43.雪国への道
風呂から上がったオルトは、まだ湯の熱が残る体をタオルで拭きながら、どこか上の空だった。
浴衣に袖を通すと、そのままフラフラと布団に倒れ込む。
「今日は……色々ありすぎだ……」
天井を見上げて呟いたが、心臓のドキドキだけは、全然おさまってくれなかった。
布団をガバッと頭までかぶり、目をつむる。
——ガラガラ。
部屋の引き戸が静かに開く音がした。
「……師匠……?」
ハルの声。
少し戸惑ったような、小さな声だった。
オルトは返事をせず、寝息を装って息を潜める。
しばらく沈黙が続いた後、ハルの低い呟きが聞こえた。
「……俺、外で寝ますね」
——バッ!
「待て!!」
オルトは咄嗟に布団をめくり、上半身を起こした。
背を向けかけていたハルの腕を、思わず掴む。
「……明日から何があるかわかんねぇんだ。ちゃんと布団で休め」
ハルは少し目を見開いたが、すぐに頷いた。
「……はい、わかりました」
二人は無言のまま、それぞれの布団に横になった。
ハルはそっと、オルトの隣の布団に横になった。
オルトは気まずさから、ぴたりとくっついていた布団を少しだけずらして目を瞑った。
翌朝
「……ハル?」
まどろみの中で手を伸ばした布団に、温もりはなかった。
隣にいるはずの人の姿も、気配もない。
――ガララッ
その時、部屋の引き戸が静かに開いた。
「おはようございます、師匠」
ハルがいつも通りの穏やかな表情で立っていた。
「お、おう……おはよう」
オルトは心の中で戸惑いながらも、表情を取り繕う。
「朝食が出来たそうです。サイさんがお呼びです」
「……ああ。分かった。俺も支度ができたらすぐ行く」
「はい。それでは、先に行っていますね」
そう言って、ハルはいつもと変わらぬ調子で静かに戸を閉めて出て行った。
――カラララ……ピシャ。
部屋に再び静けさが戻る。
「……はぁ……」
オルトは大きくため息をついた。
頭をかくと、寝癖が爆発しているのに気づき、苦笑いする。
(……ったく、アイツ……俺にどうしろってんだよ)
そうぼやきながら、オルトはようやく布団から身体を起こした。
「おはようございます!!」
ハンナが元気いっぱいに声を上げる。
すでにカレンとランスは席に着いて朝食をとっていた。
ハルはその隣で静かに箸を進め、オルトの席はまだ空いている。
――ガラガラ
戸が開くと、太眉の男・サイが無表情で入ってきた。
「お前たち、ミカゲツ様からの伝言だ。ナルシア国行きの馬車と荷物を用意した。朝食を済ませ次第、出発するようにとのことだ」
そう言い残し、再び戸を閉めて出て行った。
⸻
そして――
朝食を済ませた一行は、荷物をまとめて馬車に乗り込み、ナルシア国を目指して出発した。
――カラカラカラ……と、馬車の車輪が軽快に音を立てる。
「おばあさん、ナルシア王国ってどんな場所なんですか?」
ハンナが興味津々に尋ねると、老婆は懐かしそうに目を細めた。
「一年中、雪が降っていてね……とても寒い場所さ。お前たち、凍死しないように気をつけるんだよ」
「そんなに寒いのか……それで、ミカゲツ様に防寒具を山ほど持たされたんだな」
ランスが納得したように呟いた。
「ねえ……ナルシア王国の王族に流れてる“青い血”って、なぜそうなったの?」
今度はカレンが尋ねる。
「……それはね、伝説があるんだよ」
老婆は少し声を落とし、静かに語り始めた。
「遥か昔。ナルシア王国を創った神、ハシェラ神が地上に降り立ち、自らの血を“王にふさわしい者”に与えたというのさ。その者の血は、神と同じ青に染まったんだと」
