7.まったく、育ちすぎだろ...
そして、翌朝――
霧が晴れかけた山の向こうに、朝日が差し始める頃。
オルトとハルは、静かにサント村を後にした。
「……ヒナのやつ、あんなに泣かなくてもいいのにな。今生の別れでもあるまいし」
肩にかけた荷袋を揺らしながら、オルトが呆れたように言う。
「師匠のこと、大好きなんですよ。昔から」
ハルは笑みを浮かべて、前を歩くオルトの背中を見ながら言った。
「……あいつ、小さい頃はよく俺の後ろにくっついて歩いてたな」
「今でも師匠の作った薬草茶、世界一おいしいって言ってますよ」
「……あれ、ほぼお前が作ってんだけどな」
そんなやりとりを交わしながら、二人はゆっくりと歩を進める。
「で? 目的地までどれくらいだっけか」
「イゼルディア王国と、南東辺境の聖教国オルダナの国境は歩きだと、約二週間ってところですね」
「おぉう……けっこう遠いな」
「でも、寄り道しなければの話です。師匠、マルア山の麓の湖にもまだ一度も着いてないですし」
「うるせぇ!」
「ははは」
からかい合うような笑い声が、朝の風に乗って広がっていく。
旅に出て――約二週間が過ぎた。
「……はぁ~~~、暑ぃ~~~……」
どこまでも続く、真っ白な砂と青空。
オルトとハルは、炎天下の砂漠地帯を歩いていた。
オルトは顔をしかめ、ローブの襟元をバタバタと仰ぎながら呻く。
「なぁ、まだ着かねぇのか……?」
「この砂漠地帯を抜ければ、最初の街に入りますよ」
ハルは相変わらず涼しい顔で答える。
「……お前、なんでそんな余裕なんだよ。俺は今にも溶けそうなんだが?」
「師匠が教えてくれた、“冷感魔法”を使ってますから」
「……は?」
オルトの足が止まる。
「……俺、そんな魔法……教えたっけ?」
「はい、2年前の夏に。“あっついからこれでも使っとけ”って氷の石と一緒にくれました」
「……そんな適当なきっかけで……!?」
オルトは額を押さえ、脱力したように天を仰いだ。
(完全に忘れてた……!)
しかし、その瞬間、何かを思い出したかのように顔をしかめる。
「――ってかお前、“魔法使ったら捕まる可能性ある”って、俺に説教してただろうが!?」
ハルは首をかしげて、あっさり答える。
「それは、“目立つような”移動魔法とか攻撃・防御魔法の話です。
冷感魔法みたいな低出力・単体効果のやつは、感知されにくいですから」
「ぐ……っ!」
「要するに、適材適所ですよ、師匠」
「……お前、いつの間にそんな理屈っぽくなったんだよ……」
「師匠がそういう人ですから」
「それ絶対オレのせいじゃねぇだろ……」
「……よし! じゃあ、俺も使おう!」
オルトが勢いよく宣言し、魔法を発動しようとしたそのとき――
「待ってください」
隣にいたハルが、すっと手を伸ばして彼を制した。
「なんだよ。簡単な魔法なら使っても大丈夫って言ってただろ?」
オルトが怪訝そうに尋ねると、ハルは静かに言った。
「……俺が、師匠にかけます」
そう言って、ハルはオルトに近づき頬にそっと右手を添えた。
その手はひんやりとしていて、優しい。
「……!」
驚きつつも、オルトは動けなかった。
ハルは小さく呪文を唱える。
すると、じわじわと――
オルトの体を包んでいた熱が、まるで霧が晴れるように、ゆっくりと消えていく。
代わりにやってきたのは、まるで涼やかな川辺にでも立っているような心地よさ。
「……っ、ありがとう」
ぽつりと漏れた言葉は、照れと戸惑いと、ほんの少しのくすぐったさを含んでいた。
ハルはその言葉に、満足そうに微笑むと――
「弟子ですから」
とだけ言って、ふたたび前を向いて歩き出した。
オルトはしばらくその背中を見つめながら、なぜか胸の奥が妙に温かくなるのを感じていた。
「……まったく、育ちすぎだろ、お前……」
照れ隠しのように呟いて、オルトも後を追う。
――――――――――
そして、オルトとハルは、ついに目的地の一つである街へとたどり着いた。
その街の名は、ミンゼル。
イゼルディア王国と、南東辺境の聖教国オルダナ――
