルはぐっと言葉を飲み込み、悔しそうに目を伏せた。
口ごたえをしたいわけじゃない。
けれど、ただじっと見ているだけではいられない――そんな思いが胸に渦巻いていた。
そんなハルの気持ちを見透かすように、オルトは彼に歩み寄り――
自分よりもほんの3センチ……いや、5センチほど高くなったその頭に、ぽんと手を置いた。
そして、いつものように雑に――だが、どこか優しく撫でる。
「……心配すんな。なんかあったとしても、俺なら大丈夫だ」
「……」
「それに――お前を信用してるから頼んでるんだぞ?」
ハルの肩が、わずかに揺れた。
オルトの言葉は、決して熱くも力強くもない。
けれど、そこには確かに“信頼”があった。
「……っ、分かりました」
ハルは小さく、しかし確かに頷いた。
声の調子にはまだ少し、納得できない気持ちが残っていたが――
それでも、オルトの言葉を裏切ることだけはしたくなかった。
――――――――――
眼帯の男が、大剣を両手で構え直した。
その刃先から、紫がかった魔力のオーラがうねるように立ちのぼっていく。
「……あいつ、相当魔力が強いな...」
オルトは建物の影に身を潜めながら、その様子をじっと見ていた。
そのまま、兵士たちの配置の隙を縫うように、静かに距離を詰めていく。
「防御魔法を展開!」
眼帯の男の号令が飛ぶ。
直後、兵士たちが剣を掲げ、魔力を込める動作に入った。
その前方に、淡く光る巨大な盾の形をした魔法陣が一斉に展開される。
オルトは、肩をすくめるように小さく呟いた。
「さて...どうするかな...」
その目は――兵士でもなく、眼帯の男でもなく、暴れる“魔物”の姿に向いていた。
グォォォォォ……!
確かに、恐ろしい声だった。
だが、その動きは――明らかに“何かを襲おう”としているわけではない。
「……苦しんでる」
オルトの口から、ぽつりと言葉が漏れる。
暴れる四肢、振り乱す頭部。
そのすべてが“攻撃”ではなく、“苦痛”に支配されていた。
まるで――
“何かに取り込まれた身体”と“消えかけた意識”の間で、引き裂かれそうになっているかのように。
「……これは、完全に変異した“魔物”じゃねぇ。
まだ、“人間”が残ってる」
その瞬間――
ズンッ!!!
地面が低く唸るように揺れた。
眼帯の男が、魔力を込めた大剣を大きく振りかぶっていた。
「オイオイ……それはやべぇって」
オルトは、そっと腰の小さな袋を手に取った。
中には、ハルに作らせた“霧の結界符”が数枚。
「……止めるしかねぇな」
そして、足元の魔力を軽く弾ませ、オルトの影が音もなく地面を滑った。