「へえ……すごいお話ですね!」
ハンナが目を輝かせた。
だが、老婆はふと険しい顔をして呟いた。
「だけどね……ナルシア王国の王族は“青い血”というものにあまりに囚われすぎているんだ。血の色の濃さで国王が決まるくらいにね……」
「何か、あったのか?」
オルトがその表情を見て尋ねるが、
「……いや、なんでもないよ」
老婆は目を逸らしてそう答えた。
* * *
三日間、馬車で雪道を走り続けたある日。
「ここからは歩きだ。馬車じゃ通れねぇ」
運転手が手綱を止めて言うと、皆の視線の先には、果てしない雪原が広がっていた。
「うそでしょ……」
ハンナが目を見開いた。白銀の世界は美しいが、吹雪のような風が容赦なく体にぶつかってくる。
「みんな、こっちに来て」
カレンが呼びかけると、彼女の周囲に集まった一行へと呪文を唱えた。
「……あれ? なんだか、ぽかぽかしてきました!」
「ふふ。これは体温を一定に保つ魔法よ。これで雪の中でも平気で歩けるわ」
「助かるぜ、カレン」
オルトが礼を言い、こうして彼らは雪国へと歩を進めた。
* * *
一時間ほど歩いたころ。
「あっ!! あれじゃねぇか!?」
ランスが前方を指さして叫ぶ。
そこには、巨大なレンガ造りの門がそびえ立っていた。
「ああ……あれが、ナルシア王国の門だよ」
老婆が静かに言う。
「すげぇな……」
誰もがその荘厳な門構えに見入っていると、不意に老婆がハルに声をかけた。
「金髪の坊や」
「はい?」
ハルが顔を上げる。
「フードを深くかぶって、顔はなるべく見せるんじゃないよ」
「どうしてですか?」
オルトが代わりに尋ねた。
「この国では、その金髪と青い瞳はとても目立つんだよ。見られたら、厄介なことになるかもしれないからね」
「……分かりました。隠しておきます」
ハルは頷いて、そっとフードを深く被った。
そのとき、老婆が門に近づき、静かに手を当てる。
――ゴォォォォォン……
低い音を響かせ、重厚な門がゆっくりと開いていく。
「ばあさん……魔法が使えるのか?」
ランスが驚いたように言うと、
「違うさ。この門に“魔法”がかかっているんだ。ナルシア王国の民かどうか、見分けるためのね」
「……そうか」
オルトたちは老婆に続いて、ナルシア王国へと足を踏み入れた。
そこに広がっていたのは、幻想のような美しさだった。
白を基調とした建物の数々。その壁には、まるで雪の結晶のように繊細な宝石がちりばめられていた。
「わあ……すごく綺麗……」
ハンナが呟いた。
「門の守りの兵士はいないのか?」
オルトが目を見開き、低くつぶやく。
「いるよ……でも、ここはめったに人が入ってこないからね。サボってるんだろうさ」
「ほら、こっちに来な」
老婆が振り返り、オルトたちを手招きしながら細い道へと入っていく。
道を歩く人々は皆、分厚い防寒具に身を包んでおり、顔のほとんどが隠れている。誰もが無言で雪道を急ぎ足に通り過ぎていく。
やがて、老婆はひとつの居酒屋のような古びた店の前で立ち止まった。
ガラガラガラ――
重い木の引き戸を開け、老婆が声をかける。
「帰ったよ」
奥からバタバタと足音がして、店の中から水色の髪をした、長身の青年が現れた。歳は十九ほどか。
「ばあちゃん!? ……どうして急に……」
困惑した様子で言いかけた彼は、老婆の背後に立つオルトたちに気づくと、ふと目を細めて言葉を止めた。
わずかに息を吸い――
「……はぁ。どうぞ、中に入ってください」
何かを悟ったのか、青年はドアを開け、オルトたちを店の中へと迎え入れた。




