35.謎の実験施設
翌朝――
目を覚ますと、ハルがすでに身支度を終え、布団を丁寧に畳んでいた。
「ふぁ……ハル、おはよう」
オルトが眠たげに目を擦りながら声をかける。
「師匠、おはようございます。もう朝食が用意されたそうですよ」
ハルは優しげな笑顔を向けながら答える。
(……昨日のことは、特に気にしてないみたいだな)
オルトは内心、少し安堵したように息をついた。
「……ハル、着替え、取ってくんね?」
オルトは少し上目遣いで、布団の中からハルに声をかけた。
「っ……はい、師匠。どうぞ……」
ハルはどこか気恥ずかしそうにしながらも、すぐさま服を差し出した。
「サンキュっ」
オルトはぱっと布団から出て、そそくさと服を身につける。
「それじゃ、朝飯食いに行くか!」
そう言って笑うオルトに、ハルは小さく頷いた。
ガチャ――
「おはようございます!ハルさん!オルトさん!」
食堂に入ると、すでにハンナ、カレン、ランスが席に着き、朝食を取っていた。
ハンナが明るく手を振る。
「おはよう、今日も元気そうね」
カレンもお茶を飲みがら挨拶した。
「婆さんの作った朝飯、美味いぞ!」
ランスが口いっぱいにご飯を頬張りながら笑った。
テーブルの上には、香ばしく焼かれた魚、たっぷりの味噌汁、漬物にふっくらご飯——見た目も味も満点な、どこか懐かしい“魚定食”が並んでいた。
「さあ、お食べ」
老婆が配膳をしながら促す。
「いただきます」
ハルとオルトも席につき、箸を手に取った。
◆◆◆
食後、一行は宿を出て南の森の軍旗地の近くへ向かった。
昨日、老婆から「妙な噂が立っている」と聞いていた場所だ。
「軍旗地ってのは、コンゴ独裁国家の中でも特に戦士たちが集まる場所らしいな」
オルトが地図を見ながら言う。
「訓練場や兵舎もあるそうよ。一般人の立ち入りは制限されてるとか」
カレンが続ける。
「何か手がかりがあればいいんだけどな……」
ハルが小さく呟いた。
街中とは打って変わって、軍旗地周辺はひんやりとした空気が張りつめていた。
その場に近づくほどに、明らかに“普通じゃない気配”が漂っていた——。
オルトたちは、軍基地に潜入するため、裏道で通りかかった兵士三人を奇襲し、気絶させた。
その制服を手早く奪い、それぞれ身につける。
「とりあえず、俺とハル、ランスの三人で中に忍び込む。カレンとハンナは外の見張りを頼む」
オルトが静かに指示する。
「ええ、分かったわ。気をつけてね」
カレンが真剣な表情で頷く。
「はい!みなさん、無事に戻ってきてくださいね!」
ハンナが祈るように言った。
オルト、ハル、ランスの三人は、兵士の格好で堂々と基地の正門をくぐる。
多少の緊張感を抱えながらも、兵士たちは彼らを怪しむ様子もなく、無事に敷地内へ入ることができた。
中に進むと、目の前には真新しい白い外壁の、二階建ての建物が現れた。
「……なんというか、軍基地ってより病院みたいな建物だな」
ランスが怪訝そうに呟く。
「はい……なんだか嫌な予感がします」
ハルも警戒を強める。
「おい、あそこに入口があるぞ。とりあえず入ってみようぜ」
ランスが身をかがめつつ、先頭を歩き出す。
そこには、重厚な鉄でできた建物がそびえていた。冷たく硬質なその外壁は、近づく者を拒むように沈黙を保ち、どこか荘厳な威圧感を放っている。
「……ああ、行こう」
オルトが頷き、ハルとともにその後に続いた。
厚い鉄の扉をそっと開けると、中は無機質な白い廊下が続いていた。
薬品のような、かすかな異臭が鼻をつく。
「やっぱり…これは、ただの基地じゃねぇな」
オルトが低く呟いた。
廊下を進んでいくと、左右の壁に等間隔で複数のドアが現れた。
オルトたちは、そのうちの一つを静かに開けて中を覗く。
「……病室?」
ハルが声を潜めて呟いた。
室内には、まるで病院のように整えられたベッドが並び、それぞれに人が横たわっている。だがその表情は無表情で、まるで眠っているようでもあり、昏睡しているようでもあった。
「ここは……軍の病院なのか?」
オルトが低く呟いた。
「さあな……だけど、こんなに厳重に警備されてる病院なんて、普通じゃないぜ」