ふたつの大国の国境に位置する、交易と監視の拠点。
緊張と利害が交錯するこの地は、旅人、商人、軍人、密偵――
様々な国の者たちが行き交う、賑わいと裏側が共存する場所だった。
門をくぐった瞬間、空気が変わる。
「……人が多いな。あと、なんかピリついてねぇか?」
オルトが眉をひそめる。
街には多くの兵士が巡回しており、町の広場では各国の紋章を掲げた詰め所が並んでいた。
露骨に監視する兵士たち。
そしてその隙間でこそこそと囁き合う商人や、胡散臭い行商人の姿も見える。
「この辺りはずっと緊張状態が続いてますから。
最近は魔人が現れたって噂もあって、取り締まりが強化されてるらしいです」
ハルが低い声で説明した。
「……ほぅ。」
オルトは片眉を上げ、辺りを見渡した。
そのとき――
すれ違った老婆が、ふと立ち止まり、オルトたちをじっと見つめる。
「……気をつけなされ。最近、この街では“神の呪い”が始まったって噂があるんじゃ」
そして、何も言わずに去っていった。
「……なあ、今の、気になる言い方しなかったか?」
「……ええ。たしかに」
二人は無言のまま、重たい空気をまとって、街の中心部へと歩を進めていく。
やがて、ミンゼルの中央通りにある小さなレストランを、ハルが見つけた。
特に迷う様子もなく、二人はその店へと入っていった。
店内は思いのほか落ち着いており、
さっきまでのざわめきに満ちた通りとは打って変わって、静かな空気が流れている。
奥の窓際の席に腰を下ろすと、オルトはローブをはだけて椅子に深くもたれた。
「……っと言うかよ」
「はい?」
ハルがメニューを開きながら顔を上げる。
「お前、今回“勝手についてきた”わけだが……俺、目的、一言も話してなかったよな?」
ハルは平然と答えた。
「はい。聞いてません」
「……だよな!?」
オルトは思わず身を乗り出した。
「いや普通さ、目的も聞かずについてくるか!? もしかしたら俺、ただの観光目的だったかもしれねーんだぞ!?」
「師匠が“ただの観光”でここまで来るわけないじゃないですか」
「……っよく分かってるじゃねぇか...」
ハルは水のグラスを口に運びながら、淡々と続ける。
「はぁ……ったく。じゃあ、なんで目的を聞かなかったんだよ、ここに着くまでにも時間はあっただろ?」
オルトが呆れたように溜息をつきながら言うと、
ハルはまっすぐ、その赤い目を見つめ返してきた。
「師匠の目的がなんであれ、俺は弟子ですから。……ただ、ついて行くだけです」
迷いのないその言葉。
昔から変わらない、真っ直ぐな目。
オルトは一瞬、口をつぐみ――
ふと、鼻を鳴らした。
「……わかった。お前、ばかだろ」
「師匠に似て、ですか?」
「このッ……口が達者になりやがって!」
思わず声を張り上げる。
しまった、と我に返って周囲を見渡すと、
レストランの客や店員が、みんな“なんだあいつら”という顔でこちらを見ていた。
オルトは咳払いをひとつ。
「……ごほん。すまん。つい、熱くなってしまってな」
姿勢を正しながら、グラスの水をひとくち飲んだ。
「……まあ、そろそろお前にも、目的の話くらいはしとくか」
ハルは静かに頷いた。
「イゼルディア王国と、聖教国オルダナの間で紛争が起きてるのは……お前も知ってるよな?」
オルトが、水のグラスを指先で回しながら、何気ないように尋ねる。
ハルは淡々と答える。
「はい。もともと、その二つの国は、長年、宗教や領土、そして“人種”の違いで対立していました。
今回の紛争も……表面上は些細ないざこざから始まったって言われてますけど、根はもっと深いです」
オルトは黙って頷いた。
「だがな」
グラスを置き、テーブルに肘をついて前のめりになる。
「今回はちょっと“違う”」
「違う……?」
「この二カ国間に魔界のヤツらが入り込んでいる可能性があるんだ」
ハルの表情が、一気に険しくなった。
眉間に深くしわを寄せ、拳をぎゅっと握りしめる。
その反応を、オルトはちらりと目を細めて彼を見る。
昔から、ハルは魔界の話になると、よく険しい顔をしていた。