ランスが眉をひそめながら答える。
その時――
コツ、コツ、コツ……
廊下の奥から誰かがこちらに向かって歩いてくる音が響いた。
「師匠……誰か来てます……!」
ハルが小声で警告する。
三人は反射的に、部屋の中のベッドの下に滑り込んで隠れた。
ガラガラ……
音を立ててドアが開かれる。
「調子はいかがですか……?」
落ち着いた声の医者らしき男が、ベッドに向かって話しかける。
「……」
返事はない。寝かされている人間は目を開けることもなく、まるで人形のように動かない。
「ふむ……反応はまだか。だが魔力濃度は悪くない……このままならすぐに“変異”が始まるな」
医者は、独り言のようにぽつりと呟いた。
オルトたちは息を殺して耳を澄ませる。
「これでまた、素材が揃う……完成体のためには“適合者”がどうしても必要だからな……」
素材?適合者?……“変異”?
聞きなれない不穏な単語が、重く空気にのしかかる。
「……さて、次の検体も確認しに行こうか」
男はそう言うと、足音を残して部屋を出て行った。
ガチャン……
ドアの閉まる音が響く。
数秒の沈黙の後、オルトが小さな声で囁いた。
「……聞いたか、今の」
「はい……“変異”って、もしかして……」
ハルが不安げに顔を上げる。
「ああ....人間を魔人にするって言う実験をここでしてるのかもしれねぇな」
オルトの表情が険しくなる。
「なっ!?早くここを調べて、証拠を持ち帰らなねぇと……!」
ランスが焦るように言った。
三人は、静かに先ほどの病室を後にし、さらに建物の奥へと足を進めていった。
ガチャ――
次に開けた扉の先に広がっていたのは、金属製の棚や試験器具が整然と並ぶ、まさに薬品管理室のような場所だった。
薬品の瓶が並び、各所には封がされた試験管や注射器、見慣れないラベルが貼られた箱が積まれている。
「なんだ?ここ....」
オルトが呟く。よく見てみると、壁際の棚には人間の頭蓋骨の模型や、精密に描かれた脳の断面図、さらに不気味な透明な瓶の中には、何かの動物の心臓がホルマリン漬けのように沈められていた。
「うぉっ!? なんだこれ……気味が悪ぃな……」
ランスが思わず目を見開いてつぶやく。
「……証拠になるものがあるかもしれません」
ハルは周囲を見渡しながら、驚いた様子も見せずに冷静に言った。
三人は手分けして、部屋の中を丁寧に調べ始めた。
しばらくすると――
「師匠!これを見てください」
ハルが分厚いファイルを抱えてオルトの元に戻ってくる。
ファイルの表紙には、雑に貼られたラベルにこう書かれていた。
《魔力適応実験報告書 第31期》
ページを開くと、そこにはびっしりと書き込まれた文字と、数々の被験者のデータ。
•被験者 No.7 対象:12歳男子 適応率:低 変異反応あり
•被験者 No.14 対象:成人女性 適応率:中 拒絶反応後死亡
「……人間に、強制的に魔人と同じような魔法を使わせるための実験……?」
オルトの声が低くなる。
「でもそれが目的じゃない」
ハルがファイルの最後のページを指さす。
そこには――
“適応率100%に至った被験者には、異常な魔力発生と身体変質が見られる。これを『完成体』と呼ぶ。”
という一文と共に、古くなって顔はよく分からないが、黒髪の少年の写真が添えられていた。
「…… こいつ、どこかで見たような……」
オルトはページをそっと閉じ、低く呟いた。
「つまりこれは、“誰でも強力な魔法が使えるようにする”なんて建前で、実際は人を魔人に変える兵器を作ってるってことか」
「はい。……そして“黒髪の少年”は、その完成体……あるいは、配布者そのものかもしれません」
ハルが静かに言った。
「お兄さんたち。何してるの?」
その声に、三人の背筋が一斉に凍りついた。
振り返ると、部屋の入り口にひとりの少年が立っていた。
――まったく気配がなかった。
「お前……いつからそこに……!」
オルトが身構える。
少年の髪は黒く、瞳は深い闇を思わせるような色をしている。
年の頃は10歳前後。しかし、その雰囲気は年齢にそぐわぬ静けさと、不気味なまでの落ち着きに満ちていた。
「お前は...」
オルトはその顔をまじまじと見つめた。