そんな彼の顔を見ながら、オルトはそっと口を開く。
「魔人だからって……別に、誰彼構わず人を襲うわけじゃねぇんだよ」
短い言葉が、静かに空気の中に溶けていく。
しばらく沈黙が続いたあと、
ハルは俯いたまま、かすれる声で答えた。
「……わかってます」
「ま、別にお前がどう思おうが、俺は気にしねぇ」
オルトはグラスの水を飲み干し、視線を窓の外に向ける。
「……話を戻すが、今回問題なのが“強い魔力を持つ魔人”が今、人間界現れていることだ。」
その声には、わずかに緊張が滲んでいた。
「……なぜ、魔界の者がこちらに来られるんでしょうか?」
そう――
魔界と人間界をつなぐゲートは、今やひとつだけ。
しかも、そのゲートが開くのは極めて稀なことだった。
だが、もう一つ――
魔界から人間界へ渡る手段が存在する。
「……召喚魔法だ」
ハルがハッと目を見開く。
「本来は精霊や精獣を呼び出すために使われる魔法だが、
人間が魔界から“魔人”や“魔物”を呼び出すためにも使える。
……もっとも、わざわざそんなことをする奴はいないはずだがな」
「……なぜですか?」
「代償がデカいんだよ。
召喚には人間の魂が必要だ。しかも召喚した魔人や魔物がその力をまともに使えないんじゃ意味が無いだろう?」
すかさず、ハルは次の疑問をぶつける。
「でも、それなら今、魔人や魔物を召喚しても……彼らも魔法を使えないはずじゃ――」
オルトはグラスの縁に指をなぞらせながら、小さく吐き出すように答える。
「……魔力飴だ」
「……魔力飴?」
ハルの眉がピクリと動く。
オルトはゆっくりと視線を上げた。
「その飴を一粒舐めるだけで――人間界でも、魔界でも、魔法を自由に使えるようになる。
本来、越えられないはずの“世界の壁”を、あっさり飛び越える力を持つ禁物だ」
「……!? そんなもの、聞いたこともありません!」
ハルが驚きで声を上げる。
それもそのはずだった。
「そりゃあな。お前が知ってるはずもない」
オルトは言葉を選びながら、どこか遠くを見つめるように続ける。
「魔力飴は、300年以上前――魔界と人間界の王が手を取り合って、“作り方”と“魔法書”ごと完全に撲滅した。この世界から、跡形もなく消し去ったはずだったんだ」
「……じゃあ、それが今、誰かによって“復活した”ってことですか?」
「そういうことだ。」
言葉の端に、かすかな怒りがにじむ。
「でも……なんで師匠そんな詳しく知ってるんですか?」
しばらく黙っていたハルがふと真顔で問いかける。
オルトの肩が、ピクッと小さく跳ねた。
「そっ、それはだな……あれだ、たまたま……そう、本で読んでな。気になってここに来たんだ!」
「……」
ハルは一度だけまばたきをして、無表情のまま淡々と口を開いた。
「俺、師匠の部屋にある本、全部読みましたけど。
そんな内容の本、見たことありません」
「えっとな……ほら!お前と出会う前に読んだ本だよ!」
オルトは視線を泳がせながら、どこか落ち着かない様子で反論する。
「……俺と出会う前、ですか。
それなら……仕方ないですね」
ハルは深く、静かにため息をついた。
「そ、そうだろ?」
(……ふぅ、なんとか誤魔化せた……よな?)
そう思いながらも内心では不安を拭えないオルトだったが、
ハルがそれ以上何も言ってこないことに、ひとまず胸をなで下ろした。
「でも……一体誰が、何を目的に人間界に魔人を呼び込んでるんでしょうか」
ハルが尋ねた。
「さぁな....」
オルトはソファに仰向けになり、頭の後ろで手を組みながら、ぼんやりと天井を見つめて呟いた。
少し間をおいて、ハルが口を開く。
「――それじゃあ、師匠の目的は、その“魔力飴”の出所を突き止めることなんですか?」
「……まあ、そんなところだな」
そう言ったオルトの表情には、いつになく真剣な色が浮かんでいた。
「できるなら――作ってるやつを見つけて、ぶっ壊す。
二度と、誰にも使わせねぇようにな」
短く、しかし強い口調でそう言い切る。
「……了解です」
ハルは、その言葉の重みを真正面から受け止めるように、静かに頷いた。