「……エルか? ナタ村の……」
そして、右手で持っていたさっきの実験報告書に添付されていた古い写真と見比べる。
「まさか……実験体って……」
「うん。僕だよ。」
少年――エルは、まるでそれが当たり前のことのように頷いた。
その顔には、一切の感情がなかった。
「なんで……ここに……」
オルトが言葉を探すように口を開く。
すると――
「師匠……あの子……」
ハルが、オルトの前に一歩踏み出し、剣の柄に手をかけた。
「信じられないくらいの魔力を感じます。今までのどの敵よりも……」
その言葉に、オルトは目を細めて、エルを見据えた。
「エル……お前、あの飴を配ってたのか?」
「うん、そうだよ。僕が配ってる。あの飴は、弱い人間を強くしてあげるためにあるんだ」
「……その代わり、体も心も魔に侵されて……人間じゃなくなるんだぞ……?」
「……でも、それって悪いことなの?」
エルの問いに、誰もすぐに返す言葉が出てこなかった。
沈黙が重く場を支配する中――
エルはゆっくりと足を一歩踏み出した。
「ねぇ、お兄さんたち。僕の邪魔をするの?」
その瞬間――
部屋の空気が、爆発寸前の魔力で膨れ上がった。
咄嗟に、ランスがエルに斬りかかる。
バキィィン――!
「ランス!! 待ってくれ!!」
オルトが慌てて制止の声を上げた。
「待ってられるか! あいつを見てみろ、俺の攻撃をまともに食らっておいて、傷一つねぇぞ!?」
ランスが大声で答える。
その隙に、エルが手のひらに、禍々しいほどの魔力を凝縮させ始めた。
空気がビリビリと震え、辺りの魔力が一斉にざわめく。
(あいつ……まさか、あんな魔力をここで放つつもりか!?そんなことしたら、この一帯ごと吹き飛ぶ……!!)
「エル!! やめろ!!」
オルトは叫びながら、エルを止めようと手を伸ばし近づく。
「邪魔するやつは……消さなきゃいけないんだ。」
エルが無表情のまま、小さく呟く。
魔力を込めた掌が、オルトに向けてすっと伸ばされた。
「――っ! 師匠!!」
ハルが叫ぶと同時に、オルトの前へ飛び出し、その身を覆うようにして庇った。
そして、次の瞬間――
ドカァァァァァン!!!
耳をつんざくような爆発音が響き、室内が真っ白な閃光と衝撃波に包まれた。
壁が砕け、床が裂け、天井が崩れ――三人の身体が外へと吹き飛ばされた。
……
「……ハル!? ハル!! 大丈夫か!!?」
崩れた壁の破片の中で、オルトは咳き込みながら叫ぶ。
ふらつきながら身を起こし、腕の中の青年を見る――
その瞬間、時間が止まったように感じた。
ハルの腹部には、ぽっかりと大きな穴が空いていた。
血が止まらず、服も、腕も、地面も――赤く染まっている。
「…………っ、う、そ……」
オルトの瞳が見開かれ、言葉を失った。
「ハル……おい、冗談だろ……おい、目を開けろ……ハル……」
ハルは弱々しく目を細め、震える手でオルトの頬に触れた。
「師匠……守れて……よかっ……た……」
その声はかすれ、微笑みと共に力が抜けていく。
「やめろ……やめろよ……!」
オルトの頭の中が真っ白になる。
その場に膝をつき、拳を握りしめた。
内側から、怒りとも悲しみともつかない、灼熱の何かがせり上がってくる。
「――エル……」
オルトの声は低く、震えていた。
「……お前.....ぜってぇ許さねぇ....」
その瞬間――
空気が一変し、オルトの身体から、赤黒い魔力の奔流が噴き上がった。
オルトの声は低く、凍りつくような怒気を孕んでいた。
その体からは、バキバキッ――!と音を立てて異様な魔力が噴き出し、その姿を少しずつ変えていく。
瞳は紅く染まり、髪は長く伸び、背中には大きな翼が生えた。
「お、おい……オルト……大丈夫か?」
ランスが立ち上がりながら、怯えたように問いかける。
オルトは、一度だけ深く息を吐き、ハルを抱き抱え、ランスに渡した。
「ランス、頼んだ。ハルをハンナの元へ……」
「……ああ……お前はどうする気だ?」
「俺はここを、終わらせる。」
ランスはオルトのその気迫に押され、黙って頷くと、
倒れているハルをそっと抱きかかえ、その場を離れていった。
その直後――
バタバタバタ――!
重いブーツ音が響き、基地の奥から武装した兵士たちが駆けつけてくる。
だが、オルトは微動だにせず、低く呟いた。
「覚悟しろ」
ズズズズズ――ン!!
地面を揺るがす音とともに、オルトの足元に巨大な赤黒い魔法陣が浮かび上がる。
その中心から現れたのは――
闇そのもののような「黒の手」たち。
その手は意志を持つかのように蠢き、叫ぶ兵士たちを次々と闇の中へ引きずり込んでいく。
「ぎゃああああっ!!」
「離せっ!!なんだこれはぁぁ!!」
地獄のような光景の中、ただ一人――
エルだけが、その「手」を華麗に、まるで舞うようにかき分けながら、まっすぐオルトへと歩みを進めていた。
「へぇ……本気の魔人って、こんなもんなの?」
無表情のまま、エルの瞳が不気味に光る。
「じゃあ僕も――」
その身体がふわりと浮かび、次の瞬間、エルの背中から黒い翼のような魔力が広がる。
「――もっと強くならなくちゃね。」
二人の「化け物」が、いよいよ激突しようとしていた。
エルは空中を舞うように滑空しながら、鋭い魔力の爪でオルトに切りかかる。
「ハッ!」
ギンッ――!
オルトは即座に魔力の盾を展開して攻撃を受け止める。
一瞬の隙を突いて、足元から巨大な「黒の手」が地面を割って現れ、エルを捕らえようと伸びる。
しかし――
「遅いよ」
エルはひらりと翻り、指先ひとつでその手を弾いた。
触れた部分から、黒の手が灰となって崩れていく。
「チッ……やっぱり、厄介なガキだな……!」
オルトの額に汗がにじむ。
互いに一歩も引かない攻防が、凄まじい速度で繰り広げられていた。
――しかし、次の瞬間。
バンッ!!
乾いた破裂音が空気を裂く。
次の瞬間――
「……ぐっ……!」
オルトの体が硬直し、パタリと地面に崩れ落ちた。
エルは、突然崩れるように倒れたオルトを見て、目を大きく見開いた。
「ちょっと、先生!!手を出さないよ!?」
エルがふくれっ面で振り向く。
その視線の先には、白衣を着た一人の男が立っていた。
銀色の拳銃を片手に持ち、不自然に後頭部が膨らんでいるのが目につく。
年の頃は六十前後か。髪はほとんど抜け落ち、辛うじてもみあげのあたりに白髪がわずかに残っていた。
「だって君、大切な素材を壊そうとしていたじゃないか」
静かに、しかしどこか楽しげにその男――“先生”は答える。
「だって……だって、本気出せると思ったんだもん……!」
エルは唇を尖らせ、どこか子供らしくいじけたように言う。
だがその足元には、血を流して倒れているオルトの姿――。
「まあ、いいでしょう。彼を地下に運びなさい。次の段階に進むには、良い材料だ」
「はーい」
エルはくるりと回って歩き出す。
数人の兵士たちが現れ、オルトの体を担ぎ上げる。
――そして、彼らは闇深き地下施設へと姿を消していった。




